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平和の鐘と唱題 615 祈りの力を信じて

 今日、少し早めのお昼ごはんを食べながらテレビで「大下容子ワイド!スクランブル」を見ていたところ、日本に住むウクライナ人の僧侶の方が登場しました。お名前はセルゲイ・トリーリスさん。お題目を唱えしていたので、おやと思ってよく見ていたら、日本山妙法寺の方でした。

 若い頃に、ウクライナで平和活動をしている日本山妙法寺のお上人と出会い、共鳴して入信出家し、ウクライナの地でお題目を上げ平和活動に参加していた。そこにロシアのウクライナ全面侵攻が始まり、その数日後にセルゲイさんは志願して兵士となったそうです。お題目を唱え、世界の平和を祈っていた人が、なぜ戦う道を選んだのか。それはロシアの侵攻に一切の理がなく、ウクライナという国を守るためには戦うしかない、そのように考えたとのこと。一年間、兵士として戦闘に従事し、その間、御家族は一足先に日本に避難をしていました。その後除隊を認められたセルゲイさんも日本に渡りました。今は石川県で家族で暮らし、活動をしておられるそうです。

 セルゲイさんのインタビューの一番最後に、彼はこのようなことを言っておられました。

私たちは祈りの力を信じています。日本であれ、別の国であれ、どこでも祈っています。目には見えない力です。世界は今、暗闇に満ちています。光が必要なのです。

2024年2月28日「大下容子ワイド!スクランブル」インタビュー字幕

 私もまたお題目信仰を世に広めることを務めとする僧侶として、このセルゲイさんの言葉には心から同意をします。

 私たちは祈りの力を信じています。ともすれば世俗の人が「神仏に祈ったって、そんな力があるものか。金であれ武力であれ力こそが現実なんだ」そのように言う人も大勢いらっしゃいます。そしてある一面についてそこに理はあるのですけれども、本質は違うのです。

 私たちの身口意の三業、人間の行いの根本にあるのは意=心です。その心で平和を希求すること、戦乱に胸を痛め、戦乱の終わりを願うこと。それが全ての出発点なのです。そして、武力や金銭といった世俗的な権力を持たない私たちにできること、私たちにこそできること、それが平和のために祈ることです。

 ウクライナでの戦争も、ガザへのイスラエルの侵攻も、人の深い深い悪業の顕れです。仏様は、悪業が苦しみをもたらすこと、苦しみを取り除くためには悪業を離れ善業を積む必要があることを説かれました。世界のあらゆる人が苦しみを離れ、安らかに生きることのできる世界。それは私たち仏様の教えを奉ずる者が心の底から願うものです。

南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経

 世界の闇を払い、光に満ちた生き方をすること。セルゲイさんのインタビューからそのようなことを改めて感じました。

【参考】セルゲイさんに取材した北陸中日新聞の記事


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