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「天国への道」の先!伝説の川が育むクミン

インドのスパイスの主要産地として重要な役割を持つグジャラート州。ここへはコリアンダーシードの収穫を追ってやってきましたが、実はインド国内シェアの約70%を占めるとも言われる、「塩」の産地でもあります。グジャラート州の北西部、パキスタンとの国境に近くにある「カッチ湿原」は、東西250km,南北150kmにおよぶ広大な塩性の湿地。雨期には海水で覆われてしまうのですが、乾期には塩の大地が広がるという、なんともダイナミックな変貌を見せる場所なのです。

前回の記事でご紹介した米国のスパイスブランドDiaspora.coも、塩の調達をこの「カッチ湿原」で行っています。さらにインド最大級のコングロマリットであるタタグループが保有するTata Chemicals Limitedも、カッチ湿原に大規模な塩田を所有していて、その生産量は製塩企業としては最多の800万トンに上るそうです。

インドに滞在した延べ半年、様々なところで調理の様子を拝見しましたが、多くのレストランや家庭がTataの塩を使用していました。毎日の食事に使われていた塩のほとんどが、乾季に出現するカッチ湿原から来ていたと思うと、ロマンに駆られます。

さらにカッチ湿原周辺には、塩田労働者のほか、遊牧民も含む様々な少数民族がいて、彼らの伝統的な刺繍や織物は世界的にも評価が高く、欧米や日本を含む東アジアからも多くのバイヤーが買い付けにやってくるのです。

カッチの民族衣装(左)現地のヘアサロンでカットしてもらったら前髪が史上最短に😂

私はコリアンダーシードの調査で滞在していたラージコートという街から、ハルバードという小さな村を経由して、カッチ地区に向かうことにしました。ローカルバスで3時間ほどかけて降り立ったハルバードは、野生動物の保護区になっている小カッチ湿原の近くにあり、主要産業は農業。バスターミナル周辺の一番栄えているエリアでも、小さなお店ばかりで、中でも肥料や農薬などの農業関連の商品を販売しているお店が目立ちます。

ホテルにチェックインした後、街のシンボルの湖のほとりを散歩していたら、鳥に餌やりをしていた青年が話しかけてくれました。日本から来ていると伝えると、

「Everybody loves you in this village! (この村の誰もが、あなたを愛しています)」

と言いました。ハルバードは観光客がほとんど来ないだけでなく、日本人は極めて稀なのだそうです。青年はそんな珍客を歓迎し、湖のほとりにあるヒンドゥー教寺院に案内をしてくれました。寺院の中には階段井戸があり、その水は先ほどの湖と直結していました。多くの生物の命を育む湖は、長年この寺院とともに大切にされてきたのでしょう。

この日寺院では宗教行事が行われていて、そのために多くの人が集まっていました。案内してくれた青年が私が日本人であることを伝えると、その珍しさにあっという間に周囲に人だかりができ、セルフィー祭りが始まりました。そして、チャイやラドゥ(インドのスイーツ)から、行事のために準備されていた料理をあれこれご馳走になってしまう始末。さらに私がグジャラートにスパイスの調査のために来ていると言うと、偶然スパイス農家が居合わせていて、急遽農園を案内してもらえることになりました。

ヒンドゥー寺院で突然セレモニーのドラム隊に包囲された様子

その日の夕方、スパイス農家のナヤンさんに連れられ、ハルバードの中心からほど近い彼のおばさんの農園へ。ほとりには見るからに新しい川がありました。

「この地域はもともと雨季にしか作物が育たなかったんです。でも3年前に、この雨季の雨水を活用する『ケナル』と言うシステムを政府が建設してくれたおかげで、乾季にも作物を育てることができるようになりました。雨季にはピーナツ、乾季にはコリアンダーやフェンネル、クミンなどを生産しています。」

と言いました。畑の横にはソーラーパネルがあり、発電したエネルギーを通じて、『ケナル』から水を引き、灌漑を行っているそうです。

ハルバードの街の中心には種屋も多く見かけたのですが、ナヤンさんの農園は自分たちの農園で種を管理していて、その年に実ったスパイスのうち出来の良いものを翌シーズンの種に回しています。その際に「アナン」など名前をつける習慣があるというのも、インドらしくていいな、と感心しました。一方、気候変動の影響で収量が減ったり不出来になるシーズンも多いクミンについては、やむを得ず種屋で購入せざるを得ず、コストが嵩んでしまうことも。

「僕は普段薬剤師をしているんですが、ここ数年家族や親戚のスパイスの仕事をサポートするようになったんです。そこで感じた1番の課題は、今の販売先がマンディ(公設市場)しかなく、エージェントを通じて安価に買い取られてしまうことも少なくありません。だからいつまでも農家は貧乏なままなんです。だからこそ、僕はサプライヤーや企業に直接購入してもらえるように働きかけたいと思っています。」

と、ナヤンさんが意欲に満ちた様子で言いました。そこで、私はこれまでのリサーチで知った、農家とサプライヤーの直接取引を支援するアプリケーションを紹介しました。ほんの小さなことだけど、フィールドワークで得たものを、現地で還元できたなら。

ナヤンさんとおばさんの背丈よりも高いフェンネル

そしてここへ来て、私は種の流通の仕組みをより学びたいと思い始めました。別の農家に種のサプライヤーを紹介してほしいと伝えたのですが、日本から来たリサーチャーということに警戒して、お会いすることができませんでした。しかし、捨てる神あれば拾う神あり。滞在していたホテルのオーナーのアカシュさんが、種屋の事業を経営していることを知り、詳しくお話を伺うことに。

「3年前に種のビジネスを開始したんです。ハルバードは約70%の人が農業従事者なので、ビジネスチャンスがあるなと思ってね。今では72の村の人たちに種を提供しています。といっても僕たちが種を作っているわけではなくて、それぞれの作物の種まきの時期の3ヶ月前に、大手BtoBの種業者からサンプルを取り寄せて、発芽率をチェックし、80〜90%台のものだけを厳選して購入しています。メジャーな種業者は50社〜60社程あって、州ごとにベストな種業者が異なるんです。これらの企業は収穫シーズンの後、農家から固定種の種子を集め、殺菌消毒したものを卸販売しています。僕らはそれを買って、農家が必要な量に包装して販売しているというわけです。」

アカシュさんは、そう言って紙に種の流通の構図を描きながら、丁寧に教えてくれました。他のスパイスに比べて、クミンは自家採種に失敗する確率が高く、収穫の45日前(つまり毎年1月頃)に11度から24度の気温であることが重要だといいます。近年は気候変動で気温が高くなる傾向があり、その時期に28度を超えることで、クミンが死んでしまうのだそうです。

ハルバーどのホテルのオーナーで、種屋の事業も経営しているのアカシュさん

私はアカシュさんさんから、グジャラート州のベストな種業者の名前を3つ教えてもらい訪問を試みましたが、結論から言うと、その3つ以外の全ての種業者から断られてしまいました。オフィスに直接訪問してみたりもしましたが、全て空振りに。ビジネスになりそうもない相手だからなのか、他の理由があるのか、色々と勘繰ってしまいまいました。

それにしても「Everybody loves you in this village!」と言われた通り、ハルバードでの歓迎ぶりは想像を超えていました。寺院での体験以外でも、屋台でアイスを食べようとしたら居合わせた客がご馳走してくれたり、「ダベリ」というグジャラート特有のストリートフードを食べていたら、オーナーがペストリーをサービスしてくれたりと、たった2日間の滞在で、たくさんの方におお世話になりました。

要塞都市だったハルバードの街角

そんなハルバードに後ろ髪を引かれながら、ローカルバスでカッチ地区最大の都市ブージへ。カッチ湿原へはバスでも行けますが、オートリキシャは走っていないため、途中下車しやすい車をチャーターして、塩の大地のあるラン・オブ・カッチ湖を目指します。途中少数民族の村で、織物や刺繍の職人技を見学させていただきました。少数民族集落には緑がありますが、その間と間の道は、畑もなく、牛の死骸が転がっているような乾燥した大地が数十キロも広がり、ここで立ち往生してしまったら、死に絶えてしまうだろうなと想像しました。

お昼時、メグワルという少数民族の村で料理の作り方を教えていただけることになりました。サブジという野菜炒めと、雑穀から作った平焼きパンのロトラのシンプルなランチ。グジャラートはコットンの産地でもあるので、油にコットンシードオイルを使い、ナスやカリフラワーなどの野菜を炒め煮にしていきます。元々彼らの文化にはこれらの野菜を使う習慣はほとんどなかったようですが、スパイスもターメリックとコリアンダー、カシミリチリパウダーという極めてシンプルな組み合わせ。薪火で焼いたソルガムのロトラが香ばしく手が進みます。

家の壁には牛糞が使われる。メグワル族の民族衣装、バングルの数に驚き
メグワル族のソルガムのロトラとサブジ。ジャガリー(赤糖)と一緒に食べる

そして車はラン・オブ・カッチ湖に浮かぶドーラビーラという街へ。通称「Road to Heaven(天国への道)」と呼ばれる 一本道を渡ります。左右に塩が結晶化した白い大地が広がり、草木は一本もなく、生き物は渡鳥のフラミンゴが数匹佇んでいるだけという、静寂に包まれます。走り進めると、数百等もの牛が牛飼いとともに、私たちと同じドーラビーラを目指しています。30km以上はあるだろうに、水場もなく生きて辿り着けるのでしょうか。水平線まで続く森閑に、カウベルの「カランコロン」という音が鳴ると、それはまるで真っ新なキャンパスに絵の具を落としたようです。

そんな極限の世界から、ドーラビーラに辿り着くと、突如周りは突然農地になり、緑の大地が顔を見せました。ドーラビーラはとても小さな街で、予約していたヴィラの周りにはレストランも無し。恐らく観光業以外は農業で生計を立てている人がほとんどなのでしょう。オートリキシャも走っていないので、ヴィラで交渉してスクーターを借り、翌日は周辺を探索してみることにしました。

地平線まで広がる塩の大地

ヴィラの少し北に行くと、2021年に世界遺産に登録されたというインダス文明の都市遺跡「ドーラビーラ遺跡」がありました。紀元前3000年から始まり、用水路や貯水池の技術が発達したことで、乾燥地帯でありながら多くの人々が定住してきました。さらにその暮らしを支えたと言われるのが、ドーラビーラに注ぎ込む「サラスヴァティー川」。インド最古の聖典「リグ・ヴェーダ」をはじめ古代インドの文献に登場しながら、現在は無くなったとされていることから、「幻の川」とも言われます。また、「サラスヴァティー」とは水と豊穣の女神であり、日本ではみなさんご存知、七福神の「弁財天」として親しまれています。

故郷広島の厳島神社には日本三大弁財天もあり、好きな神様の一つでもあったので、「伝説のサラスヴァティー川は存在するのか?」を確かめるべく、Google Mapを頼りに、スクーターで川らしき跡を目指しました。すると、その川の跡の近くに、見覚えのある作物が…!それは、紫色の小さな花を付けたクミンだったのです。こんな極限の大地の果てに、スパイスが実っているとは想像もしていなかった私は、興奮して畑の奥にいる農家に駆け寄り、翻訳機とほんの少しにヒンディー語でお話を伺いました。

「僕自身は20年ほど前からですが、元々ここは先祖代々のクミン農家です。現在2エーカー(約1ha)の敷地で栽培していて、収穫したクミンは、世界最大のクミンのマーケットである、グジャラート州の『ウンジャ』で販売しています。ここからはかなり遠いですが、それでもラージコートで販売するより、高く買い取ってもらえる傾向があるんです。」

そう教えてくれたのは、少数民族のカラジャンさん。ご両親と兄弟と、一緒に農作業中でした。それにしても、塩湖にほど近い乾燥した大地で、なぜクミンは育つのか?その秘訣をカラジャンさんに聞いてみました。

「その奥に川が見えるでしょう?あれはサラスヴァティー川という聖なる川で、ここのクミンはサラスヴァティー川の水に育まれているんですよ。」

まさか、興味本位で探していたサラスヴァティー川が、長年この地でクミンを育んでいたとは予想もせず、胸がときめきました。もしかするとこの地では、インダス文明の時代から、サラスヴァティー川によってスパイス料理文化が支えられていたかもしれません。塩の大地のから、天国への道を抜けたその先には、スパイスの歴史発掘の可能が潜んでいたのです。

少数民族でクミン農家のカラジャンさんとお母さん
極限の大地でクミンを育むサラスヴァティー川

一方で、どうしても気にかかってしまうことがありました。気候変動が進むことで、このサラスヴァティー川がいよいよ消失してしまうのではないかということ。カラジャンさんは、現段階でその危機は感じていないそうですが、インドの干ばつによる農作物の被害は、年々拡大しているのは確かです。

少数民族をはじめ、魅力に満ちた多様な食文化が溢るグジャラート。インダス文明が滅びたように、気候変動によって現地の人たちが受け継いできた営みと文化を過去の遺産にしてしまうのか?私はサラスヴァティーに、そんな問いを突きつけられたように感じました。

インダス文明の地に実るクミン


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