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好きなものに囲まれる

ある日の夜

noteは何度もトライしているけれど続いた試しがない。けれど、常に何かを書きたいという気持ちはあり、手帳のやることリストにも常にnoteの文字があった。ただ、何を書いていいのかわからない。ダラダラとした、あれをやったこれをやったといった日記はあとへの記録でしかない。でも、そうだ、とにかくなんでもいいから書いてみようという気持ちになったのが、とある日の夜。それが上の写真を撮った日。

ありとあらゆるコトが重なり、心が病んでしまった。1年間、なんとか我慢し続けていたし、騙し騙しにやってきた。けれど、それが崩れてしまったのがつい最近のこと。やはり騙しながら生きるのは無理なのだ。

元気になる的な言葉を聞いても、どんなに笑える面白い画像を見ても、どんなに無理をしても、小さなことにすら感謝ができない毎日。そんな日が続く。そして全く元気にならない自分にもイライラしてしまう。

ニュースを見れば、自然災害の被害に遭って亡くなわれてしまった多くの人がいることが報道される。運命という言葉では片付けられない。そこで、その場でその時、自分の人生が終わるなんて考えもしていなかった人たちばかりだろう。そんな報道がされている中、生きているということすら感謝ができない日。なんてひどい人間なんだ、とそこでまた自己嫌悪。その悪循環。そのうちバチが当たるだろう。いや、この暗闇の中に入ってしまっていること自体がバチなのかもしれない。

それでも、新しい日はやってくる。上の写真を撮った日、確か週末の夜だった。ふと思えたのだ。好きなものに囲まれてる、今。あぁ、これって幸せかもしれない、と。前を見ても横を見ても、自分が選んだスキなモノだけしか目に入ってこない。誰かの小言も、自分の小言も、暗いニュースも入ってこない。自分だけの世界。幸せかもしれない。

そこで考えてみた。今、自分を生き続けさせてくれている動力はなんだろう、と。家族や友人の存在はもちろんなのだけれど、あえてモノに限定してみた。家族も友人も見える存在ではあるけれど(彼らの存在が大きいということは)当たり前という感覚もあるし、言葉で説明するには複雑すぎるのだ。だからあえて目に見えるモノにした。

それがこの3つ。本と文具と紅茶。本業にも関係のある子供の頃から大好きな『本』。そして考えているだけで幸せにさせてくれる『文房具』。あとそれらのお供の『紅茶』。本当はここに『音楽』も入れたかったのだが、それはのちのち考えてみようと思う。

これらがある限り、わたしは生き続けることができる、と感じたのだ。大げさに聞こえるかもしれないけれど、ここ数週間のわたしは荒れていた、どころではなく、大荒れだった。傍から見れば普通の人。元気? と聞かれればま、まぁね、と答える毎日。性格上、元気ではない時にムリして元気だよ、とは言わない。まぁね、が自分の中でまぁいいほうだよ、という感じなのだ。

でも心の中は何かが暴れてしまい、それが消えることはなかった。結局病院へ行き(この病院もまたなんてこった的な話があるのだが)薬を処方してもらい、とりあえずは元気になってみようかな、という気になっている。元気になってみようかな、これは自分の中で大きなステップかもしれない。それすら考えることもできなかったのだから。

こうやって文字にしてみると、簡単なプロセスに聞こえるかもしれないけれど、ここに来るまでにかなりの葛藤はあったのだ。

上の写真を撮った日に少しばかり希望が見えたのは、きっと今やりなさいというお告げなのだと思い、二日後にnoteの新しいアカウントを設置。その日は何も書かず、今日に至る。

やる気が出るまで待つな、とよくいわれる。やる気は行動をし始めてから出るものだから。でもその始める、ところが心を病んでいると難しい。なんせ身体が動かないから。身体が動いてくれないから。それでも起き上がって、こうやって書いてみる。きっと、何かができるはず。

その中で外せない存在が、そしてなしでは今の人生を語ることのできないのがトラベラーズノート。東京駅のバージョンをメインに使っているが、一体いつ買ったのだろう? と全く覚えていない。と思ったらなんと! 今朝、その当時の日記が見つかり、2017年12月27日に購入していたことが判明した。これは嬉しい。5年ほど使っているわけだが、触りもしなかった時期も数年あるので、5年とは言い難いのだが。それでもこの日がわかったのはとても大きい。12月27日を自分の中でのトラベラーズノートの日とすることにした。それだけでもちょっと嬉しい。楽しい。ワクワクする。そしてワクワクすることはいいことだ。

だが、トラベラーズノートを買ったきっかけは、すっかり忘れている、笑。当時はバレットジャーナルにはまっていたのだが、その時に愛用していたのはもっぱりドイツのノートメーカーNuunaのノート。シンプルでも大胆でセンスのいいカバーに惹かれているのだが、その紙の質も良く(紙はスウェーデン産!)愛用していたのだ。今でも読書ノートにはNuunaのノートを愛用している。そしてまだパッケージをあけていないNuunaのノートもいくつかある …

こちらの文房具を愛用していても当然のごとく、文具の天国→日本からの文具情報はもちろん入ってくるわけで、トラベラーズノートについてもその時に知ったのではなかったかな、と思う。システム手帳がノートになっただけじゃないか、なんて軽い思いだったのだけれど。

2017年の年末に日本へ帰省していた時、東京駅のトラベラーズファクトリーへ足へ運んで東京駅バージョンを購入したというわけ。その時に買う予定だったのかその場で一目惚れをして買ったのかは覚えていない。けれどあの時買っておいてよかった、と思う自分はいることは確かだ。

本当はこのnoteも【本とトラベラーズノートと紅茶がある限り】にしようかと思っていたぐらいトラベラーズノートとその世界が今の自分を助けてくれている。でも他の文具も好きだしなぁ、ということでトラベラーズノートではなく、文具、にしてみた。

どういう形でトラベラーズノートが自分を助けてくれているのか? という話は次で詳しく書こうと思う。

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