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観光客が行かない白老(しらおい)巡り・後編

クッタラ湖 (白老町)

倶多楽湖

クッタラ湖の水質は全国一位、透明度は摩周湖に次いで2位のカルデラ湖です。摩周湖は知られていますが、クッタラ湖を知る人は少ないでしょう。
更に、行ったことがあるという人は稀であると思います。というのは、この湖が地図に載っていても、どこから行くのか分からないからです。
エリアは白老町ですが、隣町の登別からでなければ行けません。温泉街である登別地獄谷の駐車場から車で7キロほど山の中を走ると標高258mの湖が見えてきます。

倶多楽湖の由来は、 アイヌ語のクッタルシトで「クッタルシ」とは現在の虎杖浜(こじょうはま)を指す地名で「イタドリ(虎杖)・群生する」の意味です。
円形の湖ですが1周できる道はありません。雨水などが溜まってできたカルデラ湖で、原生林に覆われているため見通しがきかず神秘的な湖といった雰囲気があります。
道なりに走ると湖畔に近づき、湖岸に下りることができます。
レイクハウスも建っており、手漕ぎボートなどもありました。
ヒメマス(チップ)釣りができるようで、釣りの好きな人は一日がかりで出かけてくるのでしょう。

白老町(しらおい)は、胆振総合振興局にある町です。

胆振(いぶり)という地名は松浦武四郎が名付けたのですが、石狩や十勝とは違い由来がピンときませんでした。
これは日本書紀から引用したといいます。阿部臣が北征した時に、胆振の蝦夷人を宴会に招待したとありました。胆振国から日高国にかけて多くのアイヌコタンがあり、白老は胆振のほぼ中央部にあります。

札幌から国道36号を走ると約2時間強で白老町に入ります。
左に太平洋を見ながら、右手には平行してJR室蘭本線が見え隠れし、細長い町を25キロほど走ると隣町の登別市に入ります。この間、右手奥は山岳地帯で後志方面に抜ける道は道道86号(白老大滝線)一本だけです。

競走馬のふるさと

馬産地といえば、日高・新冠・新ひだか・浦河と連なる日高地方が有名です。
しかし、競走馬の発祥地は白老町なのです。
苫小牧を西に進み、別々川を渡ると白老町社台に到着し一帯は牧場地帯となります。

社台ファームの創業者吉田一族

吉田善哉は大正10年、札幌の月寒で牧場を営む吉田善助の三男として誕生します。吉田家の基礎を築いたのは明治4年に10歳で月寒に入植した南部藩出身の吉田善太郎でした。善太郎は豊平区発展の功労者で月寒神社境内に大きな碑が建てられています。善太郎は現在の月寒中央に陸軍の歩兵部隊が設置される時に、2千町歩の土地を寄付しています。
善哉の父善助は、善哉が7歳の時、祖父から続く畜産を牛から馬に変えます。近い将来日本でダービーが始まることを察知したからでした。
そうして、月寒の土地を整理して、昭和4年に善助は白老で社台牧場を創設しサラブレッドの生産を始めました。昭和7年、第一回日本ダービー開催。善助はサラブレッド・ヨシキタ号を出走させますが、19頭中16位。これが吉田一族の競走馬人生のはじまりでした。
その血筋が善哉に受け継がれ、更に子供3兄弟が受け継ぎ、現在は社台ファーム(白老)・ノーザンファーム(千歳)・追分ファーム(安平)とそれぞれが人気の競走馬を育てています。

白老仙台藩陣屋跡

1854年(嘉永7年)の「日米和親条約」によって鎖国に終止符を打ちました。しかし、ロシア南下政策を警戒し幕府は松前藩や東北諸藩に蝦夷地の警備を命じ、計24カ所の陣屋を築いて沿岸の警備にあたります。
仙台藩は白老から襟裳岬を経て国後島・択捉島までの東蝦夷地を守備範囲とし、1856年(安政3年)に陣屋を白老に築きます。(白老町はこの年を町の開基としています)
この陣屋は国指定の「史跡」となり、白老町が整備を行っています。

JR白老駅をはさんでポロトコタンとは反対側の、道央自動車・白老ICの入り口近くの陣屋町にあります。
蝦夷の陣屋のなかで最も規模が大きく面積約2万坪。
道南北斗市の松前藩戸切地陣屋跡(四稜郭)がありますが、白老の方が当時の様子が良くわかります。堀と土塁に囲まれた曲輪があり、6基の門を構え、本陣・勘定所・殻蔵・稽古場・長屋などを築き、常時120名の藩兵が駐屯していたといいます。
1868年(慶応4年・明治元年)に戊辰戦争が勃発。官軍が白老陣屋を攻撃する危険性が高まり、藩士は白老を離れて仙台に引揚げ、陣屋は12年の歴史に幕を閉じました。

仙台藩白老元陣屋資料館

敷地内には塩釜神社や仙台藩白老元陣屋資料館があり、少し離れた丘陵地には愛宕神社があります。
資料館には史跡の絵図面や古文書、武具など約300点の資料を所蔵しているほか、白老に関する郷土資料展、講演会、日本史にまつわる展示会や定期的なイベントも開催しています。

北限の稲づくり中山久蔵

北広島市にある旧島松駅逓所

この白老陣屋に度々訪れていたのが、仙台藩士片倉英馬の下僕として仕えていた中山久蔵でした。
彼は大阪で武士の次男として生まれ、17歳で家を出て仕官を志します。
江戸に向かいますが仕官の道は険しく、更に北に向かい、人の伝手で仙台藩に使えました。
40歳、明治維新により職を失うことになりました。明治2年、再出発の決意で厳寒の白老に向かいます。苫小牧で開墾に着手しますが、土壌が開墾に向かないと判断、明治4年現在の島松沢(北広島)に移ります。
ここで北限の米作りに挑戦し「稲づくりの久蔵」として知られることとなりました。
明治5年に室蘭本道(現在の国道36号)が開削され、その後島牧駅逓所取扱人となり、明治9年クラーク博士が立ち寄り「青年よ大志を抱け」と言って別れた駅逓です。

温泉付き別荘

白老町にはJR室蘭本線の駅が6駅あります。
白老漁港があるのは萩野駅で、日本製紙があるのは北吉原駅です。
そうして、この白老内には150近くの泉源があります。
これを活かして温泉別荘を売り出したことがありました。ボーリングによるものですが温泉管理組合があるようで、地域で泉資源の管理と保護を行っているのでしょう。
現在は、一戸建て(中古)400万円位からあります。24時間源泉流し湯ですから朝から風呂三昧で温泉の好きな人には羨ましい限りです。
元大臣で東京都知事であった舛添要一氏の別荘もありました。(今はあるかどうかは分かりません)




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