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僕たちの「想像力」を支えるものは何か?

「同感からしか共感は生まれないのか」
タイトルにこれだけ書いて、下書きにしていました。
今、ブラッドベリチャレンジの論考で読んでいるのが「訂正可能性の哲学」という本です。
まだ途中なのですが、前半で気になったところがあり、そこから浮かんだ言葉を残していました。
読みすすめていくうちに、この本の主題はそこではない気もするし、「同感からしか共感は生まれないのか」ということについて今、書きたくなったので、書いてみようと思います。

タイトルを変更していますが、改めて「訂正可能性の哲学」の気になっていた箇所を読み返してみると、「そもそも共感ってなに?」というところに立ち返ってきました。
皆さんにとって、「共感」とはどんなものでしょうか?
最近は、コミュニケーションの話の中でも、「共感的に相手の話を聴きましょう」などと言われることもあるかもしれませんね。
アメリカの心理学者でカウンセリングの基礎を築いたカール・ロジャーズは、傾聴の基本として「共感的理解」「無条件の肯定的関心」「自己一致」を挙げています。

同感と共感。
これも人によって解釈は異なるものだとは思いますが、僕なりの解釈は次のような感じです。
同感は、自分の視点から相手の話を聴き、相手と同じような気持ちになること。
共感は、相手の視点に立ち、そこから相手の気持ちを感じようとすること。
これが正しい解釈と言いたいわけではないですし、こう解釈したとき「共感と自己一致は共存できるのだろうか?」と僕は思ってしまいます。
考えたいのは、『ここに書いたような「共感」はどこから生まれるのか?』ということです。

相手の視点に立つ。
それは、「想像力」を使うことだと思います。
だとすれば、その「想像力」はどこから生まれるのか?
その「想像力の解像度」は何に支えられているものなのか?
皆さんは、どんなことが浮かんできますか?

きっと、どこか一つだけを起点に「想像力」が生まれるわけでもないし、「想像力の解像度」を支えてくれるものは複数あるものだと思います。
そして、その中の一つが「自分の経験や感情を丁寧に見つめること」だと僕は思います。
それは、「経験や感情にあるグラデーションの豊かさを知っていくこと」へ繋がっています。
言葉で表せば一つの経験や感情になってしまうものも、そこにはグラデーションがあり、その豊かさや差異に気づくこと。
それができたとき、「想像力の解像度」が上がるように思います。
皆さんは、他にどんなことが浮かんだでしょうか?

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