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【カトリック信仰】オピニオンリーダー論✡聖ケネディの復権✡


世界的なオピニオンリーダーの「資質」とはカトリック信仰である

せんじゅかんのん【千手観音】
Sahasra-bhuja
千手千眼観音ともいわれる。六観音の一つ。千手を持ち,おのおのの手掌に目のある観音。千手は慈悲の広大を示し,千眼は化導の智が円満自在であることを表わす。餓鬼道に落ちている者を救う大悲観音で,普通は 42臂,27面の形像。眷属に⇨二十八部衆がある。日本における千手観音の信仰は8世紀以来行われ,その像は全国的に多数分布している。8世紀の遺品としては,大阪葛井寺の乾漆造坐像,次いで9世紀前半と考えられる唐招提寺金堂の像がある。その他平安時代初期のものには広隆寺講堂,延暦寺の像など。また三十三間堂には,本尊の湛慶作の坐像を中心にその左右に各 500体ずつ,合計 1001体の千手観音像があり,その大部分が鎌倉時代建長年間に造られ,壮観をきわめる。遺品の多くは手の数を省略して 42臂のものが多いが,葛井寺,唐招提寺など初期のものには実際に 1000本の手をもつものもある。

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カトリック
catholic church
語源はギリシア語の katholikosで,普遍的,世界的,全体的の意。アンチオキアのイグナチオスが初めてこの語を『スミュルナ人への手紙』でキリストによる教会の特徴的形容に用い,以来「カトリック教会」は万人万代を包括する普遍的教会,また異端離教に対する真の教会の意に用いられた。この原義は教会の公性 catholicitasとしてニカイア信条でキリスト教の根本性格の一つにあげられ,アウグスチヌスもこれを強調した。公性は同一性と普遍性をその特徴とするが,歴史上その具現は教皇を可見的首長とする統一組織,ローマ・カトリック教会においてなされたとするのがローマ・カトリック教会の主張であり,歴史的にもローマ・カトリック教会に対して「カトリック」が一般的な呼び名となっている。ギリシア正教会,一部のプロテスタント教会も真のカトリック教会を自負している。

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オピニオンリーダー像

偉大な「オピニオンリーダー」となった人物は共通して「カトリック信仰」を持っています。
ただ現代の「テレビコメンテーター」や「有名芸能人」の「発言」は「カトリック信仰」から程遠いだろうと思う訳です。
その理由は非常に明確であるだろう。

それは「ヲタク」という概念によく現れています。
「ヲタク」とは「カトリック信仰」を拒絶した「倒錯集団(冒涜集団)」を意味しています。
「ヲタク」とは「神の光」が照らし出す「真実」を拒否し、「倒錯集団(冒涜集団)」が形成する「ドクサ」(デマゴギー)を崇拝するあり方なのです。

「カトリック信仰」を持った「オピニオンリーダー」は「真実」を報道し、「ヲタク」の「オピニオンリーダー」は「虚偽」を大宣伝していく訳です。

このあり方は「知識の廃棄」(カトリック)が「イマーゴ(神の似姿)」を信仰し、「知識の鵜呑み」(ヲタク)が「倒錯偶像(冒涜偶像)」を崇拝しているとも言えます。

対象的な例を2つ挙げたいと思います

1つ目は東京放送(TBS)の実力者「今道潤三」とフジテレビジョンの鬼才「鹿内春雄」です

東京放送(TBS)の黄金時代が「オピニオンリーダー」の創出を可能とした

今道潤三がデザインしたとされる東京放送(TBS)のロゴマーク

又、「ブリタニカ百科事典」で有名な「TBSブリタニカ」も今道潤三の主導と言われている。

今道潤三(左)と鹿倉吉次(右)

日本の民間放送は足立正初代TBS社長と鹿倉吉次TBS専務によった東京放送(TBS)体制から始まったと言っていいと思います。
その後に足立正は初代民放連会長となりました。
足立正は王子製紙の社長を務めた財界の実力者だった。
しかしマス・コミュニケーションに関して素人であった。
彼は実質的な経営を担うTBS専務の人選を自分が決めることを条件に初代TBS社長を引き受けました。
そして選ばれたTBS専務が毎日新聞社を公職追放となっていた鹿倉吉次だった訳です。
後に鹿倉吉次TBS専務が2代目TBS社長となり彼に見出された今道潤三TBS専務が3代目TBS社長となって行きます。
今道潤三3代目TBS社長は足立正民放連会長の後任として2代目民放連会長となって行きました。

東京放送(TBS)は当初「電通、毎日新聞社系、朝日新聞社系、読売新聞社系」への放送免許の割り当ての都合から合同で創設した放送局だった。
しかし当時、最有力の放送局は毎日新聞社系であり最も準備が出来ていたと言われています。
実質的に東京放送(TBS)は毎日新聞社系色の強い放送局と言えるかもしれません。
何故なら当時最も実力があったのは毎日新聞社系だったからです。

毎日新聞社系がその後、経営危機に見舞われ失墜していった事件は日本国にとって大きなマイナスであったと思います。
何故なら実力のある会社が経営危機に陥ることは不運でしかありません。

ただここで言えることは日本の民間放送とは東京放送(TBS)が実力を持った「オピニオンリーダー」となっていくことで成立したという事実です。

従来、日本のマス・コミュニケーションでは毎日新聞社から「カトリック信仰」を持った「オピニオンリーダー」が多く生まれています。
その理由を私は存じ上げておりません。

私の実家では名古屋在住時に中日新聞を購読し、千葉県在住時に朝日新聞を購読していたのです。
毎日新聞と私はあまり縁がなかった訳です。

ただ大阪毎日新聞社の社長を務めた実力者「原敬」は「キリスト教・カトリック信仰」を持った人物だと明らかになっています。
原敬は後に日本国首相に任命され任期中に暗殺されたと言われています。

私が存じ上げている「カトリック信仰」を持った「政治的トップ(オピニオンリーダー)」の暗殺事件とは「原敬首相」と「ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ大統領」の両名です。

そして東京放送(TBS)の創設時にTBS専務を務めて実質的な会社運営を行っていたとされる鹿倉吉次とは毎日新聞社出身の実力者であった訳です。
ただ彼は慶應義塾大学で学んでは居ますが大学生ではなく職員の身分であったらしい。
鹿倉吉次は労働者であって学生であり、学生であって労働者だった訳です。
鹿倉吉次はどうやら慶應義塾大学の職員として学んでいただけで慶應義塾大学の学位は取得していなかったようです。
又、毎日新聞社に於いても新聞販売営業の担当を務め、新聞紙面編集の担当を務めていなかったようです。
ただ良い紙面を作るために意見はしていました。
そのようなことから鹿倉吉次は自らが「オピニオンリーダー」となって発言することは殆どなかったようです。
鹿倉吉次はそのような役目は大学を卒業した方の役目だと見做していたようでした。
その代わりかどうかは分かりませんが鹿倉吉次に見出された今道潤三が偉大な「オピニオンリーダー」となっていきました。
そういう意味で今道潤三とは毎日新聞社系の東薫を受けたことで花開いたと言えます。
今道潤三は鹿倉吉次に見出され「カトリック信仰」を持った偉大な「オピニオンリーダー」となって行きました。

そして今道潤三は日本民間放送に於いても偉大な「オピニオンリーダー」として異彩を放っていきました。

現在の情報戦の中でテレビ局の放送免許の順番だけで日本テレビ放送網が日本民間放送を主導していたかのようなイメージ操作が行われています。
しかしそれは明らかな「ドクサ」(デマゴギー)であった。

東京放送(TBS)には「カトリック信仰」によって良い番組を制作していくという「理想(理念)」があった訳です。
それは真っ当な商売こそが良い商売であるという意味でもあった。
そうやって東京放送(TBS)は「黄金時代」を築いて行きました。
その「黄金時代」は日本民間放送の絶頂期と言えるかも知れません。

その後の「テレビ業界」は東京放送(TBS)の「理想(理念)」へ敵対する「視聴率競争」(広告収入重視)を扇動した「倒錯宣伝(冒涜宣伝)」の番組制作が支配し「荒廃状態」となって行きました。

「テレビ業界」の簡単な流れを指摘する

フジサンケイグループCIの先頭に立っていた故鹿内春雄議長は、「これは何だろう、と意表をつくもの」を求めていた。

フジテレビジョンの倒錯(冒涜)のあり方
ここに「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」を見い出すことは容易い。
先ずこの目のマークは「逆まつげ」だと想像されます。
「逆まつげ」は「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」を示している。

そして「説明責任」を完全に放棄したエニグマとなっている。

「楽しくなければテレビじゃない」は「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」のスローガンだった。
要は楽しいというのは視聴者の主観によっている筈です。
同じ番組でも楽しいと感じる人も居れば楽しくないと感じる人も居る。
そこに誰でもが楽しくなければならないといった「倒錯感覚(冒涜感覚)」を強制している。
誰でもが楽しいと思わなければならないといった狂気の「倒錯制作(冒涜制作)」が主導されたことが示めされている。

「視聴率競争」(広告収入重視)

  1. 1985年7月フジサンケイグループ全体のCIとして、目をイメージしたマークを発表。

  2. CIの先頭に立っていた故鹿内春雄議長は、「これは何だろう、と意表をつくもの」を求めていた。

  3. 「楽しくなければテレビじゃない」というフジテレビの方針があった。

  4. 視聴率も上昇気流にあった。

朝日新聞(1991年7月23日朝刊)

フジサンケイグループのCIは鬼才「鹿内春雄」が主導しました。
鹿内春雄は若くして急死されました。
鹿内春雄議長の死後のフジサンケイグループの権力は鹿内宏明が継承しました。
しかし鹿内信隆の死後に日枝久のクーデターが起こり鹿内家の支配は転覆されました。
鹿内家はフジサンケイグループの株式を多く保有しており今でも大きな発言権はあるでしょう。
しかし現在のフジサンケイグループの権力構造がどうなっているのかを私は全く知りません。
ただ公にはクーデターの首謀者「日枝久」が今でも実権を握っているとされています。
私には日枝久だけでこのようなクーデター後の支配は無理ではないかと推測しています。
何か明らかにされていない裏側の関係性があるのでしょう。

ライブドアの堀江貴文による株式買い占めが起こった事件もありました。
それはフジサンケイグループの持ち株関係の盲点を突いた堀江貴文等の仕掛けであったらしい。
ただ株式の操作だけで権力を掌握しようとすることについては私は疑問を持っています。
それは「理想(理念)」を持った会社に対する冒涜についてであってフジサンケイグループは当初から株式を多く所有していた鹿内家の支配下にあった。
だからそれほどは同情されない訳です。

当時は東京放送(TBS)も楽天の三木谷浩史の株式買い占めによって経営統合の提案がなされた事件もありました。
東京放送(TBS)はそれを拒否したと思います。
ただ東京放送(TBS)は「カトリック信仰」を持った「オピニオンリーダー」を受け入れることはできるだろうと思います。

しかし楽天の三木谷浩史はそのような人物でしょうか?

実は私は楽天の三木谷浩史の実像を全く知りません。
IT企業の一大グループを率いている大人物であることは認めます。
それは当時の堀江貴文も同様でした。
ただ堀江貴文に関しては「ITバブル」と「株式操作」によって権力と財産を得たに過ぎす「カトリック信仰」を持った「オピニオンリーダー」というより「倒錯集団(冒涜集団)」の「オピニオンリーダー」に見えます。

では三木谷浩史はどうでしょうか?

ただ現在、三木谷浩史の楽天グループは企業買収などにより事業拡大をすることによって「楽天経済圏」と呼ばれるまでになっています。
それを見ていくと三木谷浩史が提案した東京放送(TBS)と楽天グループの経営統合案に東京放送(TBS)の「理想(理念)」に対する「オマージュ(イマーゴ)」はあまり感じられません。
この経営統合案は三木谷浩史等が構想した「楽天経済圏拡大」のための企業買収事案に過ぎなかったようです。

こうなると三木谷浩史に「カトリック信仰」を持った「オピニオンリーダー」の欠片が見当たらない訳です。
三木谷浩史にとって東京放送(TBS)との経営統合案は楽天グループの拡大路線の延長プランに過ぎなかった。
三木谷浩史にとっても「カトリック信仰」は「倒錯対象(冒涜対象)」となっていると想像される。

そうなると三木谷浩史も「倒錯集団(冒涜集団)」の「オピニオンリーダー」と見做されると言うことです。

当然の如く東京放送(TBS)は経営統合案を拒否しました。

この時期から自社株式を管理する企業防衛が盛んになされるようになりました。
「TBSホールディングス」もそういった企業防衛の結果として出来あがった企業形態なのです。

鬼才「鹿内春雄」が主導した「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」について

ではフジテレビジョンの鬼才「鹿内春雄」が主導した「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」へ話題を戻したいと思います。

鬼才「鹿内春雄」の急死に「陰謀論」を感じる方もいらっしゃるかも知れません。
私も「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」を主導した危険なカリスマの若き死に不信感を感じずには居られません。
暗殺の可能性を感じる訳です。
しかしそれは私の憶測の範囲を出ない話です。

生前の鹿内春雄は「ヲタク」の「オピニオンリーダー」でありました。
鹿内春雄は「倒錯集団(冒涜集団)」の「オピニオンリーダー」として非常に強い影響力を持っていた。
それは「カトリック信仰」を「倒錯対象(冒涜対象)」として「倒錯番組(冒涜番組)」を制作するという「俗悪」なものでした。
何故「俗悪」かと言えば全てを貶めることを良しとするからです。
東京放送(TBS)の「理想(理念)」を持った番組を「倒錯対象(冒涜対象)」としてフジテレビジョンは徹底的に潰していった訳です。
そうやって「倒錯番組(冒涜番組)」は制作されていきました。
このようにフジテレビジョンは「視聴率競争」(広告収入重視)に於いて勝ち進んで行きました。
フジテレビジョンは「潰し屋」(殺し屋)だった訳です。

そういった鹿内春雄のやり口は彼の父「鹿内信隆」からフジサンケイグループの権力を継承したことで可能となりました。
そしてその実情はサリン攻撃と同じ意味を持った「倒錯番組(冒涜番組)」によって「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」の大宣伝活動(キャンペーン)を行っていくものであった訳です。
東京放送(TBS)の「理想(理念)」を持った全ての番組を潰して行きました。
フジサンケイグループは「イマーゴ(神の似姿)」を貶めた「潰し屋」(殺し屋)だった訳です。
鹿内春雄は今で言う「ヲタク芸術」の神様(ルシファー)でした。
そして「俗悪番組」(倒錯と冒涜)を大宣伝して行きました。
フジサンケイグループのCIは全てこのような「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」として形成されていました。

フジテレビジョンの横澤彪プロデューサーが制作したバラエティ番組によって「倒錯(冒涜)が芸風」であり「倒錯(冒涜)がお笑い」であると言った「お笑い文化」も形成されていきました。
しかしここに最大のパラドックスが存在していました。

「文化社会」とは「カトリック信仰」を持った集団を形成することであり得ます。
「大学」とはその象徴的な存在である筈です。
「キャンパスライフ」で豪遊すると言った発想は本来は「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」と言えます。

そしてそういった「大学」という「信仰集団」に於いて「カトリック信仰」を持った「オピニオンリーダー」が「救世主」として待望されます。
それが「ユダヤ・メシア待望論」又は「キリスト教・カトリック信仰」と言えます。

しかしフジテレビジョンの横澤彪プロデューサーは「倒錯(冒涜)が芸風」であり「倒錯(冒涜)がお笑い」であると言って「文化社会」を冒涜する「お笑い文化」を大宣伝した訳です。
それは「文化」と名乗っていますが有名無実でした。

「キャンパスナイトフジ」といった「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」を大宣伝した訳であります。
女子大生は水着ギャルと言った倒錯イメージ(冒涜イメージ)です。
このような「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」とは「黒ミサの儀式」を意味しています。
要は「バフォメットの偶像崇拝」を示していました。
「異端教団」の存在を示していた訳です。
「信仰集団」である筈の「大学」と相反した「異端教団」が「キャンパスライフ」としての「大学生の実態」とされました。

「大学生の実態」とは「倒錯学生(冒涜学生)」と言う訳です。

そのような「お笑い文化」により「文化社会」が荒廃していく訳だから「文化破壊」に陥った社会の崩壊は必定だった。
一般的に大学生が「文化破壊」を正当化したら「文化社会」は死んでしまうと言われています。

柄谷行人先生は「千手観音」だった

私は柄谷行人先生が下北沢の講演会で労働者と学生について話していたのを聴きました。
それは労働者であって学生でもあると言った話です。
柄谷行人先生は自らを学生だと言われました。
柄谷行人先生は高名な学者で居られますが自らを学生であると言われたのです。
そして労働者は学生でもあると主張されました。
その逆も然りです。
それによって「文化社会」は復権すると言われていました。

「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」は「文化破壊」を招き「末法思想」へ陥る

ただ最大のパラドックスは「倒錯文化(冒涜文化)の不可能性」から来ていました。
フジサンケイグループの宣伝活動(キャンペーン)による「文化破壊」が「テレビ文化」とされることで矛盾が起きていました。

例えば「トレンディードラマ」や「お笑い文化」は「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」の宣伝番組でしかなかった訳です。
「文化破壊」が「視聴率競争」(広告収入重視)に於いて優位となったことで「人間存在」も終わりを迎えてしまった訳です。
「文化破壊」という惨状に対して「末法思想」が起こっていくのは必定でした。

まっぽうしそう【末法思想】
釈尊の入滅後,年代がたつにつれて正しい教法が衰滅することを説いた仏教の予言,およびそれに基づく思想。⇨正法,⇨像法の時代を経て,教えのみ残り,修行も悟りも得られなくなる末法に入るとされる。釈尊の入滅およびそれ以後の⇨正像末の年数に関しては異説があるが,平安時代末期に,釈尊入滅を壬申の年(前 949)とし,正法 1000年,像法 1000年ののち永承7(1052)年に末法を迎えるとする説が行われた。末法思想は当時の思想の指導的原理となって,それを乗越えたところに新しい宗教が起ることとなった。末法思想はすでに早く中国において注目されていたが,特に唐の道綽,善導などは末法に相応する教法は浄土教のみであると主張し,日本の源信,源空などもこれを受けて浄土思想を鼓吹した。

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このような「倒錯文化(冒涜文化)」とは「文化」への「黒ミサの儀式」でありアンチカルチャー、アンチカトリック、アンチキリストを示していた。

柄谷行人先生の導き

このような「文化破壊」に対抗するには柄谷行人先生が言われるような「労働者」を「学生」として見做す必要がある訳です。

確かに現在の大学は荒廃しております。
それに対し大学の特権的なあり方を反故にして「カトリック信仰」を持った「学問集団」を「労働者」の中に見出していくべきなのです。

それが「学生は労働者でもあり、労働者は学生でもある」といったあり方です。

これによって柄谷行人先生が言われた「労働者」を「学生」として見做すことが可能となって行きます。
学生の特権的地位は全ての人に平等にあり得ることを示していく訳です。

こういったあり方が「カトリック信仰」です。
又それは「千手観音」を信仰することです。

「末法思想」とは一般に「阿弥陀如来」を崇拝します

あみだぶつ【阿弥陀仏】
Amitābha; Amitāyus
阿弥陀如来ともいう。無量光,無量寿と漢訳。極楽浄土に存在する仏でおもに浄土教で信仰される。その起源については異説が多い。 100年頃の『⇨無量寿経』によれば,阿弥陀仏は世自在王仏のとき法蔵比丘という菩薩であったが 48の誓願を立てて修行し仏となり,極楽浄土を設立し現在もそこで説法している,とある。極楽浄土は修行者の罪業や修行の程度に従い9種に分けられ,9等の浄土に住する九品阿弥陀は9種の印を結ぶことがある。日本には7世紀初め頃に阿弥陀仏信仰が伝えられ,平安時代中期以降隆盛し,多くの画像や彫像が造られた。脇侍に観音と勢至菩薩をもつ三尊形式のものも多い。遺品には,法隆寺金堂壁画中の像,橘夫人厨子の三尊像(ともに白鳳時代),法隆寺伝法堂の3組の三尊像,東京国立博物館の三尊像(ともに天平時代),京都の清涼寺,広隆寺,平等院,三千院などの平安時代の作がある。また奈良・平安・鎌倉時代には⇨阿弥陀来迎図も多く描かれた。

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かんぜおん‐ぼさつ【観世音菩薩】クワンゼオン‐
《(梵)Avalokiteśvaraの訳》世の人々の音声を観じて、その苦悩から救済する菩薩。人々の姿に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となるといい、その姿は六観音・三十三観音などに表される。また、勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇侍で、宝冠に化仏(けぶつ)をつけ、独尊としても信仰される。観音菩薩。観自在菩薩。観世音。
◈鳩摩羅什(くまらじゅう)による旧訳で、玄奘(げんじょう)の新訳では「観自在」とされる。

『大辞泉 第二版』 小学館

せいしぼさつ【勢至菩薩】
阿弥陀三尊の一つ。大勢至,大精進,得大勢ともいわれる。阿弥陀仏の右の脇侍(わきじ)菩薩で,智慧の光により衆生に菩薩心の種子を与えるとされる。

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あみだくじ【阿弥陀くじ】
くじの一種。紙上に人数分だけの線を放射状に書き,線の開いたほうの末端に金額を記入して隠し折る。放射線のかなめの部分で,各人にそれぞれの線を選ばせてから開き,当った金額を各自が出して菓子などを買い,平等に分配する。変種としては縦線の間に横線を入れてそれをたどるものもある。放射状に伸びる線が阿弥陀如来の後光に似ているところから,また,阿弥陀如来の功徳は万民平等であるとされることから名づけられた。

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○阿弥陀の光も金次第
阿弥陀仏でも賽銭を多く奉るものに利益を多く与える。世の中は万事金次第であるの意。「阿弥陀も銭ほど光る」とも。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

「カトリック信仰」では「千手観音」を信仰します

千手観音
せんじゅかんのん
サンスクリット Sahasrabhuja‐arya‐avalokite⇒vara の訳で,千手千眼観自在とも,あるいは大悲観音,千臂(せんぴ)観音とも称する。変化観音の一つで,千手は慈悲の広大を,千眼は化導の智が円満自在であることを表す。衆生済度にさし伸べる無数の手をもつ観音として,7世紀ころにインドのヒンドゥー教の多面多臂像の影響をうけて成立したと考えられる。しかしインドには作例が見られず,西域,中国,日本においては雑密(ぞうみつ)時代から多くの作例を見うる。図像的には胎蔵界曼荼羅虚空蔵院中の千手観音が知られ,二十七面で四十二臂の座像で,背後に無数の小手がある。しかし通例は大手四十二臂のみとし,中には四十臂の像もある。さらに頭上の面も二十七面のほか十一面の作例も多い。各手の持物については,儀軌によって種々な異同がある。婆藪仙(ばすうせん),功徳天,さらに二十八部衆を眷属(けんぞく)として伴う場合がある。中国では敦煌より請来した絹絵中に8,9世紀の作例が数点あり,また南宋とされる永保寺本がよく知られている。日本では雑密の奈良時代よりすでに造像され,損井寺(ふじいでら)の座像や唐招提寺の立像はいずれも乾漆造で,しかも千手を表現した大作である。平安時代以降では広隆寺像や東寺食堂像などがあり,大手四十二手に限定される。さらに平安末期には後白河院によって,蓮華王院(三十三間堂)に千体の千手観音を造像することが行われた。絵画としては平安時代末期の東京国立博物館本,日野原家本や,鎌倉時代の安楽律院本,清澄寺本などがある。これらはいずれも婆藪仙,功徳天の眷属を伴う。さらには耕三寺本,金峯山寺本などがある。
百橋 明穂

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二十八部衆
にじゅうはちぶしゅう
千手観音の眷属で,千手観音を信仰するものを守る二十八部の護法善神。千手観音二十八部衆,観音二十八部衆などともいう。唐の伽梵達摩訳《千手千眼観世音菩醍広大円満無礙大悲心陀羅尼経》,唐の善無畏訳《千手観音造次第法儀軌》などに説かれているが,二十八の名称については諸経に多少の差がある。現存作例の中で最も著名な京都蓮華王院(三十三間堂)像を例示すると,(1)密迹(みつしやく)金剛力士,(2)摩醯首羅(まけいしゆら)王,(3)那羅延堅固(ならえんけんご)王,(4)金毘羅(こんぴら)王,(5)満善車(まんぜんしや)王,(6)摩和羅(まわら)王,(7)畢婆梼羅(ひつぱから)王,(8)五部浄(ごぶじよう),(9)帝釈天,(10)大弁功徳(だいべんくどく)天,(11)東方天,(12)神母(じんも)天,(13)毘楼勒叉(びるろくしや)天王,(14)毘楼博叉(びるばくしや)天王,(15)毘沙門天王,(16)金色孔雀王,(17)婆藪(ばすう)仙人,(18)散脂(さんし)大将,(19)難陀(なんだ)竜王,(20)沙梼羅(さから)竜王,(21)阿修羅王,(22)乾闥婆(けんだつば)王,(23)梼楼羅(かるら)王,(24)緊那羅(きんなら)王,(25)摩順羅伽(まごらか)王,(26)大梵天王,(27)金大王,(28)満仙王とあり,さらに雷神と風神を加えて30尊により構成されている。画像では京都慈照院に二十八部衆像(2幅,重要文化財)があり,これにも風神・雷神が描き加えられている。
関口 正之

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私は1983年10月に名古屋市立小幡小学校の修学旅行で三十三間堂を訪れました。
三十三間堂は一番楽しみにしていた場所でした。
小学校の音楽の時間に歌った童歌の影響かもしれません。

京の 京の 大仏さんは
天火で焼けてな
三十三間堂は焼け残った
ありゃ ドンドンドン
こりゃ ドンドンドン
うしろの正面 どなた

私が名古屋市立小幡小学校の修学旅行直前に習った童歌「京の大仏さん」

さんじゅうさんげんどう【三十三間堂】
京都市東山区にある天台宗の寺。蓮華王院本堂の俗称。内陣の柱の間数(まかず)が 33あることに由来する。約 120mの長大な単層入母屋(いりもや)造,本瓦ぶきである。湛慶作本尊『千手観音坐像』ならびにその一派による『千手観音立像』 1001体,『二十八部衆』『風神雷神像』などを安置する。後白河法皇の命により長寛2(1164)年創建。現存遺構は文永3(1266)年の再建。鎌倉時代和様寺院建築の代表で国宝建造物。現在は⇨妙法院に所属する。江戸時代には西側の廊下で⇨通し矢(大矢数)が行われた。

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ごしらかわてんのう【後白河天皇】
[生] 大治2(1127).9.11. 京都
[没] 建久3(1192).3.13. 京都
第 77代の天皇(在位 1155~58)。名は雅仁,法名は行真。鳥羽天皇の第4皇子。母は中宮待賢門院璋子(権大納言藤原公実の娘)。久寿2(55)年践祚し,次いで即位した。皇位継承に端を発した保元の乱(→保元・平治の乱)は天皇方の勝利となったが,在位わずか3年にして保元3(58)年,皇太子守仁(二条天皇)に位を譲り,上皇として⇨院政を始め,のち六条,高倉,安徳,後鳥羽と4朝にわたって院政を行なった。その間に平治の乱,平氏全盛,源平合戦(→治承の内乱),平氏滅亡,鎌倉幕府の成立,守護地頭の設置など世は激しく変化していったが,院は近臣とともに種々の権謀術数を弄して対処した。また仏道に志し,嘉応1(69)年剃髪して法皇となり,蓮華王院,長講堂などの造寺あるいは造仏,そして熊野,高野,比叡,東大寺などの参詣を盛んに行なった。また『⇨梁塵秘抄』(10巻),『梁塵秘抄口伝集』(10巻)を撰した。陵墓は京都市東山区三十三間堂廻の法住寺陵。

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後白河天皇 1127‐92(大治2‐建久3)
ごしらかわてんのう
第77代に数えられる天皇。在位1155‐58年。鳥羽天皇の第4皇子。名は雅仁。母は待賢門院藤原璋子。近衛天皇急死の後,鳥羽院,美福門院,藤原忠通の意向で,後白河の子(後の二条天皇)を即位させるための暫定措置として1155年(久寿2)29歳で即位。翌56年(保元1)鳥羽院の死を契機に,皇位継承問題に摂関家の内紛が絡み,武士をとりこむ形で保元の乱が勃発する。勝利をおさめた後白河天皇側は崇徳上皇を配流し,信西を中心に天皇親政の体制をかため保元新制を断行,さらに没官所々を後院領として後白河院政の実現に備えた。58年後白河は二条天皇に譲位して院政を開始,以後二条,六条,高倉,安徳,後鳥羽の5代30余年にわたって院政をしいた。院政開始後まもなく,59年(平治1)暮れには平治の乱が起こって源氏が失脚し,武門棟梁平清盛が後白河院政の爪牙として勢力を伸ばし始める。当初後白河院と平氏とは協調的関係にあったが,平氏の専権化にともない両者はしだいに対立するようになる。その最初の表面化した事件が77年(治承1)の鹿ヶ谷事件である。院はその後も平氏への圧迫を停めず,79年平盛子,同重盛が死没するとその遺領を没収するに及んだ。こうして同年11月ついに清盛はクーデタを敢行し,院を鳥羽殿に幽閉して院政を停めた。しかし翌80年より以仁王の挙兵,諸国源氏の蜂起が相つぎ,同年暮れには清盛より院政再開の申請があり,ほどなく院政が再開された。
 83年(寿永2)7月平氏が西走すると,院は比叡山に隠れて平氏との同行を拒否し,かわって入京した源義仲に平氏追討の院宣を与えた。またいっぽうでは10月に源頼朝に東国沙汰権を付与し,上洛を促して義仲を牽制した。11月義仲により再び幽閉されたが,翌84年(元暦1)1月頼朝代官として上洛した源義経が義仲を滅ぼすと,今度は義経に平氏追討の院宣を与えた。翌85年(文治1)義経は壇ノ浦に平氏を滅ぼすが,院は頼朝を牽制するためことさらに義経をひきたて,そのことが頼朝,義経の不和を招き,同年10月には義経の要請に応じて頼朝追討の院宣が下された。しかしそのことはかえって頼朝に朝廷への干渉の口実を与える結果となり,いわゆる〈守護・地頭の設置〉を頼朝に認可せざるをえなくなった。92年3月13日法住寺殿で死没。陵墓は京都市東山区三十三間堂廻り町の法住寺陵。
 後白河院は生涯を通じ造寺・造仏や院領の増加に尽力し,また平安末期から鎌倉幕府草創期にかけての激動の中で,権謀術数と果敢な行動力をもって事に当たった。信西は後白河を評して〈制法に拘(かかわ)らず〉意志を通すと言い,九条兼実は黒白をわきまえないと評し,源頼朝にいたっては〈日本国第一の大天狗〉と論評している。即位以前にはその自由な境遇から,自分の好きな今様(いまよう)を昼夜を通して,また老若男女貴賤を問わずいっしょに歌ったという。後に後白河院自身が斤修する《梁塵秘抄》の基礎はこのころにつちかわれたものであろう。       飯田 悠紀子

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梁塵秘抄
りょうじんひしょう
平安後期の今様とその周辺歌謡の集成。後白河法皇斤。明確な成立年時は未詳。《梁塵秘抄口伝集》と同じころか。もと20巻で,歌詞の集成である《梁塵秘抄》10巻と口伝(くでん)を記した《梁塵秘抄口伝集》10巻があったと思われる。1世紀ほど後に成った《本朝書籍(しよじやく)目録》に〈梁塵秘抄廿巻 後白河院勅斤〉とある。現存のものは,天理図書館蔵の巻子(かんす)本である巻一の断簡21首と,袋綴2冊本の巻二(近世後期書写の孤本)の545首,ほかに《夫木和歌抄》に引く2首など。書名は,古代中国の虞公(ぐこう)と韓娥(かんが)という美声の持主が歌うとその響きで梁(はり)の上の塵(ちり)が舞い上がり,3日もとまらなかったという故事による。
 巻一は長歌(短歌体で〈そよ〉という囃子詞(はやしことば)を付けたもの)10首,古柳(こやなぎ)(不整形式で囃子詞の多いもの)1首,今様10首を収めるが,目録の歌数と違うのはこの現存の巻一が見本的な抄出本であることによるか。
 巻二は法文(ほうもん)歌220首,四句神歌(しくのかみうた)(神歌)204首,二句神歌121首を収める。法文歌はおおむね8・5音または7・5音の4句形式の仏教讃歌で,大きく仏・法・僧・雑の順に配列され,なかでも法(経典)の部は天台教学の五時教判の基準に従い,華厳経以下のおもな大乗仏典の各経歌をそろえ,特に法華経二十八品歌は開結2経を前後に置く群作百十数首で堂々たる構成である。法文歌にみえる信仰は多彩で,釈梼,阿弥陀,薬師,観音から大日如来まで多くの仏や菩醍が讃仰され,また浄土信仰も色濃く示される。《極楽六時讃》や《天台大師和讃》など長編和讃の一部を切り出したものがあるが,和讃,訓伽陀(くんかだ),教化(きようけ)など法会用の仏教歌謡と密接な関係にあろう。歌詞の中に経典の漢語を多用し荘重な調べを感じさせるが,表現が類型化する傾向もある。一方,四句神歌は神分(じんぶん),仏歌,経歌,僧歌,霊験所歌の順に配列され,神仏習合の歌謡も多くみられ,日吉(ひえ),熊野,金峯山を中心に多くの社寺や山伏の修験道場が全国各地にわたり,物尽し風に列挙され興味を引く。次の雑の部は,定型にとらわれない自由な歌いぶりの世俗歌謡を載せるが,種々の生業を営む庶民の直截な哀歓の心情がさまざまな角度から幅広く活写されており,世に知られる《梁塵秘抄》の代表歌が多い。登場する階層も,新興勢力の武士をはじめ農夫,樵夫,鵜飼,土器造り,物売りなどから博打,山伏など男女聖俗を問わず多岐にわたり,またこれら今様の管理者としての遊女,傀儡女(くぐつめ),巫女などの世界が歌われている。また当代流行の新風俗を歌うもの,猿楽などの民間芸能とのかかわりのあるもの,庶民の固有名詞のあるものなど,興味は尽きない。二句神歌のうち神社歌は和歌の形式で石清水,賀茂,稲荷などの大社・名社を讃えるが,その他の題のないものは恋愛歌を中心に自由な歌いぶりで独自のおもしろさを持つ世俗歌謡である。
 以上記した《梁塵秘抄》の歌謡の世界は,和歌の正統に対していわば〈世俗の口ずさみ〉ともいうべきもので,和歌にはない独自の安らぎと解放感があり,近代になって世に知られた《梁塵秘抄》巻二は多くの詩人,歌人に影響を与え,いまだその魅力を失っておらず,また歌謡史,芸能史,宗教史,音楽史など多くの面で研究の課題を残すものである。                    岡見 弘

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「テレビ業界」の「浄化政策」とは「黒ミサの儀式」をタブーとすることを意味する

柄谷行人先生は「カトリック信仰」を持った「オピニオンリーダー」です。
それは「千手観音」を信仰することと同じです。

一方でフジテレビジョンの様々なキャンペーンは当時かなり有名であり強い影響力を持っていました。
特にフジテレビジョンは「視聴率競争」(広告収入重視)に於いて抜きん出た存在となって行きました。
フジテレビジョンの「倒錯番組(冒涜番組)」は「視聴率競争」(広告収入重視)に於いて「最大の武器」となっていました。
このようにしてフジテレビジョンは「勝者」となっていきました。
「倒錯番組(冒涜番組)」という「最大の武器」はフジテレビジョンの「必勝戦術」であった訳です。

しかしその時期に形成された「倒錯番組(冒涜番組)」を讃美する風潮は現在の「テレビ業界」をすっかり荒廃させてしまった訳です。

「倒錯対象(冒涜対象)」さえ見当たらないほど荒廃した番組制作となってしまった訳です。
現在のフジテレビジョンの凋落とは「倒錯番組(冒涜番組)」という「害虫」が食い荒らした「テレビ業界」に於いて「黒ミサの儀式」の失効を意味しています。
フジサンケイグループは「倒錯対象(冒涜対象)」を失った「倒錯集団(冒涜集団)」なのです。
又フジサンケイグループとは「黒ミサの儀式」しかできない無能集団とも言えます。
すべてを潰してしまった中では「倒錯番組(冒涜番組)」の成立も不可能となった訳です。

ただ「テレビ業界」はもうお終いです。
何故ならば東京放送(TBS)が「理想(理念)」を持った番組制作を復権させたとしてもそれに対してすぐに「倒錯番組(冒涜番組)」が制作されてしまうからです。
そのような「黒ミサの儀式」の有り様は目に見えるように明らかになっています。
すでに「倒錯番組(冒涜番組)」のやり方が分かってしまった訳です。
それは「テレビ業界」に浄化作用がないことを明確に示しています。
「黒ミサの儀式」をタブーとしない限り「テレビ業界」の復権はあり得ません。

今道潤三の名著「アメリカのテレビネットワーク」

そのことについては今道潤三の名著「アメリカのテレビネットワーク」に記されています。
そこにはジョン・フィッツジェラルド・ケネディ大統領が「アメリカのテレビ業界」の「浄化政策」を行っていたことが記されていました。
「アメリカのテレビ業界」も「黒ミサの儀式」によった「倒錯番組(冒涜番組)」が制作されていた訳です。

しかしケネディ大統領はテレビ宇宙中継で見せしめのように暗殺されてしまいました。
この「暗殺劇」は「黒ミサの儀式」によった「倒錯番組(冒涜番組)」の最たるものであったかもしれません。
ケネディの死はイエス・キリストの磔刑を想起させます。
ケネディの死は殉教であった訳です。
彼は「聖ケネディ」と呼ばれて然るべき存在なのです。
しかし「聖ケネディ」に対する「倒錯宣伝(冒涜宣伝)」としてネガティブキャンペーンが日本でも多く行われて来ました。
様々なスキャンダルが実しやかに宣伝され続けている訳です。

一方で東京放送(TBS)には「倒錯番組(冒涜番組)」の制作が絶対にできなかった。
何故なら「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」は会社の「理想(理念)」に完全に相反していたからです。
そういった状況で東京放送(TBS)は「視聴率競争」(広告収入重視)に於いてフジテレビジョンに大敗北を喫していくことが必定となりました。

このように「良い番組を制作しても評価はされない。」と言う奇妙な諦観が東京放送(TBS)さえも支配してしまった。

「倒錯番組(冒涜番組)」が「視聴率競争」(広告収入重視)に於いて優位とされた状況では東京放送(TBS)は「必敗の宿命」を背負ったも同然だった訳です。

他のテレビ局も世間も敗北者となった東京放送(TBS)を馬鹿にするようになりました。

「東京放送(TBS)には威張る理由がない。」又は「東京放送(TBS)は真面目であるだけで面白味が全くない。」と言った「倒錯宣伝(冒涜宣伝)」がなされていきました。
これは「聖ケネディ」へのネガティブキャンペーンに似ています。
ただ「倒錯番組(冒涜番組)」を最後まで拒否したのは東京放送(TBS)だったことを忘れてはいけません。
これが東京放送(TBS)が「最後の良心」(最低限の倫理)と言われる理由だった訳です。

2つ目はヲタク教団の神様(ルシファー)として崇められている庵野秀明様である

「ヲタク芸術」の「オピニオンリーダー」を担う庵野秀明様

庵野秀明様はかなり厄介な存在であった。
何故ならば才能を高く評価された「ヲタク」という「倒錯偶像(冒涜偶像)」であったからです。

庵野秀明様は「ヲタク」の「オピニオンリーダー」でありました。
現在、隆盛を極めている「ヲタク芸術」の「オピニオンリーダー」の一人でもあります。
しかし先程も指摘したように「ヲタク」とは「カトリック信仰」を否定した「倒錯集団(冒涜集団)」が「ドクサ」(デマゴギー)を崇拝するあり方です。
そういう意味で庵野秀明様はカルト教団の「オピニオンリーダー」でした。
「ヲタク」の「オピニオンリーダー」が「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」を扇動している訳です。
こういったあり方はオウム真理教の麻原彰晃教祖(松本智津夫)と非常によく似ています。
しかし現在の庵野秀明様の社会的地位は不動のものとなっているように見受けられます。
これは危険信号が発せられる状況だと思います。

何故なら「ドクサ」(デマゴギー)を崇拝する「オピニオンリーダー」が社会的地位を築いていく時の危険性は「歴史」が証明しているからです。
アドルフ・ヒットラーの登場を神演出したヨーゼフ・ゲッベルスがいました。
それは「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」の大宣伝だった訳です。

庵野秀明様の社会的権威は「倒錯象徴(冒涜象徴)」であって「明けの明星」(ルシファー)を意味しているのかもしれません。
もしかしたらそれはユダヤ人大虐殺(カトリック信仰の大虐殺)の「凶兆」かもしれません。
それは「イマーゴ(神の似姿)」を「倒錯対象(冒涜対象)」とする「黒ミサの儀式」であって「最悪の凶兆」とされます。

庵野秀明様は「イマーゴ(神の似姿)」を貶める「潰し屋」(殺し屋)です。
その出現によって世界は荒廃して行きます。
「荒廃状態」を終末論(末法思想)として賛美する訳ですから庵野秀明様の思想とは「浄土教」であった訳です。

じょうどきょう【浄土教】
⇨阿弥陀仏の救済によって⇨浄土に生れ,悟りを開くという大乗仏教のなかの一つの流れ。浄土の観念自体は,ベーダ文献中に起源を求めることができ,それにヒンドゥー教などの影響も加わって成立したものらしいが,インドのクシャン朝頃には,阿弥陀仏信仰は民衆の間に普及し,『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の「浄土三部経」が成立した。馬鳴(めみょう),龍樹,世親(天親)らによって次第に体系化され,中国に移入されて非常に普及し慧遠(えおん)に発する念仏結社,白蓮社,曇鸞,道綽,善導らによって盛んとなった。特に普及した原因の一つは,浄土思想が道教的観念と結合して民衆に受入れられたためと考えられる。日本でも空也,源信らを経て,法然によって⇨浄土宗が創始され,その弟子である親鸞は浄土真宗を,また一遍は時宗を興し諸国を遊行して念仏を説き,その普及に努めた。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

いっこう‐しゅう【一向宗】イツカウ‐
《一向(ひたすら)に阿弥陀仏を念ずる宗派の意から》浄土真宗。主として他宗派からの呼び名。一向一念宗。門徒宗。

『大辞泉 第二版』 小学館

一向宗
(イッコウシュウ)
〓鎌倉時代、親鸞上人(シンランショウニン)が開いた、浄土宗の一派。浄土真宗。一向は、ひたすらの意味で、ただひたすらに念仏を唱えるからいう。

『新漢語林』 大修館書店

「ヲタク芸術」とは全部ブチ壊して「浄土教」という訳です。
結局、「千手観音」による「現世」の「浄化政策」を否定することが「浄土教」だった。
「浄土教」は「現世」の「救済」を否定している訳です。

そして「阿弥陀如来」による「あの世」の「極楽浄土」を約束している訳です。
それは「風の谷のナウシカ」の「腐海」を殊更賛美する思想となっています。
「浄土教」とはこのように「阿弥陀如来」を崇拝することを示しています。

しかしそれは最悪と称される「バフォメットの偶像崇拝」でありました。
自称「愛されキャラ」(倒錯と冒涜)の誕生なのです。
どんな嫌な奴でも「愛されキャラ」(倒錯と冒涜)とされます。
人間性の腐った「愛されキャラ」(倒錯と冒涜)の成立は「現世」が「末法思想」となっている兆候です。

それは「浄土教」という訳です。
どんな嫌な奴でも「阿弥陀如来」と唱えるだけで「あの世」が「極楽浄土」とされることと同様です。
「浄土教」は「最強の偽善者」です。
「呪術崇拝」(呪文)による「倒錯偶像崇拝(冒涜偶像崇拝)」なのです。
それが「バフォメットの偶像崇拝」でした。

安野モヨコ夫人が描いた庵野秀明様の「ヲタク善人の肖像」と同じです。
アドルフ・ヒットラーを神演出したヨーゼフ・ゲッベルスと同様なのです。

安野モヨコ夫人が描いた庵野秀明様の「ヲタク善人の肖像」

ただ「風の谷のナウシカ」の「ナウシカ」は「千手観音」を信仰しています。
「ナウシカ」は如何なるものであっても救済を試みて行きます。
彼女は「虫」や「腐海の木々」さえも救済して行くのです。
「ナウシカ」とは「カトリック信仰」を持った「オピニオンリーダー」と言える訳です。
まさに「千手観音」なのです。
「ナウシカ」とは「千手観音」による「現世」の「浄化政策」だった。
「虫達」が守護している「腐海の木々」とは「天の私の父が植えられた植物」と言えるかもしれません。

孤児を救済するナウシカ
毒血を吐き出しトルメキア兵を救済するナウシカ

「オピニオンリーダー」は最重要だが危険を伴う

アニメージュの人気投票の一位

新旧アニメージュの人気投票一位キャラクター

こう見ていくと「オピニオンリーダー」とは非常に重要なポジションであってアニメージュの人気投票で決められるものではありません。

しかし庵野秀明様の「ふしぎの海のナディア」がアニメージュの人気投票で一位となった結果を強調することで聖宮崎駿の「風の谷のナウシカ」を追い抜いたとした「ドクサ」(デマゴギー)の大宣伝がなされていきます。

何故それが「ドクサ」(デマゴギー)であるかと言えばキャラクターの「内容」の違いが激しいからです。

ナウシカは「カトリック信仰」から三位一体のペルソナを形成した本格派です。
それは「イマーゴ(神の似姿)」です。

一方でナディアはそういったペルソナの形成は存在せずセックス・シンボルを多用したデザインによって人気を博しただけであり少女売春と大して内容は変わりません。
それは「バフォメットの偶像崇拝」です。

そこにはアニメキャラクターの「ペルソナ」とアニメキャラクターの「倒錯偶像(冒涜偶像)」の決定的違いがあった訳です。

ロリータ・コンプレックスとは「倒錯嗜好(冒涜嗜好)」ではないでしょうか?

私も若い女性に好意を持つことはありますが「ペルソナ」を抜きにしてはロリータ・コンプレックスとなってしまいます。
ただ若い女性というだけではなく「ペルソナ」を見い出すことが人間関係の形成となっていく訳です。

今まで私が指摘して来た通り「オピニオンリーダー」には「カトリック信仰」が必要です。

ではアニメージュの人気投票に「カトリック信仰」はあり得たでしょうか?

アニメージュの人気投票には「カトリック信仰」は全くあり得ないでしょうね!

「アニメ・カトリック信仰」と「アニメ・倒錯崇拝(アニメ・冒涜崇拝)」

アニメージュの人気投票とは何だったのでしょうか?

私も実は何冊かアニメージュを買ったことがありました。
確か十代の頃です。
中学校3年生の頃(1986年頃)が多かったです。
その後も「風の谷のナウシカ」の連載を読むためにアニメージュを定期的に本屋で立ち読みしていました。

ただアニメージュの人気投票は「カトリック信仰」を否定した「倒錯集団(冒涜集団)」の「ドクサ」(デマゴギー)と言えるものでした。

ここで疑問を持たれる方が多くいらっしゃるでしょう。

では何故「風の谷のナウシカ」は長くアニメージュの人気投票の一位を誇っていたのでしょうか?

それは「風の谷のナウシカ」が「カトリック信仰」を持った「オピニオンリーダー」となり得ていたからです。
それは「カトリック信仰」が起こした「奇跡」だったのでしょう。

しかしそれがアニメージュの人気投票で「ヲタク」の「オピニオンリーダー」に敗北したと見做されました。
この事実に於いて「信仰集団」が「倒錯集団」に屈服したと見做されてしまった。
そしてその「ドクサ」(デマゴギー)が大宣伝された訳です。

「風の谷のナウシカ」と「東京放送」(TBS)

これは「風の谷のナウシカ」のあり方が東京放送(TBS)と似ていることを同時に示しています。

結果的に視聴率競争(広告収入重視)の争いで荒廃した「テレビ業界」となってしまいました。
当たり前のように「黒ミサの儀式」としての「倒錯番組(冒涜番組)」が視聴率競争(広告収入重視)で勝利するなら「テレビ業界」の荒廃は必定でした。

この同じ流れで行くならばアニメージュの人気投票で勝者となった「ヲタク」の「オピニオンリーダー」によって「アニメ業界」はきっと荒廃していくでしょう。
何故ならアニメージュの人気投票に於いて「倒錯アニメ(冒涜アニメ)」が勝利するなら「アニメ業界」の荒廃は必定となっているからです。
すでに「アニメ業界」は荒廃しているのかも知れません。

ヲタクを文化へ導く

このように「ヲタク」の「オピニオンリーダー」によって世界は荒廃して行きます。
こういった「倒錯崇拝(冒涜崇拝)」は「最高悪」と言われます。
もしかしたら「世界の危機」が迫っているのかも知れません。

ただそういった警告は「イエス・キリスト」によってすでに為されています。

イエス様の警告に拠れば「ヲタク」の「オピニオンリーダー」とは「盲目の道案内ども」なのです。

「天の私の父が植えられたのではない植物はすべて、根こそぎにされるであろう。彼らをそのままにしておくがよい。彼らは[盲人〔を導く〕]盲目の道案内どもだ。しかし、もし盲人が盲人の道案内をするなら、両者とも溝に落ち込んでしまうであろう」

アーメン

盲人が盲人の道案内をするなら、両者とも溝に落ち込んでしまうであろう

穢れに関する論争(マタイ 一五 1-20)

そのあと、〔幾人かの〕ファリサイ人たちと律法学者たちとが、エルサレムからイエスのところにやって来て言う、「なぜお前の弟子たちは父祖たちの言い伝えを破るのか。彼らは、パンを食べるときに〔自分たちの〕手を洗わないではないか」。すると彼は答えて彼らに言った、「お前たちこそ、なぜお前たちの言い伝えで神の掟を破るのか。というのは、神は父と母を敬えと言い、父や母を呪うものは必ず死ぬべしと言われたにもかかわらず、お前たちは〔次のようなことを〕言っている、『父や母に対し、「あなたが差し上げるはずだったものは、供え物〔となります〕と言う者は、その父を敬う〔必要が〕ないであろう』、と。こうしてお前たちは、お前たちの言い伝えで神の言葉を台無しにしてしまった。偽善者どもよ、お前たちについて、イザヤはみごとにも預言して〔次のように〕言った、

この民は唇で私を敬うが、
その心は私からはるかに隔たっている。
彼らは私をいたずらに敬うが〔に過ぎない〕、
人間たちの〔さまざまな〕戒めを〔しょうこりもなく〕教えとして教えながら」。

そして群衆を呼び寄せ、彼らに言った、「聞け、そして悟れ。口の中に入って来るものは、人間を穢さない。むしろその口から出ていくもの、それこそが、その人間を穢すのだ」。
そのあと、弟子たちがやって来て彼に言う、「ファリサイ人たちが〔今の〕御言葉を聞いて躓いたのをご存じですか」。すると彼は答えて言った、「天の私の父が植えられたのではない植物はすべて、根こそぎにされるであろう。彼らをそのままにしておくがよい。彼らは[盲人〔を導く〕]盲目の道案内どもだ。しかし、もし盲人が盲人の道案内をするなら、両者とも溝に落ち込んでしまうであろう」。

するとぺトロが答えて彼に言った、「[この]譬を私たちに解釈してください」。すると彼は言った、「あなたたちも、悟りがないままなのか。すべて外から口の中に入って来るものは、腹の中に入って行き、便所へと出されてしまうことがわからないのか。しかし、口から出てくる〔もろもろの〕ものは、心の中から出て来る。それこそがその人間を穢すのだ。なぜならば、心の中からこそ、悪しき想い、殺人、姦淫、淫行、盗み、偽証、瀆言が出て来る。これらのものが、その人間を穢すものである。しかし、洗わない手で食べることがその人間を穢すことはない。

岩波書店「新約聖書 マタイによる福音書」

オピニオン・リーダー
opinion leader
ある集団のなかで,その人の意見が強い影響力をもっている指導者をいう。常識的には,マスコミを通じて社会的に発言する政治家,学者,評論家などの有名人をさす。しかしマスコミ理論の術語としては⇨第1次集団内の意見指導者をいう。 D.カッツと P.F.ラザースフェルドが『パーソナル・インフルエンス』 Personal Influence(1964)で提出した用語。

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いけん【意見】
opinion
人が特定の状況や対象に対してもつ特定の態度の言語的表明。したがって意見と態度とは並行的な対応関係にあり,⇨社会心理学では意見は態度測定の重要な指標とされている。狭義には自己の信念の言語的表明。

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