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言語がもたらす特権化と差別

こんにちは!

ホームリンガルで先生をしている、Erinaです!

今回は、日本における英語話者の特権化とその差別について考えてみたいと思います。

早速ですが、皆さんに質問です。

グローバル社会の中で、私たちはどんな言語を使うべきでしょうか?

大英帝国の拡大と植民地支配といった歴史的、そして、社会的な要因の積み重ねにより、英語は国境を越えて広範囲に使用されています。
結果として、「英語は他の言語より優越である」と言説されています。
しかし、特定の国や地域の言語を共通語にすることはその言語を第一言語とする話者が特権化することにもつながるかもしれません。
一方でその言語を第一言語としない人々にとっては、自分の第一言語を学習する権利に弊害が起きてしまうケースも考えられます
また、その国の共通語を習得できない環境に置かれれば、差別および社会格差を促してしまう要因の一つともなり得ます。
例えば、日本は「国語」という名の下で日本語を私たちに強制学習させ、日本語を第一言語とする私たちに確固たる地位を獲得させます。そして、日本語が第一言語ではない者にとって日本語ができる・できないことは生活様式を大きく左右し、言語による支配の影に生きていかなければなりません。
このように特定の言語を共通語にすることは、時には差別や格差を助長してしまう側面も考えられます

特権化された「英語」は日本のメディア、特に英語学習のCMや留学のポスターなどを介して見受けられます。

メディアで典型的に描かれている英語の特権化が:

英語学習=…

• 人生を豊かにしてくれる

• 新しい自分に生まれ変わる

• 自由になれる

• ビジネスに必要な資質である

• 経済的な成功につながる 等

英語学習を通して自らの成長や成功に結び付けられた語りは決して新しいものではなく、今日も反復され続けているイメージです。反復される英語の特権化はステレオタイプと強く結び付けられます。私たちは英語を話せる=英語母語話者である外国人を想像することが多いのではないでしょうか。但し、私たちが想定する英語話者が白人でネイティブとは限らないのです。当たり前なことではありますが、私たちはこのことを忘れがちなのです。ここで私が体験した偏見と差別のエピソードを二つご紹介したいと思います。

街中で友人と英語を喋っている時に、見知らぬ外国人から“Your English is so good!” と言われました。また、ある時は道を聴きたい外国人から “Can you speak English?” と聞かれました。一見、誉められている・質問されているように聞こえますが、違う視点からこの体験を見ると偏見と人種差別であるという主張も存在します。白人の方に自分の第一言語である英語を褒められ、また、英語ネイティブであるか確認されて違和感を覚える方もいるでしょう。発話した外国人は自分の中の英語ネイティブの人物像と私の外見を照らし合わせ、人種化された言説をしたのかもしれないと感じてしまうケースです。

ここで留意しなければならない点が、私たちはネイティブとノンネイティブ英語話者を自分の捉えやすい形や想像に減じるべきではないことです否定的なニュアンスを含む「ノンネイティブ」の人たちを相対的に捉えることで、ネイティブとノンネイティブの比較から生じる差別と権力関係を無くせるのではないでしょうか

ある言語が他の言語より優れているということはありません。言語というものは人間がコミュニケーションをするために駆使するものであり、そして、人間は生まれながらにして平等なのです。そのため、そもそも平等であった「言語」に価値を与えた社会に生きる私たちには、特権化した言語がもたらす現状や事実を知り、正しく理解した上で学習していくことがとても大切です。そうすることで英語の特権化によって生じる人種差別と格差は減少し、また、間違った偏見を正していけると確信しています。


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