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PERCHの聖月曜日 47日目

わたしの「葉隠」に対する考えは、今もこれから多くを出ていない。むしろこれを書いたときに、はじめて「葉隠」がわたしの中ではっきり固まり、以後は「葉隠」を生き、「葉隠」を実践することに、情熱を注ぎだした、といえるであろう。つまり、ますます深く、「葉隠」にとりつかれることになったのである。それと同時に、「葉隠」が罵っている「芸能」の道に生きているわたしは、自分の行動倫理と芸術との相克にしばしば悩まなければならなくなった。文学の中には、どうしても卑怯なものがひそんでいる、という、ずっと以前から培われていた疑惑がおもてに出てきた。わたしが「文武両道」という考えを強く必要としはじめたのも、もとはといえば「葉隠」のおかげである。文武両道ほど、言いやすく行ないがたい道はないことは、百も承知でいながら、そこにしか、自分の芸術家としての生きるエクスキューズはない、と思い定めるようになったのも、「葉隠」のおかげである。

しかしわたしは、芸術というものは芸術だけの中にぬくぬくとしていては衰えて死んでしまう、と考えるものであり、この点でわたしは、世間のいうような芸術至上主義者ではない。芸術はつねに芸術外のものにおびやかされ鼓舞されていなければ、たちまち枯渇してしまうのだ。それというのも、文学などという芸術は、つねに生そのものから材料を得て来ているのであって、その生なるものは母であると同時に仇敵であり、芸術家自身の内にひそむものであると同時に、芸術の永遠の反措定(アンチ・テーゼ)なのである。わたしは「葉隠」に、生の哲学を夙に見いだしていたから、その美しく透明なさわやかな世界は、つねに文学の世界の泥沼を、おびやかし挑発するものと感じられた。その姿をはっきり呈示してくれることにおいて、「葉隠」はわたしにとって意味があるのであり、「葉隠」の影響が、芸術家としてのわたしの生き方を異常にむずかしくしてしまったのと同時に、「葉隠」こそは、わたしの文学の母胎であり、永遠の活力の供給源であるともいえるのである。すなわちその容赦ない鞭により、叱咤により、罵倒により、氷のような美しさによって。

ーーー三島由紀夫『葉隠入門』新潮社,昭和58年,p13-15

Oedipus and the Sphinx
Gustave Moreau
1864


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