見出し画像

『茶会 またひとつ星が』の静かな時間

こんばんは。
自分が満ちていると感じる時、皆さんはどのような行動を取りますか。
そっとそのままにしておきたい。
自らの手で溢れさせたい。
どちらでもなく、どちらの気持ちも同時に混在することがあるかもしれません。
どうあっても、「何かを表す」ということは「表せなかった何か」について考えさせてくるものだな、と気づきました。

今日は、ON READINGさんでの『茶会 またひとつ星が』へ行ってきました。
「電気のついていない」空間。
そこで、
「“ひかり”をテーマ」に選ばれた詩
「光を透かし、あるいははらむ小さな立体物」である和菓子
光に反射する「岩絵具を使った絵画」

にふれてきました。
「心静か」をまさに感じる時間でした。
そして、自分は「静けさ」というものを普段どれほど避けていたのだろうと反省する気持ちにもなりました。

「静けさ」とは、「無音」ということではありません。
もちろん、無音は静かであることと思いますが、「静けさ」とは「自ら発する音を無くそうとしてみること」なのではないかな、と思います。
一人でいる時、どこにいるとしてもスマホから音を流していることが多いです。
それは、音を聞きたいというよりも(そういう時もある)、「静けさを遠ざけたい」と思っていたのかもしれません。
「自ら発する音を無くそうとしてみる」と、「周りの音」自分の「無言の声」に耳を澄ませることになります。
それらは大事な事、耳を澄まして聞いた方がいい事だと認識していたとしても、音でかき消してしまう方へ流れてしまうこともあります。

「自ら発する音を無くそうとしてみる」と、今まで聞こえなかった「周りの音」や自分の「無言の声」が聞こえてくる。
「電気を消してみる」と、外だけにあると思えた光が「自分の内」にも感じられる。
「ある」を感じるのは、「ない」ところからの視点なのかもしれません。
たぶん、そうではないこともあります。
しかし、「ない」ところから「ある」は感じやすいものだとは思います。

本当は確かにあるものが、それ以上に強い刺激の中ではないもののようになってしまっていること。
その強さは、そのままに刺激的です。
しかし、刺激の強さが豊かさの深度と常に同じなわけではありません。
かき消してしまうのではなく、勇気を持って「静けさ」に飛び込んでみることで、「あるものをある」と感じられるのだな、と思いました。

ON READINGさん
田中藍衣さん
菓子屋おむすび / 芦川結衣さん
静かな、素敵な時間をありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?