デス・カフェ

9月18日は、第5回のオンラインデス・カフェでした。曖昧な喪失をテーマに問いを立て、参加者の皆様と語り会う時間になりました。

毎回ですが、このデスカフェでは、問いを立ててそのテーマに沿って参加者に考えてもらいます。今回の最初の問いは、

「とても近しかった友人が亡くなったという知らせを年賀状の返信で知りました。その方は認知症になり、施設に入ったそうです。そして、静かに亡くなられたとのことでした。あなたは何を思い、どうしますか?」

というものです。自分がファシリテーターを行った部屋では、焼香に伺うか伺わないか?といった問題になりました。その時、故人との関係性や残された家族との関係性によって変わっていくとの意見も出ていました。個人的には、強い思いがあれば伺うのかな?と述べましたが・・

もう一部屋では、故人宅の仏壇でなくとも、墓に伺うとかの意見もあったようです・・・

この最初の問の後、休憩を挟んで、

「あなたは認知症に罹患し、独りで暮らせなくなりました。施設入所待ちをしています。そして、2週間後に入れることになりました。あなたは何を思い、どうしますか?」

と向かい合ってもらいました。自分の担当した部屋では、認知症になると本人より周囲の戸惑いが強いのでは・・という問いそのものへの疑問もいただいたりもしましたが、そこから任意後見の必要性を意見を述べる方もいらっしゃいました。また、友人に自分が認知症になったと素直に言えるだろうか?言える友人をこれから作っていけたら・・という意見もいただきました。さらに今生きている自分の立ち位置から友人、知人だけに伝えるのでなく、SNS等でより多くの方々に伝えざろう得ないという意見もありました。

さてクロージングでは、他の部屋での意見も知りますし、感想もいただきます。認知症になっていく中で母が見ていた世界を想像する方もいます。認知症になることで、今見ている世界と違う世界に移っていく。大きな荷物を持っていけないので、持っていけない荷物は置いていかなけらばならないといった意見もいただきました。

いつも思うのですが、このデスカフェはスタッフの打ち合わせで考え悩みながら問いを立てていきます。それは答えが予想できる場合もあります。また今回の様に答えが全く予想できないケースもあります。

行ってみると、予想できようとできまいと、驚きの答え、納得の瞬間に出会います。一つの行動を他者はどう見、認識するのかを知ると自分の認識で見える世界の限界も感じます。

対話の重要性を感じる瞬間です。






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