日記なのだ

 こんばんはなのだ。みんなはどんな夜を過ごしているのだ? みんなって誰なのだ。誰かいるのだ? いないのだ。どれもこれも人付き合いを面倒くさがって携帯の履歴から削除して削除してその結末なのだ。退屈な夜、酒とたばこに現を抜かすしか選択肢がないのだ。想像していた大人の姿とは似ても似つかないのだ。

 通っていた高校には72キロの距離を夜明けから夕方まで走らせるクソみてぇな伝統行事があるのだ。この前ふと思い出して今でもまだ続いてるのかなと調べたのだ。続いていたのだ。ツイッターのほうでも調べたのだ。すると昔の同級生のアカウントを見つけたのだ。もう更新はされていないけれど見知った名前だったのだ。ネットリテラシーのない田舎の出身なのだ。こんな風に個人情報を上げたら悪いおじさんに見つかってしまうのだ。

 よせばいいのにそのアカウントからフォロワーを芋づる式に見ていったのだ。だいたい私の同級生だったのだ。アカウントを転々としている輩もいたのだ。大学用のアカウントに変わって途中で止まっている人もいたのだ。鍵をかけている人も多数いたのだ。名字が違っている人もいたのだ。大学院に通っている人もいたのだ。愛車の写真を上げている人もいたのだ。みんな幸せそうだったのだ。そういえば高校の卒業からもう10年たつのだ。もしかしたら同窓会とかあるのかもしれないのだ。けれど大学の付き合いさえ絶ってしまった身にはどうでもいいことなのだ。どうでもいいことのはずなのだ。なのに調べて調べていくうちに、昔の同級生たちがワイワイ高校生活を謳歌している姿が脳裏に浮かんでは消え浮かんでは消え、その風景に自分はいないのだけれども、あるいはもっとうまくやっていたら今とはもっと違う人生があったのかなあとか思ったり思わなかったりしたのだ。

 あとちょっと、どこかでなにかを間違えなければ、間違えたまま進もうとしなければ、こんな日曜日の夜、のだのだ言いながら日記を書かずに済んだかもしれないのだ。後の祭りなのだ。同級生のなかには、いまは日曜の19時過ぎ、つがいになったパートナーといっしょに、ともすればそこに子どもも添えて、2ldkのそのリビング、座卓を囲みながらなにかテレビを見ているのかもしれないのだ。テレビってこの時間何を放送してるのだ? もう10年くらいテレビのない生活をしているからわからないのだ。さんまのからくりテレビとクイズ番組があったことは憶えているのだ。よくできましたよくできましたって機械音が流れるやつなのだ。きっとどっちももう終わっているのだ。

 家族が欲しいのだ。そう思ったのだ。まずは恋人が欲しいのだ。冬が近づいているからなのだ。これから来る寒さを思うと暗澹とする気分になるのだ。しかしたとえば恋人が、仕事終わりにシチューを作って家で待ていると想像したら、それは素晴らしいことなのだ。シチューには色味豊かににんじんやらブロッコリーが入っているのだ。ブロッコリーは嫌いなのだ。でも恋人の調理したブロッコリーはおいしくて好きなのだ。スープカレーに入っているような、少し揚げているブロッコリーなのだ。じゃがいももほくほくと口の中でほどけてゆくのだ。恋人が味はどうと訊いてくるのだ。おいしいと答えるのだ。そういう冬の夜がいいのだ。恋人とシチューが欲しいのだ。

 失恋した当初はこんどはきちんと人を選ぼうと思ったけれどあるとき鏡で自分の顔をじっと見て選ぶ資格がないことに気づいたのだ。いわゆる気づきなのだ。気づきを得たのだ。じゃあやっぱり誰でもいいのだ。年上の乳の張った眼鏡の女が良かったのだ。良かったのだけれども選ぶ権利はないので誰でもいいのだ。そんな風な態度だからいい年してまともに人付き合いできないのだ。うるせぇのだ。うるさくないのだ。聴くのだ。きちんと人付き合いをできる人は誰でもいいとか言わないのだ。うるせぇのだ。うるさくないのだ。耳をふさいだままでどうにもならないのだ。おまけに目までふさいでいるのだ。うるせぇのだ。うるさくないのだ。のだのだ言ってないできちんと現実と向き合うのだ。分別がついていておかしくない歳なのだ。いつまでそんなひねくれた根性でいるのだ? わかったのだ。わかってねぇのだ。肝心のところを分かってねぇのだ。親からも上司からも言われてるのだ。ウケるのだ。ウケねぇのだ。気づきは得ていなかったのだ。ひとり相撲をやめるのだ。

 まったくやりきれねぇのだ。働けど働けど暮らしは楽にならずじっと見つめたその手はすっかりおっさんじみてやりきれねぇのだ。下げたくもねぇ頭をぺこぺこ下げて、ネットでぺこぺこ言ってるvtuberは高収入だとなのだ。ふざけるななのだ。同じぺこぺこなのにどうして具合がこんなに違うのだ。許すまじ虚業なのだ。高校の同級生が通っている大学院の仔細を調べたのだ。公共政策大学院だったのだ。虚学なのだ。クソの役にも立たないのだ。文学と社会学は何の生産性もないのだ。学問から間引きされるべきなのだ。そうしたら少しは生きやすくなるのだ。生きやすくなるのだ? 虚学はそれでも必要と思いたいのだ。けれどそうしたら虚業までも擁護しなければいけない気もするのだ。したくねえのだ。生産性のものさしひとつだけで世の中を測ることができたらきっと楽なのだ。わかりにくいよりもわかりよいほうがいいのだ。何の話なのだ? わからないのだ。

 床屋に行ったのだ。店主が白髪があるねえと言ったのだ。傷ついたのだ。ハラスメントなのだ。どうやら後頭部に白髪は群生しているらしいのだ。もし恋人がいたらと思うのだ。彼女の指先で一本一本抜いてもらえるのだ。お仕事大変なんだねみたいにねぎらってもらえるのだ。大変じゃないよと謙遜するのだ。彼女の名前を呼ぶのだ。家で君が待っていると思うと大変なことなんて何もないよと言うのだ。恋人は顔を赤らめるのだ。いいのだ。したいのだ。これがしたいのだ。誰でもいいからさせてくれなのだ。また誰でもいいとか言っているのだ。懲りない奴なのだ。

 誰も作ってくれないからこの前シチューを作った残りでまたシチューを作ったのだ。パンにひたして食べたのだ。幸せな生活なのだ。もうどうでも構わない気がするのだ。シコって寝るのだ。おやすみなのだ。みんなはどんな夜を過ごしているのだ? よい夢を見れたらいいのだ。

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