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これからの『手打診療所』を形作るのは僕たちなんだ@離島・へき地で未来の医療体験記

大学時代、靴下を洗うのが面倒で一年中ビーサンを履いていました。洗濯バサミに1つずつつけるのがたまらなく面倒だったんです。
変なプライドも相まって雪の日もサンダル履いていました。指先はまっ赤。そして気がつけば14年程サンダルを履き続けていたのですが、ついに靴を履く覚悟を決めた室原です。
#なんか悔しい
#ビーサン→雪駄→漁サンの歴史(漁サンが一番長持ちした)
#靴を履く理由は足の形が崩れてきて、膝も痛くなってきたから。インソールを使います。
#健康に年を重ねたいと思うこの頃


さて今回は1年の抱負かなとか思っていたのですが、何とも最近思うことが2つほどあったのでそちらを書かせてください!

1つは手打診療所のこらからについて。これからの『手打診療所の在り方』を決めるのは自分たちなんだってことを実感した出来事がありました。

『下甑手打診療所』といえばやはりDr.コトーのモデルとなった瀬戸上健次郎先生がいらっしゃった場所。
室原の中の手打診療所というのは、イメージができていてなんとなくですが、『農村社会というか人の顔が見える関係性の中で、相手の困りごとに真摯に耳をかたむけ寄り添う診療所』って感じなんです。
#「我がとこの診療所」って呼んでもらいたい
そしてこれは、自分の身の振り方に関わらず不変の事だって浅はかにも思ってたんです。でも最近、そうじゃなくてその在り方を良くも悪くも決めるのはこれからの自分たちの振舞いなんだって思ったんです。

先日、室原が呼び出し当番でない休日に我が家の玄関に1人の方が来られました。
「家の人が怪我をして血を流しているから、診てくれないか?診療所に行くほどではなさそうだし、診療所に行く足がない」
室原「当番の先生もいますよ。診療所に連絡しとくからどうにか診療所に行けませんか?」と。するとその方は
「やっぱり診療所に行く足がない」と。
自動車を持たず、確かに診療所に歩いて行くにはしんどい年齢。
診療付き添いとしての「御用聞き」を提案してはみたもののやはり悪いからと帰られました。その様子からは診療所には行かずに自身で処置をして様子を診るつもりのようでした。

もやもやしながらも、その後長女を引き連れご自宅にうかがい家にある絆創膏などを利用して手当てさせて頂きました。
#横で「もういいよ~やめときなよ~」と永遠ちゃちゃを入れ続ける長女w

このときの室原の心の中は、、
・長女うるさい
・休日当番がいて診療所も急患用に開いているからそっちに行ってもらうのが筋だよなー
・でもこの雰囲気は結局診療所行かずにそのままになりそうな。。
・本来の医療の本分としては手当てをしてあげたい。
・でも、こんな例外をやってこんな案件がどんどん増えてきたらどうしよう。そもそもほかの患者にも不平等なのでは?お金はとるのか??

とかいろいろもやもやしがら手当てをさせてもらいました。
手当中に名案を思い付き、今回は新年の挨拶に伺ったらけがをしていたから手当したってことにしちゃおうと!これで今回はとりあえず自分を納得させることができました(笑)ただ室原的には

『こんな小さな傷一つを診るためにどんだけしがらみがあんだよ!!医療ってなんだよ!!こんなんで安心して島に暮らさせてあげられんのかよ!!』

ってのが暴君室原の心の内ですが、今は所長の立場なのでおくびにも出しません。ルールの大切さも、それが僕たちを守ってくれていることも知っているので。
#完全に二重人格

これはほんの一つの例です。
思えば診療所の所長をやらせてもらって一番悩んでいるところは、この「個別に対応する融通」と「組織としてのルール」の狭間の問題ばかり。

例えばコロナ以降続く面会制限については、前週の感冒受診者数を目安に面会レベルを自動で設定できるように感染委員会にお願いしました。もちろん患者の状態によって面会は可能にしていますが、これはその都度の「個別対応」をやめて「ルール」に移行した例です。

「個別に対応する融通」と「組織としてのルール」にはグラデーションがあるんだと思います。大病院などの大きいところは「組織としてのルール」の割合が高い。一方で個人の開業医などは「個別に対応する融通」の割合が高い。

手打診療所としてどこにその塩梅を持っていくか。それを示し続けるのが所長としての役割なんだとも思います。職員と意見が分かれるときには、遅くまで語ったりもします。

公費として手打診療所が存在する意味。
限られたマンパワーの中で、多くの方に良い医療を提供すること。
主語は相手にある。

「個別に対応する融通」と「組織としてのルール」は無限に場合分けがあるので事前想定は不可能です。そんな時に、

『あなたはこうしてほしいんですね。だったら、僕たち(手打診療所)はこうするよね』

っていう診療所内の当たり前の暗黙の了解みたいなものが『手打診療所の在り方』になっていくんだろうなと思う今日この頃です。
冒頭に2つと書きましたが、1つでおなか一杯になっちゃいましたw
またの時に2つ目も書かせてください!

ありがたいことに来年も手打診療所所長を続けさせてもらえそうなので、引き続き全力で向き合っていこうと思います!今年もどうぞよろしくお願いいたします!

最近やたらと似てると言われるのですが
これは似てるのでしょうか?w

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