見出し画像

観光客が行かない旧北檜山巡り・前編

観光客が行かない旧北檜山町の旅 
                
人口5,882人(2005年8月末)



札幌を国道230号中山峠を越え、ルスツ~豊浦~長万部(国縫)から内陸に入り、今金町を過ぎると旧北檜山(ひやま)町に到着します。渡島半島を横断する道路で終点はせたな町になります。

国道230号

大平洋側(噴火湾)の国縫(くんぬい)~日本海側の瀬棚間には地方鉄道が通っていました。この間に今金町があります。
昭和7年に完成し48.4キロ、一日4往復、所要時間は2時間10分でした。
国縫川と利別川の両流域に沿う国縫~種川間は、特に本流の屈曲が激しく、線路は山峡の敷設でしたが地質がもろく、度々崩壊事故を起こして死傷者を出したといいます。現場各所にタコ部屋が作られ、作業員が酷使され命を落としたことで知られています。
1987年(昭和62年)3月16日に鉄路は廃止されました。

今金町(荻野吟子)~北檜山町

荻野吟子

今金町の市街地を抜け、キリスト教徒が開拓した神丘地区を過ぎると北檜山町に入ります。
この今金町神丘地区はキリスト教徒リーダーの妻が、瀬棚で産科・小児科を開業する日本女性医師第一号の荻野吟子です。


北檜山に入ると、「丹羽」の地区名がやたらと目に付きます。
「丹羽」「西丹羽」「東丹羽」「丹羽橋」などなど。
この町は丹羽五郎が開拓に入った地区で、彼の銅像があることを思いだしました。町役場に行けば、その場所を聞けると思い役場を探しました。
道がY字の交差点で、右に行くと瀬棚町、左が大成区。この交差点に「ひやま町役場」の案内板がありました。
平成17年、北檜山町・瀬棚町・大成町の3町が合併し「せたな町」になり、北檜山町はせたな町の合併特例区となりましたが、本庁舎は旧北檜山町役場に置かれています。

せたな町役場(旧ひやま町役場)

役場のカウンターで「丹羽五郎の銅像はどこにありますか」と聞くと、若い職員が分厚い本を持ってきました。
よほど嬉しかったようで、ニコニコ笑顔で「私は丹羽の出身なのです」と言って、丹羽五郎に関する地図を書いて説明してくれました。
銅像だけでなく他の史跡なども書き込んでくれたのです。お陰で、瀬棚に行く前に大きな寄り道となりました。
やっぱり「町役場」は最高の観光ガイドになります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?