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リレーエッセイ/「わたしの2選」「わたしの人生の指針となる2冊」 『私家版 日本語文法』『ミス・マープルと13の謎』(紹介する人: 倉田 真木)

英日翻訳者の倉田真木です。子どもの頃から、本とともに生きてきたわたしにとって、本はつねに傍らに寄り添ってくれるかけがえのない存在です。今回は、その中でも大好きな2冊を紹介させていただきます。

『私家版 日本語文法』

             『私家版 日本語文法』井上ひさし著(新潮社)

言わずとしれた、と枕を置きたくなる井上ひさしの名著の一冊。タイトルに「日本語文法」とあるが、文法書ではなくエッセー集だ。1981年に文庫化され、通学の車中で読み、引きこまれた記憶がある。その後、英日翻訳の講師をする立場になった2005年代以降、必要に迫られたこともあって折に触れて手に取って読み直している。読み直すたびに、面白さが増し、2022年の今読んでも、日本語文法のみならず、身近な文章を引いた社会批評にハッとさせられる。

たとえば、次のようなくだりには、どこの国のいつの話だっけ、と思わず確かめたくなる。

《保革逆転を目指した七七年参院選でのわが党の後退を境に、……今回の総選挙の結果、……反独占国民戦線の形成を目指したが、……わが党の長期低落傾向に歯止めがかからず、野党戦線内部の対立と混迷、さらに総評の相対的力量の低下もあって困難となった。……反独占、民主的改革を目指す……》
 たったこれだけの、短い引用のなかに「目指し……」が三度も繰り返されているなど、質の悪い目刺しにあたって腹痛をおこしているような気分になってくる。

井上ひさし『私家版 日本語文法』(新潮社、1984)、「尻尾のはなし」より

 軽妙洒脱な氏の文章は、文字が音として聞こえてきて、まるで寄席にいるような錯覚に陥る。日本語の代名詞のくだりでは、『吾輩は猫である』と『坊つちゃん』を引き、ナカマとヨソモノの違いだと看破してみせる。

『吾輩は猫である』の語り手である猫は、いきなり「吾輩は……」と偉そうにいい、髭をひねりあげることによってヨソモノ宣言をしたのだ。登場人物たち、そして読者たちとは、ナカマではない、あくまでもヨソモノである、なにせ吾輩は猫であって諸君たちのような人間という面妖この上ない生物とはちがうのでな、と物語の語られ方の構造を種明かししてしまったのだ。……
 一方の『坊つちゃん』ではその逆の計算がなされている。作品の最初から〈おれは〉、〈おれは〉を連発して、いわゆる「おれおれ」になるのを避けている。物語り体の小説で、おれおれと強く押しすぎると、日本人読者が逃げるだろうという胸算用がある。

〔井上ひさし『私家版 日本語文法』、「ナカマとヨソモノ」より〕

しかも、引用文がどれもこれもチャーミングで、引用文だけで小説がひとつ書けそうな魅力があるのだ。ちょっと刺激的だが、かいつまんでご紹介させていただく。

もうひとつは、夫婦交換月刊誌『スウィンガー』(昭和五十五年三月号)の「スウィンガーズ・メッセージ」欄からの引用である。
《……150㎝、50㎏多湿多泣で恥丘が一段と豊満なピル服用の主婦と、165㎝、55㎏指、舌、本器ともにテクニック抜群と称賛されている夫で40才前後の誠実、さわやかな二人です。……》
 男性器のことを「本器」……、まことに毎号教えられるところの多い雑誌だが、この号に掲載された合計二六〇通のメッセージ(原稿用紙で約一五〇枚)に、接続詞はわずか九個だった。

〔井上ひさし『私家版 日本語文法』、「論より情け」より〕

接続詞や接続語の扱いは、翻訳初心者が必ずといっていいほど経験する悩みだ。わたしは個人的に、「接続詞入れたい症候群」と呼んでおり、原文になくてもまずは補足して訳出し、仕上げの段階で不要だと思えば削除しましょうとお伝えしているが、どなたも数か月すると、ふしぎと、あえて接続詞を入れなくても大丈夫だと思えるようになってくる。本書はその現象を、上記のなんとも刺激的な引用文を用いて、解明してくれる。

氏の作品は、本書に限らずどれも、翻訳に携わる方にぜひお勧めしたい。

『ミス・マープルと13の謎』

ミス・マープルと13の謎
アガサ・クリスティ著、深町眞理子訳(創元推理文庫)

子どもの頃、うん、ううん、そして最低限の連絡事項以外、わたしは周囲と口をきくすべを知らなかった。それは、親兄弟が、依存症やパーソナリティ障害、虚弱などの問題を抱えていたり、着替えと本を持たされて親類に預けられることが多かったりしたことも関係があるのかもしれない。いずれにせよ、物心がついたときには、手の掛からない無口な子と言われる一方で、喜怒哀楽の感情表現の薄い、居場所は本の中の子どもができあがっていた。20代になっても親兄弟とは連絡事項以外に口をきかないので、わたしの交際相手を認めなかった母は、口では伝わらないと思ったらしく、宮尾登美子の『陽暉楼』を渡してよこした。読後、感想を聞かれて伝えると、母が読ませたかったポイントとはかけ離れていて、母娘の溝がさらに広がるのだが、これはまた別の話。

そんなわたしが、小学校高学年の頃だったと思うが、出会ったのがアガサ・クリスティ作品だ。クリスティ作品はポアロものも、トミーとタペンスものも、どれもこれも面白かったが、中でもとくに気に入ったのがミス・マープルものの『ミス・マープルと13の謎』だった。当時読んだのは、2019年に新訳として出た深町眞理子訳ではなく、高見沢潤子訳だったはずだが、図書館から借りて読んだので、残念ながら手元にない。

 自分の暮らす村の住人たちの言動を手がかりに謎を解いていく姿もさることながら、若かりし頃に淡い恋はあったらしいが結婚にはこだわらず、自然体で暮らしている姿、ときおり甥の世話になることはあっても経済的に自立している姿にあこがれ、小学生ながら、ミス・マープルのようなおばあちゃんになりたいと思った。中高生になって、成人して……という段階はすっとばして、いきなりおばあちゃんになりたいと思った小学生は、アイドルやテレビ番組には目が向かなかった。いきおい、同世代の友だちはほとんどできない。おばあちゃんになるまでの数十年間をどう生きるかにはまったく思いが至っていなかったが、それでも、こんなおばあちゃんになる道もあるんだと思うと、モノクロの日々にわずかに色彩が加わった気がした。

その後の現実のわたしは、残念ながら、ミス・マープルほど潔い生き方はできていない。だが、今になって次のようなくだりを読み直してみると、マープルの謎解き場面に胸のすく思いをするだけでなく、作家はマープルを自分の分身として描いたのではないかとも読めてきて、1930年前後の女性作家の生き様に思いを馳せたくなる。

「で、まあお定まりといえばお定まりなんだが――われわれとしては、はなからミス・マープルのことはみそっかす扱いしておったわけだ。むろん、しごく丁重に扱いはしたさ――ああいった気のいいお年寄りの感情を害したくはないし。ところがどうだ、これがなんとも愉快な結果になっちまった! というのも、毎度毎度あの老婦人に、われわれ男どもがぎゃふんと言わされっぱなしだったんだ!」

〔新訳版『ミス・マープルと13の謎』、「青いゼラニウム」より〕

ここでようやくロイド博士が会話の主導権をとりもどした。「まあいずれにせよ、このセント・メアリー・ミードのような村では、ぞっとするような話に出会うことなんか、まずありませんよ、(中略)――いわんや、犯罪にからむ話ともなるとね」
「ほう、それは案外なことを聞くものだ」ヘンリー・クリザリング卿が言った。ロンドン警視庁の前総監である卿は、そこでミス・マープルをかえりみた。「ここにおいでのわが友人からは、いつも聞かされてきたものだからね――セント・メアリー・ミードの村こそは、犯罪ならびに悪徳の、このうえない温床だというふうに」
「まあそんな、サー・ヘンリーったら!」ミス・マープルは抗弁した。頬にぽっと血の色がさす。「わたし、そんなことを言った覚えはありませんよ。それらしきことを言ったとすれば、こういうことです――人間性というのは、村でも、ほかのどこでも、みんな似たり寄ったりだけど、ただ村にいるほうが、それをより身近に、より時間をかけて観察する機会に恵まれていると、それだけですよ」

〔新訳版『ミス・マープルと13の謎』、「コンパニオンの女」より〕

数年前、わたしがボランティアスタッフとして携わっている「洋書の森」セミナーに、児童文学の作家であり翻訳家である、こだまともこ先生にご登壇いただいたことがある。そのとき、こだま先生が、児童書には「この世に生きていていいんだよ、というメッセージを伝える」意義、すなわち「向日性」がある、とおっしゃっていた。ミス・マープルものは児童書ではないが、小学生時代のわたしに、おばあちゃんになるまで生きていれば何かあるかも、という「向日性」を教えてくれた大切な一冊である。

■執筆者プロフィール 倉田 真木(くらた まき)
英日出版翻訳者。
訳書に、トビー・ニール『緋色の蘭』(レッドサン、近刊予定)、『【閲覧注意】ネットの怖い話 クリーピーパスタ』(共訳、ハヤカワ文庫NV)、D・グラン『花殺し月の殺人』(早川書房刊)、J・シャーキー『死体とFBI』(早川書房)、J・キャンベル『千の顔をもつ英雄〔新訳版〕』(共訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)、C・アハーン『ザ・ギフト』(小学館)、ミルナー『ドリームガールズ』(小学館)、A・A・ミルン『くまのプーさん』(偕成社)、トリンブル『シュガー・ラッシュ』(偕成社)、アリソン他『リー・クアンユー、世界を語る』など。翻訳専門校フェロー・アカデミー、慶應義塾大学非常勤講師。自由が丘翻訳舎、大阪ウィンタージャスミン翻訳勉強会主宰。洋書の森ボランティアスタッフ。海外ドラマ、映画、ドキュメンタリー、ふしぎなことが大好き。
twitter:@maki_kur
◎自由が丘翻訳舎〔随時メンバー募集〕
問い合わせ先:jiyuugaoka.honyakusha@gmail.com

◎倉田真木さんの近訳書

『緋色の蘭』トビー・ニール著(レッドサン)
主人公は、日本、ポルトガル、ハワイと複数の文化的背景をもつ正義感の強い女性警官レイ。海の底から火山の頂上までハワイ諸島各所を飛び回り、体を張って犯罪を捜査していく。一方、私生活では、せっかく順調だった恋愛も、過去のトラウマのせいでこじらせてしまい……。美しくも神秘的なハワイの自然に浸りながら、主人公の活躍と恋を応援していただきたいシリーズ第1巻です。
『【閲覧注意】ネットの怖い話 クリーピーパスタ』(共訳、ハヤカワ文庫NV、2022年7月)        ネットの恐怖都市伝説のコピペから生まれたホラージャンル“クリーピーパスタ”。アメリカ・クリーピーパスタ界の人気Youtuberが厳選した悪夢の物語。身の毛がよだつ15篇の恐怖のショートストーリー集。翻訳勉強会「自由が丘翻訳舎」の仲間とともに企画し出版へ。ホラー作品には免疫強化機能もあるとか。夏のホラーもいいですが、冬にこたつでホラーというのはいかがでしょう。





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