100日後に30歳になる日記(5)

◆3月16日

 自炊のために包丁を買った。道具から揃えるタイプの私だ。15000円だった。ほんとうは出刃とか牛刀が欲しかったのだけど、包丁専門店で見てみると、使い勝手の良さそうなのは五万円超えとかしていて躊躇った。せっかく入った包丁専門店、このまま冷やかして帰るのも申し訳なくて、刃渡りの長く割と丈夫そうな、値が張らないものをと探して、柳刃に行き着いた。柄の部分が木製だから安値というのもある。

 これは我が家で愛用していた、ホームセンターで買った3000円の柳刃。魚を卸すには少し力が必要で、刺身を切るには柄と刃の距離感がしっくりこなくて、まあそんなでも3年使った。これから新しい包丁を使えば、今までより五倍おいしいごはんを作れる。包丁の値段はおいしさに比例するので。

◆3月17日

 雨が降った。春を実感した。傘が入り用になる季節が始まる。

 1日がYouTubeと、天鳳というネット麻雀サイトで溶けた。何を目的に生きてるんだ俺は。

◆3月18日

 朝起きて仕事に行って帰って酒を飲んで眠る。生活はループしているのに時間だけはきっちり進んでいる不思議。俺の精神的な年齢は20歳かそこらで止まっているというのに。

◆3月19日


 朝起きたら雪が積もっていた。季節感とかご存じない? もう寒いのは飽きたっつってんの。春服が着たいの。

 アークナイツというソシャゲのガチャ更新。異格ジェシカというかわいいキャラが実装された。3000円のお布施をしたら、星6が来てくれた。

 うんち!w 

 こちとら高レア連鎖術師を使いこなせるような頭はねぇんだ。先鋒4枚積みで脳筋プレイしてるんだわ。ともあれキャラスペックを調べたら、思ってたより強そうで楽しそうな能力をしている。声も冨岡義勇だし。ふぅん。まま、ええわ。許したる。ジェシカの分まで育ててやる。

昇進姿。かっこいい

◆3月20日

 朝の10時に美容院を予約していたので鳥の巣頭のままお店へ。モミアゲキッテ ツーブロックニシテクダサイ そんな注文をして、1時間ほどで退店。

 このまま家に帰ってアークナイツの続きでもやろうかな〜と思ったが、せっかくこんなに好青年になったのに、人前に出ずに家の中で陰気にスマホをポチポチするのはもったいない。

 で、円山動物園に行くことにした。私は札幌に住んでからの十余年、いちどもそこに足を向けたことがなかった。家族とか出来たら息子を連れて一緒に行きたいなと思っていたが出来る気配がないので、家族が出来たときのための下見として行こうと思った。あとこのまえTwitterでみた円山動物園の象の動画が可愛かった。

 空は明朗に晴れ渡っていて、外に出ているとそれだけでご機嫌になれるくらいぽかぽかしている。地下鉄駅のホームに大きな姿見があってイケメンがいるなと思ったら私だった。円山公園駅で降りて、動物園までの十五分ほどの道のりを歩く。雪はどこもかしこも溶けずに残っていて、滑り止めの弱い靴で来たのを後悔した。それにしても道中からして周りの人たちは家族連れだったり友人同士やカップルだったりと大人数でワイワイ、ふだんの私なら心が折れてそそくさ地下鉄駅に取って返していたところ、散髪後の自尊心があるので無敵だった。横に並んで歩くな。どけ、俺のお通りだ。動物園に着いた。やっぱり人が多い。どけろ。そんな念は通じない。みんな早く歩け。どうしてちんたら歩いてるんだ。いや、違う。俺が早すぎるんだ。みんな子どものスピードに合わせて歩いている。それはたとえば室内で観られる動物の区画で、象舎などではっきりわかった。

 狭い通路を仲良くゆっくり歩く家族、その後ろでスマホを弄りながらどこかに通れる隙間はないかと探っているひとりの私。背中に脂汗が流れた。場違いなのは私のほうだ。象を観に来ただけなのにどうしてこんなに居た堪れない気分になるのか。カメラでも首から下げていたら写真家を装えただろうか。象を観ようとガラスの壁のところに子どもが行列をなしている。割って入る意気地も熱意もなかった。私は足早に園内を回った。たいていの動物は奥のほうに引っ込んでいて、たまに間近で観られるものはすでに先客の集団がごった返している。スマホのカメラのズームでは届きそうになかった。

猿山
日向ぼっこ中のユキヒョウ(かわいい)

 観るものも観あえず私は逃げ出すように動物園の出口を出た。天気は相変わらず良かった。豪雨か吹雪が今すぐに降ればいいと思った。

 帰路、おおきな水たまりがあって、向かいから3人の家族連れが歩いてくる。両親らしき男女と、真ん中に3歳くらいの娘。父母は娘の左右の腕をそれぞれ持って、「はいジャーンプ!」とか楽しそうに笑いながら娘を浮かして、水たまりをじゃぶじゃぶ渡っていった。宙に浮いた娘の笑顔は眩しくて、私は目を伏せて黙して歩いた。底の浅い靴だったのでぬるい水が靴下に透った。舌打ちをした。思ったより大きな音がしてしまって、後ろを振り返った。3つの背中は談笑しながら遠ざかっていった。

 家族がほしいと思った。ずっと思っていた。ずっと思っている。包丁なんか新調している場合じゃあないだろ。ソシャゲに課金している場合じゃあないだろ。自分の人生を、これからの未来図を、きちんと描くべきだろう。ネット麻雀をやめろ。お前はお前の人生をどうしたいんだ?

 地下鉄駅に着いた。ふたたびホームの大きな姿見に自分の姿が映った。イケメンはどこにもいない。

 本屋に立ち寄って安部公房「飛ぶ男」を買った。

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