25.八つのほこり #うらみ

始めに

「悪い心遣い」は天理教では「八つのほこり」と言い、八種類の心遣いがあります。

浪華分教会から発行されている、
「基本教理を身につけよう」著:上田嘉太郎
では、大変分かりやすく「八つのほこり」について
解説されています。

しかし、分教会が発行している非売品のため、読まれたことのない方も多いと思いますので、
この本を参考に、「ほこり」について一つずつ解説させていただきます。

5回目の本日は「うらみ」のほこりです。

うらみ

うらみ
うらみとは、わが顔を潰されたとて人を恨み、わが望みを妨げたとて人を恨み、誰がどう言うたとて人を恨み、意趣にもち、銘々知恵、力の足らんことや、徳のないことを思わずして人を恨むのはほこりであります。みかぐらうたに「なんぎするのもこころから わがみうらみであるほどに」とありますから、人を恨まず自分の身を恨むがよろしい。

うらみとは、自分に不快、不利益なことをした人や物事に対して、不満や憎しみを持ち続ける心情を指します。

また、幽霊が「うらめしや」という決まり文句があるように、長年にわたって人に対して憎悪の念を抱くことでもあります。
(僕も髪の毛を引っ張られて思いのほかたくさん毛が抜けたうらみは絶対に忘れません)


わが顔をつぶさるたとて人を恨み、わが望みを妨げたとて人を恨み、意趣にもち


人前で恥をかかされたり、面目を潰されたりした口惜しさは中々消えるものではありません。

しかし、そんな場合でも、まず心を静めてその原因を振り返るべきです。
自分に落ち度や至らない点無かったでしょうか?

もし、相手に優しさや心配りが足りないような場合でも、恨みで冷静さを失わないようにしたいものです。

世の中には、いつも不平不満を言う人がいます。

私の周りにも、人のせいや世間のせい、また会社や組織のせいにして、ブツブツ文句言う人がいます。

こんなふうに、周りに恨みをもって生活していくことは、実にうっとおしい生き方です。
さらに、それを聞かされる周りの人もたまったものではありません。

このように、いつも過去の事柄にこだわっている人は、結局、これからの良い運命も潰してしまうのではないでしょうか。

また、人を恨んで生きる毎日は、非常にストレスがたまる生活だと思いますし、病気にならずには済まない気がします。

ある先生がガンの病気のおたすけの際に

人を恨んで通ったところで、相手には痛くも痒くもない。むしろ、我が身を苦しめ傷つけるだけだ」

という話しを聞かせて貰ったことがあります。

ガンに限らず、ヒトをうらみ続けることが身体に障らないはずがありません。
(髪の毛を引っ張られたことは、今忘れました)


銘々知恵、力の足らんことや、徳のないことを思わずして


人を恨みたい気持ちになっても、よく考えてみたら、自分にも何か責任があることが少なくないのではないでしょうか。

まず、
自分がやるべきことをやってきたか
自分にそれだけの実力があるのか
自分にそれだけの徳分があるのか
自分にそれだけの髪の毛があるのか
自分自身を振り返ってみることを忘れてはいけません。

また、人を恨んだり、世を恨んだりするのは、恩を感じる感謝の心が薄いから、とは言えないでしょうか。

心ない仕打ちを受けたり、不運な目に遭ったとしても、人生全体としてみれば、多くの人のおかげで今日があり、
何より絶大なる親神様の御守護によって生かされていることは間違いありません。

恨みに思う心は消えないにせよ、目を転じて、これまでに受けてきた恩を数え上げてみてはどうでしょうか。


まとめ

これは余談かもしれませんが、例えば、第二次世界大戦中の日本軍の行為が、今でも問題にされることがあります。

日本人は、わりあい何でも水に流すという気質ですが、現地の人達はその恨みを決して忘れていない、ということを聞きます。

こういう場合でもほこりを積んでいることになるのでしょうか?

ほこりの心遣いについて考える時に、みかぐらうたの「よく」の手振りは自分に物をかき寄せる手振りであることを、参考にすると分かりやすいです。

みかぐらうたには、「よく」という言葉がほこりの代表として出てきますので、この手振りがほこりの意味を表していると考えると、

「かき寄せる手振りが、ほこりであるか否かの物差しになる」

という考えがあります。

そう考えると、自分中心の身勝手な恨みでなければ、ほこりではないと思います。

さらに言えば、そうした戦時中の恨みを、個人的なレベルにとどめずに、

「罪を憎んで、人を憎まず」

という、その悲劇を繰り返さない為にはどうすれば良いかという思案に昇華させるなら、教訓としていっそう生きるのではないでしょうか。


また、
「なんぎするのもこころから わがみうらみであるほどに」

とありますが、戦争のような難儀に巻き込まれた場合も、「わが身うらみ」とは、

自分自身の心遣いと行いを振り返り、決して繰り返さないという決意をする、自分を戒めるという意味合いではないかと思います。

これは社会的な事件や出来事に巻き込まれた場合についても言えると思います。



おまけタイム

どーも!海苔といい勝負をするぐらい肌がカサカサな男 ほこりまみれの信仰者こーせーです!
(岩海苔か焼き海苔かは想像にお任せします)

今日テレビでやっていた、仰天ニュースで、一昨年問題になった、
成人式になって当日に破産申請し、振袖を着ることが出来ない人が続出した、「はれのひ」の事件についての裏側が特集されていました。

この特集を見て、「はれのひ」福岡支店の店長さんの誠意ある行動と、関係した業者の協力に、泣きそうになるぐらい感動しました。

はれのひの社長は、どうしようもない奴で、
社員に給料は未払い
お客から代金を受け取ったのに、美容室や着物の卸業者に支払いをしていない
挙げ句の果てに全ての責任を放棄して、成人式から18日経った頃まで雲隠れしていました。

しかし、福岡支店の店長は、一生に一度の成人式をなんとか無事迎えさせていただきたいとの思いから、
給料が支払われていないのに自腹で備品を購入したり、
着物は届かない、契約していた美容室からは解約の通知が来るなど、酷い状況の中、なんとか一生懸命お願いして手配をしていました。

また、はれのひ福岡支店に協力した着物屋も、美容室も、お金は受け取れないと分かっていながら、その店長の誠意と、成人式を迎える若者達に喜んで貰いたいという思いで、無償で振袖の手配と、着付け、メイクをやってくれました。

文章だけでは伝わりにくいかもしれませんが、
成人式を迎える若者達を悲しませたくないという、真実の心が、周りの人を動かしたことに、本当に感動したんです。

天理教の「おかきさげ」という書き物の中に

誠とはちょっとには弱いように皆思うなれど、誠より硬き長きものは無い
誠一つが天の理
天の理なればすぐと受け取るすぐと返すが一つの理

という一文があるのですが、誠真実の強さを感じた特集でもありました。

仰天ニュースを見ていない方は、YouTubeか何かで見れる機会があれば、是非見ていただきたいです。

あと3分で日付が変わってしまうので、今日はこのへんで

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!



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