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チェックもあるんです

毎年5月・8月28日は裏見ノ滝で山伏がお護摩するんです。いやはや晴天だし滝だし拝むしでキモチかったですねぇ荒沢のお護摩。今は「安良沢」と呼ばれますが昔は「荒沢」だったそうです。えぇ、お察しの通り出羽国の荒沢不動尊に由来してます。今回拝まさせて頂いた荒沢のお不動さんは、かつては滝の裏を通ることができたという事で「裏見ノ滝」と名付けられた名瀑のそばにいらっしゃいます。

だぶん蓮華部から娑婆世界にいらした方

お師匠様曰く、こちらのお不動さんは寛永元年に天海僧正の弟子にして出羽出身の行恵により彼の地から日光へ勧請され、天海僧正の命で翌年に滝の方へお祀りされたようです。お不動さんだけではありません、出羽の湯殿山の神祇方もお呼びして裏男体から太郎山の山頂付近にかけてお祀りしたとのことです。出羽の神様仏様をわざわざお呼びして何をしたかというと、擬似湯殿詣、つまり裏男体を巡ることで日光にいながら山形の湯殿山を歩いて修行したことになるということです。ちなみに山形の月山の麓にも志津という地名があるようで、ディテール凝ってて勧請の時に凄い楽しくなってたんだなと思いました


南無荒沢不動明王

お師匠様曰く、日光の湯殿詣では最初にこの裏見の滝で垢離をとって入山したとのことです。そしてこの入山する参拝客のお世話をしていたのが蓮華石妙覚院で醍醐三宝院(真言宗)の配下のお寺だそうです。今は日光全山天台宗ですが、江戸の頃は真言宗の山伏も修行していたようです。

お師匠様:「ほら、千人武者行列にコスプレ里山伏いるでしょう、あの篠懸ってさチェック柄でしょ?でさぁ、出羽の山伏の装束も同じチェックでしょ?あれ当山派の装束だから、それに出羽湯殿山て真言系でしょ?」

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お師匠様のお話を聞いて私の頭の中で色々繋がりまして「あぁ、だから西町さんとこには醍醐寺の鎮守である清瀧権現さんのお名前の神社があるんだなぁ」「だからお世話になってる大先達は稀にチェック柄着てくるんだなぁ」と色々分かりホクホクしておりました。

滝見台が無かった昔は滝壺の際の方まで降りて護摩していようです


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