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長女に教えてもらったこと

先日、長女(15)がなにやら
作文の宿題をやっていた。

自分の意見を書くということで、
書いてるうちに混乱してきて、
論点がズレたりして難しそうなので、
色々話したりアドバイスしたりした。

3日くらいかけて書いて、

さあ、明日提出する、
という夜。

これだけ出来たから、もう最後まで
自分でできるだろうと思い、

作文について色々話をしているラスカルを
尻目に、私はカウンターの上を
片付け始めた。
もう10時だし、明日は学校だし、
寝てほしいなという気持ちがあったと思う。

すると、片付けしていた中に付箋があり、
末娘(7)が何か落書きしていて、
それが面白かったので思わず、

「見て見て、これすごい破壊力」

とラスカルに見せた。

ふいにラスカルは黙り、全く喋らず
二階に上がってしまった。

最近よくこういうことがある。

フッと黙ってどこかに行ってしまう。

何か気に障ることをやってしまったなと
後から気がつくんだけど、
やってる時ははもちろん自覚もないので、
しまったなと後で思うだけだ。

居心地の悪い気持ちでしばらく
ソファーに座っていた。

しばらくすると長女が降りてきて、
私に泣きながら訴えてきた。

訴えの内容はこうだ。

「ママは私の話なんてどうでもいいんだね」
「私のことなんてどうでもいいと思ってる」

「私はね、人が5で喋ってたら5で聴く、
7で喋ってたら7で聴くようにしてる」

「ママは私の話をちゃんと聴こうと
してくれてない」

「このことは初めてじゃない。前にもこんなことあった。私はずっと嫌だった」

この言葉通りではないかもしれないけど、
まあだいたいこんなような話だったと思う。

私は彼女が話も出来ない赤ちゃんの時から
彼女を育てている。
面倒を見てあげないといけない、と、
ずっと思って暮らしてきた。

やっと喋れるようになって、
言い間違いやたどたどしい話し方も
ずっと見てきて、

とるに足らないことで泣いたり喜んだり、
怒ったりしてきたのもずっと見てきた。

成長しているのはわかっている。
それは、見ればわかる。

今や私と同じようなサイズになり、
中身もどんどん大人に近づいてきた。

それなのに、私は心のどこかで、
この子は私より下の存在だと思って、
軽く考えていたんだと思う。

「ねえ、ママ、見て見て!」
「ねえ、ママ、聞いて!」

ラスカルだけじゃなく、長男(10)も
末娘も、私に話を聞いてとか、
なにかを見てとか常に言ってくる。

幼い子どもなら誤魔化せるかもしれない。

でも、私が彼らを少し下に軽く見ていて、例えば大人に向かってするように、ちゃんと100%で見たり聞いたりしてないと、
いつか彼らも気がつくと思う。
今日のラスカルのように。

それはどんなに悲しいだろう。
ただ、見てほしい、聞いてほしいだけなのに。

どんなに小さくても魂は同じ、ひとりの
人間の尊厳がある。

そう、頭ではわかっていた「つもり」
だったのに。

彼らはいつも掛け値なく真剣に生きている。
だから私もいつも真剣に、出し惜しみなく
向き合わないといけない。

そう改めて教えてもらった気がした。

ごめんねと謝ったけど、
謝って終わりな問題じゃないな。
これからの考え方を変えないといけない。

子育てだけじゃなくて、
何事にも、なんとなく出し惜しみするの、
癖かもしれないなあ。

これからラスカル含め3人の思春期と
向き合わないといけない私。

常に100%で子どもと接することを
これから練習していきたいと思う。

それって、多分、本当は
全然めんどくさくもシンドイことでも
ないはずなんだよね。

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