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よければ一緒に

亡くなったことが発表されたKANさん。
ずっとがんと闘っていて、STVラジオのレギュラーも回数を減らしながら出演されていました。

「愛は勝つ」の窮屈さ

「愛は勝つ」
という、日本のポップス界に燦然と輝く金字塔セールスを記録した楽曲が有名ですが、KANさんの作品には「男らしい人」みたいな人物はあまり登場しません。
むしろ、何かにぶつかり、何かに悩み、乗り越えるでもなくやり過ごすでもなく、答えが出ないまま日々を過ごしている市井の人間を描いた作品が多いように私は思います。

私は多くの人と同じように、「愛は勝つ」でKANさんに出会い、ラジオを聴き、KANさんの人となりに触れ、そして「野球選手が夢だった」という名盤に出会いました。
ビートルズに大きな影響を受けたこと、そして、ビリージョエルにも多くのことを学んだこと。
そして、自分が好きなものがKANさんと一緒だということ。
中学生の私にとっては、夢中になるには十分なことでした。

ラジオでもたびたびお話されていたと思いますが、KANさんにとってこの楽曲はある意味で枷になって苦しまれたのではないかと思います。
自分が歌いたいこと、イメージにある歌いたい人物像が、たまたまスマッシュヒットした「愛は勝つ」の人物とは違っている。
だけど、世の中に求められるのはこの楽曲。
アーティストとしてのジレンマを抱えたまま、驚くべきスピードで流れていく「時の人」としての時間は苦しかったでしょう。

そういえば当時、どこかの歌番組で司会者に、
「どうしてあなたはあんなに一生懸命歌うんですか?もっと楽に歌えばいいじゃないですか。」
って聞かれたことがあって。
「一生懸命歌わないと、なんとなく感じが出ないんですよ。」
と、KANさんが答えていました。
改めて今になって振り返ると、当時から頑張っていたんだなぁって、少しだけ苦しくなります。

「フランスへ行きます。フランス人になるんです。」
茶目っ気いっぱいなKANさんがそう発表された時、私は本当にうれしかった。
ようやくやりたいことが出来るんだろうなって。

それからのKANさんは、程よく力が抜けて楽しそうでした。
どの楽曲を聴いても、どこで歌っているのを観ても。
最初から最後まで2枚目でいられなくて、必ずどこかにクスっとした笑いのタネを忍ばせて。
恥ずかしがり屋だったのかもしれませんね。

笑顔が溢れる「よければ一緒に」

「よければ一緒に」
という楽曲があります。
この作品に登場する「ぼく」は、KANさんが多く歌った世界観の中にある一曲です。

ぼくがひとりでできることなんてなにもない
君とふたりでできることならいくつかある
ぼくひとりでできることないわけじゃないけど
よければ一緒に そのほうが楽しい

KAN よければ一緒に より

私は、恋愛に依存するような十代と二十代を過ごしてきましたが、この楽曲がもう十年早く発表されていたら、人生は変わったんじゃないかと(笑)。
異性ばかりでなく、人とのお付き合いはこのくらいの温度で、このくらいのテンションがいいですね。
「陽だまり」の中に身を置いているような、心が温かくなる楽曲なんです。

現代は「個人主義」だの「自己責任」だのという言葉が独り歩きしています。
でも、それは決して厳密な意味でのそれではなくて、それぞれが自己弁護のために都合よく解釈しているもの。

私はこれらの言葉が嫌いです。

麻雀の世界の片隅に身を置いている者として、一人では何もできないことが痛いほどよくわかっていますから。
「あなた」と一緒に卓を囲むことが出来るから、麻雀を楽しむことが出来る。
本当に「ひとりでできることなんてなにもない」んです。

当たり前なことなのですが、大切なこと。
その大切なことを「よければ一緒に」という7文字で表してしまうKANさん。
改めて聞き返しながら、ほろっとしています。

KANさんの事務所が公式に上げているPVがあるので、お時間があればご覧になってください。
きっと、KANさんがやりたかったことが良く表されているのではないかと、私は思います。

今日という日に、私はずっとこの作品を聴きながら、KANさんのことを偲びたいと思います。

いかがですか?

よければ一緒に。


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