【本】「天才」は学校で育たない 汐見俊幸 ④

要約続きです。落ち着いたらもう少し簡潔にまとめ直します…。

・第4章

新学習指導要領ではアクティブラーニングを「主体的・対話的な深い学び」と表現した。「主体」とは自分が知りたいことを自分が主人公になって学ぶということ、「対話的」は他者をしっかりくぐって学んでいくこと、「深い」とはそれまでの知識と新しい知識がつながっていく心動かされる学びのことである。これを表面的にとらえて、挙手や発言など表面的なアクティブさだけあればよいと理解してはいけない。子どもたち自身の自由で豊かな対話と、それを大切に思う教師の丁寧な支えや評価が媒介となる実践が大切になる。

今回の改定では、「学力」という言葉はあまり使われず「資質・能力を育む」と示されている。「資質・能力」は「何を知っているか、何ができるか(個別の知識・技能)」、「知っていること、できることをどう使うか(思考力・判断力・表現力等)」、「どのように社会・世界と関わり、より良い人生を送るか(学びに向かう力、人間性等)」を3つの柱としている。

これらは、
①個別の知識やスキルを身につけるだけでなく(個別知)
②深く考えたり、議論したり、調べたり編集したり、説明したりするなど応用的な実践力を身につけ(実践知)
③学んだことを生活に活かせるようになる、もっと自分で学ぼうとするようになるなどの意欲や態度を身につける。(人格知)
と言い換えることができる。

こうした学びには「表現」が大切になる。自分の内面を表現してアウトプットすることで他者と出会い、共通理解を広げ、人間が共同で生きていることを確認し合える機会になる。

かつて生活綴り方教師は「子どもの一挙手一投足が表現である」と述べた。目つき、表情、歩き方、声、姿勢等全てが子どもの内面の外面化であり、表現である。大人は子どもの表現から子どもの内面を読み取り子ども理解をはかろうとする。その時、子どもの悪態などもネガティヴにとらえず、そうした形で出さざるを得ない、その子の善くなろうとする意志と読み取るとこが大切である。善くとらえてもらうことで、子どもは善くなろうとという気持ち(善き志向)を活性化させる。

子どもの表現を教育で重視すると、これまでの教育の仕方が変わる。これまでは、○×式で評価して点数で人を差異化することを優先する方法だった。しかし、これからは、個人のわかり方のプロセスを表現によって見える化し、共有することでより深い認識に近づく方法が大切になる。

流動性が高く、安定性が期待できない現代社会では点数や偏差値で人を振り分けることが難しい。1つの組織やスキルに留まらず、たえず模索する生き方がメジャーになっていくこれからは、自らが変化する力、変化に対応する力が大切になる。社会の変化の内実を、そのプロセスを分解することで把握し、それをもとに未来で大切になるものを見出していくことが、変化に応じる力となる。

見方を変えると正解がない世界、答えを自分で作らなければならない世界を生きるということを表す。これからは、答えの見つからない問いの世界を自在に行き来する知性を大切にする必要がある。

そのために、ある状況でのみ有効な個別の知識を超えて、物事の本質へとさかのぼろうとする知性(本質的な問い)を大切にする。
(例 「1×3÷3」を少数で計算すると0.9999...と無限小数になるが、分数でやると1になる。)

人間が何かを表現したい時には、その前にinputやimpressが豊かになければならない。さらに、自分の内面で発酵させるだけのゆとりがあってはじめて、expressになっていく。つまり、もともと能動的であるためにはpassiveでなければならない。

しっかりと受け止めて、考えている子どもたちの時間をじっくり保証して、感じていることを言葉にしてもらう。それをクラスで共有する。

形ばかりのアクティブラーニングではなく、子どもの中で発酵したものをしっかり受け止めるという意味でパッシブラーニングを実践したい。それが本当の「主体的・対話的で深い学び」である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?