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リレーエッセイ「わたしの2選」/『ルリユールおじさん』『アライバル』(紹介する人: 内山由貴)

はじめまして。翻訳者の内山由貴と申します。映像翻訳をメインにしていた時期もありましたが、ここ10年ほどは特許翻訳を専門としています。現在の仕事では堅い文章ばかりを書いておりますが、もともと読書が好きで、物語を綴るやわらかな文章も大好きです。

…と書いておきながら、矛盾しているかもしれませんが、言葉がなくとも伝わるものってあるなぁと感じることも多々あります。美術館に行ったり、絵本を開いたりしたときに、絵をとおして何かが強く伝わってくる瞬間ってありますよね。言葉が添えられていなくても国境を越えて伝わるであろう何かを感じたときに、絵の持つ力ってすごいなと思います。

今回は、わたしの大好きな絵本の中から2冊をご紹介したいと思います。後半の1冊は、文字どおり「言葉のない本」です。いずれも大人こそ楽しめる1冊だと思うので、手に取ってみていただけたら嬉しいです。

『ルリユールおじさん』

大好きな絵本作家、いせひでこさんの作品。舞台はフランスで、ルリユールとは「古くなった本の修復をする職人」という意味だそうです。

お気に入りの植物図鑑がボロボロになってしまい、少女ソフィーはルリユールおじさんのもとを訪れます。新しい植物図鑑はたくさん売っているけれど、「でもこの本をなおしたいの」と言うソフィー。こういう思いって、誰でも覚えがあるのではないでしょうか。そして本やCDの電子化が進む現代では、経験することが少なくなってしまった思いかもしれません。情報ではなくモノとしての本の魅力を、改めて思い起こさせてくれます。

ソフィーの大切な本を、ルリユールおじさんは丁寧に修復していきます。この修復の過程が、絵としてひとつひとつ丁寧に描かれていて、大人が眺めてもワクワクします。日本にはない職業ですからなおさらです。いせさんがフランスを旅していたときに実際にルリユールに出会ったことから描かれた作品なので、描写が非常にリアルなんですよね。

鉛筆スケッチのような線とやわらかな水彩で表現される、ソフィーの愛くるしい仕草や、ルリユールおじさんの節くれ立った手。美しい青が印象的です。

修復され、じょうぶに装丁されるたびに
本は、またあたらしいいのちを生きる。

生まれかわった本を大切に抱きかかえる、未来への希望にあふれたソフィー。「わたしも魔法の手をもてただろうか」と人生を振り返るルリユールおじさん。2人の対比が際立ち、人生ってこんなふうに繋がれていくんだなと自らの人生も振り返りました。

ちなみに、同じくいせひでこさんの作品である『大きな木のような人』に、大人になったソフィーが登場します。『ルリユールおじさん』が気に入った方は、ぜひこちらも手に取ってみてください。

『アライバル』

オーストラリアのイラストレーター・作家である、ショーン・タンの作品。一応、日本語版も出版されているのですが、なんと本編には文章が一切ありません。翻訳者にとっては皮肉な話ですが、文字がなくとも伝わってしまう作品なのです。むしろ、言葉がないからこそ普遍性をそなえている作品ともいえるのではないでしょうか。

受け取り方は百人百様だと思いますし、だからこそ面白いのでしょう。大型本ですが、非常に緻密でリアルな鉛筆画で埋め尽くされています。リアルと書きましたが、実在しないモノや生き物もたくさん登場します。それらをリアルに描くという、想像力、創造力、描写力。ページをめくるたびに圧倒されます。

移民がモチーフになっているのですが、「実在しない国やモノ」を描くことで「世界中の誰にとっても未知の国」を実現しているんですよね。未知の国を訪れたときの戸惑い、不安、畏れ…そんなものが、ダイレクトに伝わってきます。

そして「国」に限らず、あらゆる未知のモノを想起させられるのです。

この作品の邦訳の発売日は、奇しくも2011年3月。まったくの偶然ではありますが、東日本大震災の直後でした。私は実家が福島県いわき市なので、この作品に震災後の世界を重ねてしまった部分もありました。震災から原発事故につながる時期の世の中の混乱、未知の物質への恐怖、移住を余儀なくされた人々、等々…。そんな読み方ができるのは、この作品のリアルさと抽象性の絶妙なバランスのおかげでしょう。

人によって本当にいろいろな読み方ができる1冊なので、ぜひ多くの方に手に取ってみてほしいです。

また『見知らぬ国のスケッチ』という、『アライバル』を描いたショーン・タンの手記のようなものも刊行されています。こちらは多数のアイデアスケッチと共に、ショーン・タンの言葉がたくさん綴られているので、この後『アライバル』を読むとまた別の楽しみ方ができてオススメです。

 ■執筆者プロフィール 内山由貴(うちやまゆき)

読書が大好きな英日翻訳者。広島市在住。テレビ局の台本校閲担当を経た後、翻訳会社のコーディネーターに転職。在職中から字幕翻訳の仕事が入り始め、2006年に映像翻訳者として独立。ドラマやDVDの字幕翻訳を数多くこなしたが、東日本大震災を機に特許翻訳に主軸を移す。現在は日→英の機械・通信分野が中心。最近はジャズにハマっていて毎週のようにジャズクラブに通っている。サックスとドラムに挑戦中。

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