発信者に告ぐ!自分はつまらない人間だと言うこと
ビッグマウスなタイトルをつけたことに反省しつつ云うと、私は発信が好きです。
そう云うと「発信することがない」「周囲に自分のことを知ってもらわなくていい」と返ってきます。
違う気がするんですよね。
「発信できない」と言う人の多くは、自分のことを言おうとしているんじゃないかな。大抵の場合、自分の中にはネタがない。発信の上手い人は、外を見ている。私は、発信の上手い人を見て、その視点を忘れたくないと思っている一人です。
今日は、発信の話。
「自分」より「周り」
以前、編集を仕事にしていました。編集は「書く力」と思われがちですが「読む力」が必要だったりします。何を偉そうになのですが・・・その視点から言うと、発信が面白い人や書くことを仕事にしている人は「自分」よりも周囲に興味がある人でした。それは人だったり場所だったり世界のあれこれだったり。自分以外のことをしっかり見て学んで考えてる。
対象人物が「自分だけ」だと、どうしても世界が狭いんです。私みたいに、狭い世界で生きていると尚更、すぐにネタ切れします。
自ら情報をとりに行って、自分の心を揺れ動かし、しっかりと考えていく。かく言う私も、周囲のネタについて自分で考え抜いた視点については、誰かに話したくてウズウズしてきます(私だけかな)
※そういえば子どもの頃、自分の考えたことを作文にして周りに読み上げたりしていたな。
「書きたい」より「伝えたい」
インターネット上で言葉や文章を発信している人は「読まれたい」と言う気持ちが少なからずあるのではないでしょうか。私は、あるんですよね。「ねえ、こんなこと考えたの!聞いて聞いて!伝えたくてしょうがないの!」って、気持ちです。
この「書きたいこと」より「伝えたいこと」が、読んでもらうためには大事な視点だと考えます。
「すごく便利なものがあるから伝えたい!」「ものすごく素晴らしい人にあったから伝えたい」「すごくモヤッとしたんだけれど、そのことをしっかり考えたから伝えたい」などなど。自分が「ハッ」っとしたことって、周囲だって「ハッ」ッとするものだったりします。
とはいえ、自分が書きたいことを書くのもありです。ただ、需要があるかどうかは別の話。需要がなければ、ただの自分語りで終わってしまいます。
文章に限らず、周囲に話を聞いて欲しければ、自分のことばかり書いたり話したりするのではなく、「伝えたい」ことを意識したいな〜と思うんです。
何を偉そうに・・・
偉そにアレコレ書きましたが、私のnoteなんてさほど多くの人に読まれていません。しかし、発信自体はmixiの頃からずっと大好きです。インターネットも大好きでした。
で、長いことインターネット上に文章を書き落としてきた者として言います。キチンと考えて発信をすることには大きなのメリットがあります。
それは、目の前にいる人が「きちんと自分の考えを持つ人なのかどうか」、そんなことを気にかけれるようになることだと思うんです。それが、より良いコミュニケーションとディスカッションの始まりだと感じています。
人としても発信者としてもまだまだですが、日々精進です。
発信万歳。
今日は、ここまで!
いただいたサポートは、我が家の自閉症児2人のおやつか私の一息の休憩代に使わせてください。私もいつか、ひとり親や障害児育児にサポートできる側に回りたいです。