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宇宙建築を志してきた学生の紆余曲折

はじめに

 こんにちは、青木快大(あおきかいと)というものです。今回初めてnoteを書くことになりました。こういう文章は書き慣れていないのでどうやって始めたらいいのかあまり分かってませんが、とりあえず軽く自己紹介をしたいと思います。
 私は、高校3年時から宇宙建築に興味を持ち、修士1年である現在(2021/7/18)まで個人的に宇宙建築について研究をしてきたものです。現在は東京理科大学大学院に在籍し、建築計画学を専攻し、宇宙建築について建築計画学的観点からアプローチしようとしています。
 宇宙建築について何か書いて欲しいと要望がありましたので、今回は自分の思考整理も兼ねて時系列順にその時「何を考え」「何をしていたか」を書いていきたいと思います。

(その他所属)


高校3年

 高校3年生の春、それまで特に将来やりたいこともなく毎日を過ごしていた自分も、本気で進路を決めないといけない時期になりました。
 最終的に迷ったのは2つ。「いい空間に居たらテンションあがるよね」という理由で建築系と、「宇宙って面白い!(当時タイムマシン理論に少しハマっていた流れで)」という理由で宇宙工学系の2つ。
 今にして思えばどちらも浅い理由ですが、やりたいことが本当になかった自分にとっては大きな2つの選択肢。時期も時期なのでどちらに進むか決めないと行けないと思い、ひたすら悩みました。
 悩みに悩んだ当時の私は、「宇宙に家を建てればどっちもできるじゃん」という血迷った結論を出しました。これが今の自分のルーツです。これを思いついた当時自分は天才なんじゃないかと思いました。アホな高校生ですね。しかし、同時に今までにないくらいワクワクしたのを覚えています。
 そんなこんなでいきなり夢を得た自分は、宇宙建築学科なんていうものは日本全国なかったので、どちらかというと興味があった建築学科を志望し、建築から宇宙建築にアプローチすることを決めました。

大学1年

 大学1年時、どうやったら宇宙建築を学べるのか、実現できるのかがまるでわからなかったので、とりあえずひたすら色んな人に「自分は宇宙建築がやりたいんだ。そのために建築学科に来たんだ。何か情報があったら教えて欲しい。」と言いまくることにしました。その甲斐あってか、何人かの先生には宇宙建築やりたいとか言ってる変な新入生がいると覚えてもらうことができたし、例えば「理科大の副学長に向井千秋さんという宇宙飛行士の方がいるから話を聞いてみたらいいのではないか」「宇宙に家を建てるためには建築の全ての知識が必要じゃないか」等のアドバイスをいただくことができた。2番目のアドバイスを受け、以後建築関連のことは全部頑張ろうと心に誓ったことを覚えています。
 2月ごろに、実際に向井千秋さんにアポを取って、お会いしてお話しすることができました。当時自分はほとんど知識がなかったので、あまり有益な質問はできなかったのだが、たしかそこで東海大学で宇宙建築学もやってらっしゃる十亀照人先生のことをご紹介いただきました(だいぶ前のことなので記憶が曖昧だが)。
 そこで3月、次は十亀先生に会いに行くことにしました。十亀先生には「どうすれば宇宙建築ができるようになるか」みたいなことをお聞きし、「大学で自分で研究する」「ゼネコンで業務とは別に自分で細々と研究する」「宇宙建築をやっているようなベンチャー企業に行く」の3パターンじゃないかと言われた記憶があります(これも曖昧だが)。最後の宇宙建築のベンチャーに関して、十亀研発の宇宙建築ベンチャーがあると教えてもらい、株式会社OUTSENSEの高橋鷹山さんを紹介していただきました。


 その後、鷹山さんにアポを取りお話を聞き、OUTSENSEに不定期ながらも出入りするようになり、さらに鷹山さんが立ち上げた宇宙建築サークルTNLに参加することになりました。
 このように大学1年時は、伝言ゲームのようなことを繰り返しながら、なんとか宇宙建築ができるようなスタート地点のような場所に辿り着くことに成功したと思います。

大学2年

 なんだかこのまま会いに行った人や話を聞いた人について一つ一つ書いていったら永遠に終わらなそうな気がしてきたので、ここからは掻い摘んで書いていこうと思います。
 大学2年ではOUTSENSEやTNLにチラチラ顔を出しながら、宇宙建築の先輩の話を聞きつつ、学校の設計課題をやっていました。
 この時期は設計の授業が本格的に始まったというのもあって、設計スキルを集中して磨こうとして比較的宇宙建築から離れていたのではないかと思います(あと単純に次にやることが思いつかなかったり、設計や授業でいっぱいいっぱいでした多分)。

大学3年

 大学3年では、うちの学校では後期に意匠・構造・環境設備・材料防災と授業として別れるので、自分は意匠か構造かでものすごく迷いました。
 なぜこの2択だったかというと、「宇宙建築を設計する」という目的を達成するためには意匠に進むべきなのだが、そもそも宇宙建築の現状では「意匠を語る前に、まず成り立たせるための構造について考えなければならない」段階なのではないかと思っていたからです(現在(2021/7)も構造についても考えなければならないのは変わりないが)。
 ギリギリまで迷ってましたが、結局自分は意匠設計の道を選択しました。主な決め手としては、「3年前期に構造系の先生のところに入り浸り相談したり、研究室でやることを少しだけ体験させてもらった時、自分のやりたいこととなんか違うと思ってしまった」「意匠設計がなんだかんだ好きだった」「一個上の構造系に行った宇宙建築の先輩の話を聞いた時、自分が宇宙建築でやりたいビジョンと少しズレがあった」等が挙げられると思います。

大学4年

 大学4年前期、建築計画・意匠設計の研究室に所属したのですが、そうは言いつつもやはりずっと意匠と構造で揺れている自分があり、構造系の大学院の研究室を受験しました。結果は残念ながら落ちてしまいましたが、「神は俺に意匠系に行けと言うんだな」と謎に納得し、吹っ切れました(謎理論)。今は、卒業論文・卒業設計を経て、やりたいことは意匠系で正解だったと確信しています。
 話が少し前後しますが、卒業論文では「キッチンカーが都市に及ぼす影響」について研究しました。キッチンカーが「モジュール」「動く」「機能がモジュール内で完結している」「一つのモジュールが周りに影響を与える」等の理由で宇宙建築と概念的に近いと感じたからです。実は別の研究室の先生から3年後期に「卒論テーマとしてやりたい宇宙建築のテーマがあったら言ってくれれば」みたいな機会をいただいてはいたのですが、当時は特にやりたいテーマが思い付かなかったので、宇宙建築に近い地上の建築的なものを研究することにしました。

図2

 (卒業論文:寸法調べたりタイプ分けしたり...)

 卒業論文が終わった10月・11月あたりに今度は卒業設計が始まってきました。大学1年時から漠然と宇宙建築を卒業設計でやろうとは思っていましたが、この頃まで何も考えていなかったので、どうしようとは思いつつも設計の方は意外とスラスラとアイディアが出てきました。長くなるので詳細は割愛しますが、「宇宙創薬施設」「宇宙学校」「宇宙文化施設」みたいなのを当初作ろうとしていました。最初は「宇宙創薬」で進めていましたが、2回の中間講評や先輩のエスキスを経て、「自分は宇宙建築の形態や構成について考えたいんだ」という風に考えがまとまり、シフトしていき最終成果物として完成したという具合です。卒業設計はやりたいことをやりたい放題できてとても楽しかったです。

(卒業設計:なんかバズった。今でもコメントとかたまに見て励みにしてます...)

現在〜

 修士課程1年である現在(2021/7)は、就職どうしようか、博士課程どうしようかなどと進路に迷いながら、とりあえずどちらもなんとなく進めつつ日々を過ごしています(修論もどうしよう)。
 あとは、色んな人(建築以外の人とも)ともっと色んな楽しいことをして宇宙建築で遊びつつ、宇宙建築の可能性を広げていきたいなあとか思ってます。
 それと、実は理科大にはたまたま「スペースコロニー研究センター」なるものがあるのですが、今まで訳あってあまり関わってこなかったのですが、これからはもう少し関わっていきたいなと思っています(理科大を宇宙建築先進大学みたいにできたらいいなあとか密かに思ってます)。

まとめ

 こうして振り返ってみて、色々やれることはがむしゃらにやってきたことは我ながら褒め称えたい(笑)ですが、本当に色んな人に相談したりして、お世話になった?ご迷惑をかけた?なあと思います(割愛しましたが、記事に書いた10倍くらいの人には余裕でお世話になってます)。しかし一方で、道なき道を進むためにはしょうがないことなのかなとも思ってます。これからも色んな方にご迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします。
 
 最後に、この記事が「大学入って宇宙建築やりたいけど、どういう風にしていったらいいのかわからない!」みたいな人の参考にでもなればと思います。もっと詳しく聞きたいとかあれば、Twitterとかで連絡してくれれば全然お話ししますのでお気軽にどうぞ。

 長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれた方ありがとうございます。またこういう機会があれば。


東京理科大学大学院 理工学研究科 建築学専攻 垣野研究室 修士1年 青木快大
https://twitter.com/graphenetree


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