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265.「親の言う事は絶対だ」とか言う時代錯誤な価値観について

はじめに

先日、一件の質問が寄せられました。


キャプション:質問内容「天理教を理解するのにとてもわかりやすく拝読しております。

 親子関係で苦しんでいる人がいるのでご質問させてください。 天理教の家族の親が、
子に対して「親の言うことは絶対だ」と言って、子が意見することを禁止し、親に奉仕することを強要しています。
子と言っても中年で判断力のある大人ですが、全ての行動を親の監視下に置かれ、泣きながら従っています。 親は「親の望みを叶えないとお前が不幸になるからお前のために言っているんだ」と、あくまで天理教の信仰の上からの言葉だと言います。

 それでも子は親に自分の思いを伝えることは悪なのでしょうか。 ご意見お聞かせいただけると幸いです。」

この質問文を読んだとき、このご時世いまだにこんな時代錯誤ことをしている親がいる事実に絶句しました。

この考え方は明らかに天理教の教えではないし、完全に間違っています。

しかし、
いざ反論するとなると、どう言えばいいか分からない方も少なくなさそうです。

なので今回はこの
「親の言うことは絶対だ」
「親の望みを叶えないとお前が不幸になるからお前のために言っているんだ」
という考えがいかに間違っているかと言う事を、懇切丁寧に解説していこうと思います。

何が一番の親孝行なのか?


質問の中に出てくる親(以下親A)は、おそらく「親に従う=親孝行」だと思っているのでしょう。

そうでなければ、
「親に従わなければ子供が不幸になる」
という狂気じみた考えには至りません。

親孝行は素晴らしい事ですが、何が親孝行なのかを間違えると悲劇を生みます。

質問者さんが書いているように
「親の言うことに絶対従うこと」
これは本当に親孝行なのでしょうか?

親子関係について考える際は、
神様と人間の関係に置き換えて考えるとわかりやすいです。

天理教では、神様と人間の関係を親子関係に例えて説明されているので、それをそのまま人間の親子関係に当てはめて考える事ができます。

この場合だと
「神様の言うことに絶対従う人間」(親の言うことに絶対従う子供)
これが理想の人間なのか?
という問いにイコールで繋がります。



これは言うまでもなく完全にNOです。



神様に絶対従う人間が理想の姿なら、人間に心は必要ありません。

命令に絶対従う人間なんて、それはもうロボットと同じです。

つまり、
「親の言うことに絶対従うこと」
を求める親は、
「子供がロボットでいること」
を望んでいるのと大差ないのです。

しかも、そんな要求をする親は、自分が恐ろしく愚かな要求している事に気づいていない場合がほとんどです。

そんな馬鹿な話はありません。

ではどうする事が一番の親孝行なのでしょうか?

例えば、
親の喜ぶ事を先回りして行う事。
これが一番の親孝行なのでしょうか。

もちろん違います。

もっとシンプルな答えがあります。

それは、
「子供が幸せになること」
これが一番の親孝行です。

これを間違えると、親子関係に悲劇が起こると思います。


順番を間違えるから悲劇が起こる


質問では、

「親の望みを叶えないとお前が不幸になるからお前のために言っているんだ」

とありますが、これは完全に順番が逆です。

「親が幸せになるから子供が幸せになる」✖️
ではなく
「子供が幸せになるから親が幸せになる」◯
これが正しい順番だと思います。

「元の理」を読めばその理由は一目瞭然です。

「元の理」の冒頭に

「人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。」

とあるように、
「神様が楽しい」から「人間も幸せ」
なのではありません。

人間が陽気に暮らす、その姿を見て神様も楽しむのです。

ですから先に幸せになるのは子供であり、親はその姿を見て楽しむ、これがただしい順序です。

こどもおぢばがえりもそうですよね。
子供達はアトラクションを楽しみ、親はその子供達が楽しむ姿を見て楽しみます。

子供の楽しむ姿を見て親も楽しむ。
これは普遍的な幸せではないでしょうか。


親なんだから能動的に喜びなさい


質問者さんからのコメントは実はこれで終わりではありませんでした。
さらに続きます。

キャプション:質問内容「ご返信いただきまして誠にありがとうございます。 温かいお言葉に私自身も救われた思いです。藁にもすがる思いでご質問させていただいてよかったです。 
「子が幸せになること」まさにその通りだと思います。
しかしその親は「親を喜ばせると子供が幸せになるのだから、私は子供の幸せを願っているんだ。」という主張です。
話し合いは繰り返し行われていますがその子は罪悪感から何も意見できなくなりました。 さらに難しいことに、その親は悪意ではなく本気で「親の言うことに従わせることが子供の幸せにつながる、と天理教が教えている」と思い込んでいます。 本当に子が自分より親を満足させることに生涯を捧げることが天理教の教えとして正しいのでしょうか?私には教理の曲解に感じられます。」二枚目に続く。
キャプション:質問内容「私も逃げることに賛成です。
しかし親の元を離れようとすると 「親を見捨てる気か(=親を見捨てて悲しませるような親不孝は自分に返ってくるぞ)」 と、天理教の教えをもとに罪悪感で縛って逃げられないようにしてきます。 逃げることで罪悪感を感じる必要があるのでしょうか?
逃げることで親を悲しませたことになり不幸になるのでしょうか?」

中々パンチが効いてる内容ですが、簡単に見ていきましょう。

「親を喜ばせると子供が幸せになるのだから、私は子供の幸せを願っているんだ。」

これはまさに
「お前の物は俺の物、俺の物も俺の物」
のジャイアン主張です。
それどころか、「幸せ」という漠然と良い物を根こそぎ奪っていく感じは、ジャイアンよりタチが悪いと思います。

親は子供に喜ばせてもらう(受動的に喜ぶ)ではなく、子供を見て喜ぶ(能動的に喜ぶ)こと、これが本来のあり方です。

続きます。

本当に子が自分より親を満足させることに生涯を捧げることが天理教の教えとして正しいのでしょうか?私には教理の曲解に感じられます。

そんなの違うに決まってるだろ!!!


ここまで読めば言わなくてもわかる事だと思いますが、曲解が過ぎるのでついとりあげちゃいました。

こういう子供を苦しめる教理の曲解が僕は一番許せません。


実は根本の問題は別にあるかも


という事で、ここまで親の言う事は絶対という価値観が、どれだけ間違った事なのかを述べてきましたが、実は根本的な問題はここではないと思っています。

いやいや、今まで散々親Aの意見を否定してきたじゃないかと思われるかもしれませんが、親孝行は基本的には良い事です。

実際、今回のnoteを読まれている読者の方にも、親孝行しているからこそ、自分は今幸せなんだと実感している人は大勢いるのではないでしょうか。

なんなら、半ば強制的に親孝行させられてるけど幸せに暮らしてる方もいると思います。

ということは、親子関係を破壊してしまう根本の原因は
「親からの強制的な親孝行」
ではないところにあると思うのです。


早速結論を述べますが、
それは何かというと
「子供に対する感謝の気持ち」
これが無い事が親子関係破壊の根本的な原因だと考えます。

子供は親が
喜んでくれたら
感謝してくれたら
褒めてくれたら
普通に嬉しいんです。

それこそ、
たとえ半ば強制的な親孝行であったとしても、親が心から子供に感謝し、その気持ちを伝えていれば、子供も悪い気はしません。

ですから、この親Aは
子供が親に従う事が当たり前だと思い
子供に感謝していない。

これは確実にそうだと断言できます。

僕は、親が子供に感謝する気持ち(子供を見て楽しむ気持ち)を持っていれば、親子関係は基本的には悪化しないと思うからです。

ですから、
親子関係が悪化してる根本の原因は、
親が子供に感謝してない。(子供の存在が当たり前になっている)
これに尽きるのではないでしょうか。

逆に言えば、親が心から感謝の気持ちを子供にしっかり伝えれば、この質問者さんがあげてくださった親子関係は改善するかもしれません。

PS.ちなみに、僕は天理教は子供を可愛いがりまくる宗教だと思ってます。


ここまで書いたように、親が変わればそれが一番いいのですが、それは望みが薄そうなので次は子供側の対処法について書いていきたいと思います。

子供の側からの対処法(血まみれのこーせー)

※ここから先は、誤解を生みかねない(血まみれな)表現を使っているので制限をつけています。
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ちなみに、酒の勢いに任せてこの質問に対しての返信をしたラジオはこちらです↓


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