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観光客が行かない美唄巡り・前編

                美唄市 人口18,976人 令和5年12月末


美唄市

北海道には「美」の付く町は4か所あります。
美瑛・美幌・美深・美唄です。
時々、美瑛・美深と美唄を間違えてしまいます。

美唄(びばい)名の由来は、アイヌ語のカラス貝にちなみ「ピパイ」から転訛したとされています。前身の自治体名はアイヌ語の意訳「沼貝」でしたが、明治25年に鉄路が敷かれ駅周辺が「字ピパイ」と付けられたことで明治33年に漢字の「美唄」となりました。

日本一の直線道路29.2km

空知の中央部に位置し、市内を南北に国道12号と函館本線が平行して縦貫しており、国道12号は日本の道路で最も長い直線区間です。
約30キロの直線ということは、札幌から千歳まで一直線ということです。

札幌から向かうと美唄の入口に立っています

何故このようになったのかと言えば、明治20年樺戸集治監の囚人による強制労働の歴史があります。
初代北海道庁長官である岩村通俊が高畑利宜に命じたのが「可成(なるべく)直線路に為すを主とし」とあり、意図して美唄市 – 滝川市間の直線道路が誕生。更に、その後忠別太(旭川)までが開通しました。

一般市民募集の屯田兵はこの国道12号に沿って入植していきます。
明治22年、奈良県十津川村を襲った洪水で2000人を超える北海道移住者はこの道をぬかりながら、子どもや老人は囚人がおぶって滝川まで歩きました。
明治23年、沼貝村を設置し、美唄にも屯田兵の兵屋が建設されます。

炭鉱の町

炭鉱跡

明治7~8年にかけてライマンと助手山内徳三郎らが美唄川上流を探査し、有望な炭田があることが判明。夕張山地につづく丘陵・山岳地で、美唄は石狩炭田の一部で道内有数の採炭地でした。
最盛期である1950年代の人口は9万人、その大半は閉山し、現在は北菱産業埠頭(株)が盤の沢地区で露天掘りを電力会社向けに行っています。
炭鉱事故による脊髄損傷者などのリハビリテーションに力を入れていたことから、福祉施策が行き届いています。これは、炭鉱の町の特徴でもあります。
昭和25年、看護高等学校定時制が開校し、現在は道立の5年一貫教育の北海道美唄聖華高等学校となっています。

また、30年ほど前になりますが、当時のローカルでは珍しい「コア美唄」というショッピングセンターがあります。
この中に、今は廃業しましたが北海道最大の店舗数を誇っていた「〇〇薬局本店」がありました。社長にお会いしたこともありましたが、天皇と言われ問屋泣かせで有名でした。美唄が最も活性化していた時代です。
ちなみに美唄のグルメは「美唄焼き鳥」で、炭鉱の町の定番で現在は町おこしとして国道12号沿いの市街地に人気店舗があります。

宮島沼 

マガン

宮島沼は美唄市の西端に位置し、石狩川を渡ると月形町になります。
JR美唄駅から西へ向かって、まっすぐ進むとあります。
この一帯は石狩川が歪曲し暴れ川となり、土木工事で月型の沼が多いところです。
宮島沼の大きさ(水面積)はサッカー場の約40面に相当し平均水深は約86cm。田園地帯の中にポツンと浮かぶ非常に小さくて浅い沼です。
しかし、日本最大で最北マガンの中継地で、春と秋には6万羽を超えるマガンが羽を休めに飛来してきます。体験型ネイチャーセンターもあるので、ふらりと立ち寄ることができます。
ただし、マガンの飛来数が1万羽をこえていれば開館していますが1万羽以下なら休館です。確認してください。

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