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「私」の定義って難しくないですか?

みなさんこんばんは。

突然ですが、みなさんは「私ってなんだろう?」って思ったことありませんか。

私はしょっちゅうそういうことを考える癖があります。

私とは何か。もう少し噛み砕くと、私という存在の定義は何か?って感じですかね。

「何言ってるの?私は私だろ」の一言で終了させられてしまいそうですが、これがきちんと考えると非常に難しい疑問だと思うんですよね~。

例えば、私を会社に置き換えて考えてみてください。

会社って、まず確固たる物質として存在するわけではないですよね。あくまで同じ志を持つもの同士の「集合体」として会社が存在しているだけで、それって人間が作り出した「概念」に過ぎないですよね。よく「会社の判断」とか平気で言いますけど、これってあくまで会社の一部の人間の判断であって、会社という単一の何かが自分の意思をもって判断しているわけではないですよね。

じゃあ人間の場合だとどうか。

「人間はまさにこの身体があるだろ。会社とは全然違うぞ」という意見があると思いますが、よくよく考えてみると、人間の身体だってものすごく小さな細胞の集合体で、さらにその細胞ひとつひとつはもっと細かい原始の集合体です。

これって、会社が人間という存在の集合体で「概念」として存在しているのと同じだと思うんですよね。

これについては「いやいや、それは違う。会社を構成する人間は一定の場所にとどまったりしないが、人間を構成する細胞は急にいなくなったり、バラバラになったりしないぞ。それに私は会社と違って自分で考えることができる」という意見もあるでしょう。

でも、じゃあ人間を構成する細胞や臓器はこれだ!って確実に定義できるでしょうか。それから、「自分」で考えている、つまり「意思」があると思っていることについても、それって実は目や耳、舌等のセンサーからの信号が脳に送られて、脳の神経細胞(シナプス)一つ一つがバーっと反応して弾き出した結論でしかないと思うんですよね。

ちょっと視点を変えて、人間と同じように確固たる物質として存在してそうな「にんじん」で考えてみましょう。

にんじんの定義ってなんでしょうか。葉の部分と根の部分をあわせてにんじんでしょうか。うーん、なんとなく葉の部分はなくてもにんじんのような気がしますよね。スーパーだとほとんど葉の部分は切り落とされてにんじんとして売られてますし。じゃあ、葉の部分は切り落として、さらに根の部分を縦に半分にしたらどうでしょうか。これもまだ全然にんじんのような気がしますよね。じゃあもういっそのこと、フードプロセッサーで粉々にしてしまったらどうでしょう。これは難しいですね。原型はとどめていませんが、口にいれたらちゃんとにんじんの味はするでしょうから、にんじんと言っても問題ないと思うんですよね。というか、これについても、この状態を「にんじん」と呼ぶかどうかを人間がどう定義するかだけなんですよね。

結局私は何が言いたいのか。

「私」って何だろうという疑問について頭の中でぐるぐると考えていたら、「私」を含むこの世に確固たる物質(実体)として存在していると信じて疑わないものって、結局「会社」と同じで何らかの細かいものの集合体という「概念」でしかないんじゃないかって結論に行き着いたという話です。


帯状疱疹で頭がおかしくなったわけじゃありませんよ。笑

私は本当にこういう答えがあるのかないのかよくわからない疑問を自分の中でぐるぐる考えるのが好きなんです。

みなさんは「私」ってなんだと思いますか。

ではでは。

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