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未来の墓。

前日入りして、弟と一緒に下田と富士宮でお墓参りをしてきた。

午前中は祖父と伯母の眠る下田・広台寺へ。大きな樹木の影になったその墓は、たくさんの落ち葉に埋もれ、墓石は泥や鳥のフンで見るも無残な状態に。幸い母のボーイフレンドから軍手と45ℓのゴミ袋をもらっていたので、弟と20分かけてキレイにした。墓石には「宮城家」と刻まれているのだが、これは下田に「土屋」という名字が多いために選択した屋号だ。そして、ここには祖父の先妻と後妻もいる。私は合計4人の親族に線香を手向け、長いこと参らなかったことを詫びた。

昼食は母のボーイフレンドにトンカツをご馳走になった。彼にこれから祖母の墓参りにも行くと伝えると、「もし、できたら…」と相談される。

14年前に祖母が他界してすぐ、母は「お袋と同じお墓に入るから、あんたよろしくね」と私に言った。その墓というのは、宗教団体が管理する富士桜自然墓地公園にある。母はその宗教団体を敵視しており、生前の祖母と2年近く没交渉だったこともあるので、その墓に入ると言い出したのには心底驚いた。自分の母を墓にひとりにしておけない、死んだら母と一緒にいたい、ということなのだろうが、それでも思っていることは言葉にしてくれないかぎり、たとえ子どもでもわからないものだな、と思った。

で、先の「母のボーイフレンドの相談」というのは、母が亡くなったときに、できれば下田の墓に分骨してくれたらしょっちゅうお墓参りができてありがたい、というものだった。下田から富士桜自然墓地公園までは片道2時間半はかかる。しかもかなりの山道で、高齢の彼には負担が大きい。母にとっても、彼に気軽に逢いにきてもらえるほうが断然いいだろう。弟と私は「分骨を前向きに考えます」と彼に伝えた。

16時ちょっと前に富士桜自然墓地公園に到着。管理センターには図書館の本の検索と同じような機械があり、そこで祖母の墓の位置を印刷した。広大な敷地には同じサイズの墓石が、等間隔に万と並ぶ。その背後には富士山がそびえ、並木道にはソメイヨシノが植えられている。1週間から10日後であれば桜も見頃だったろう。天気に恵まれ(今日の海はこれまでの下田訪問でいちばん美しかった)、富士山は青空に映えて美しかった。「土屋家」と刻まれた墓は、他の墓と同じくキレイだった。ここでは親族による墓掃除は必要ない。今日は折しも祖母の誕生日かつ命日で、タイミング的には素晴らしかったが、なんにせよこれまで久しく参らなかった詫びを述べ、心の中でそっと祖母と話をした。

弟は整然と並ぶ無機質な墓石の列にゾッとしたようで、帰り際に「ここにお母さん、入れたくない。伯父ちゃんと伯母ちゃんが入りたいっていうなら、お祖母ちゃんもそんなに寂しくないじゃん。お母さんは、やっぱり下田と分骨しよう」と言った。

母はまだ死んではいないが、死んだあともできるだけ寂しくないように何ができるか、子どもは考える。そんなことを相談できる相手がいるというのは、本当に幸運なことだ。私の場合は弟、そして母のボーイフレンド…。

いつか母が逝き、いつか自分が死ぬ前に、墓はどうしようかと考える。下田の墓にいる、祖父と先妻と後妻、結婚しなかった伯母。富士宮の墓にいる、離婚した祖母。そして離婚した母、離婚した弟、結婚しそうもない私。みんなひとつの墓にまとまるのもいいかもしれない。でもいったいどこに? そのとき墓石にはなんの文字が入るのか──「宮城」「土屋」「堀」──? そして誰か墓参する人はいるのだろうか?

…まあ、まだ先のことだしと私は考えを頭から追い払い、車に乗り込んだ。

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