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浄土真宗本願寺派 現代語訳と和讃解説

私の家は一向です
周りも本願寺派の人が大半の地域で育ち、お葬式もお盆もお経を聞いて馴染んでいましたが、その意味が全くわかっていなかったので調べた。

浄土真宗本願寺派 西本願寺
『正信偈(しょうしんげ)』現代語訳:中津功先生監修

1 帰命無量寿如来 
2 南無不可思議光
生きとし生けるものを喚(よ)び覚(さ)ましてやまない無量寿如来に帰命し、思いはかれない智慧のみ光に帰依(きえ)いたします。

3 法蔵菩薩因位時 
4 在世自在王仏所
その昔、あなた(阿弥陀)が法蔵菩薩として道をもとめておられたとき、世自在王仏という師におつかえし、

5 覩見諸仏浄土因 
6 国土人天之善悪
あらゆるみ仏の世界の成り立つ原因と、その国土の人間と天人の善し悪しのすがたをみきわめて、

7 建立無上殊勝願
8 超発希有大弘誓
すべての人の依りどころとなる淨(きよ)らかなる国土を建てようと、この上なく素晴らしい願いを打ち立てられ、みな共に目覚めようとの、またとない誓いをおこされました。

9 五劫思惟之摂受 
10 重誓名聲聞十方
五劫という長い時をかけ、思索を深める中から根本の願いを選び取って、み名(名号)にあらわされ、重ねて誓われました。どうかこのみ名とそのいわれがよく聞かれ、あまねく十方の世界にひびきわたりますように、と。

11 普放無量無辺光
12 無碍無対光炎王
あなたの名は、この世界の至るところにあまねく光を放ち、はかりなく、果てしなく、さまたげなく、比べるものなく、炎のように燃えて、

13 清浄歓喜智慧光
14 不断難思無称光
清浄(しょうじょう)な、身心に満ちるよろこびとなり、真の智慧を輝かせ、絶えることなく、思いや言葉でたたえ尽くせない光が、

15 超日月光照塵刹
16 一切群生蒙光照
日月よりも明るく、世界のすみずみまで照らします。すべてのいのちが、その光の恩恵をこうむっています。

17 本願名号正定業
18 至心信楽願為因
この南無阿弥陀仏の名号こそ真実の言葉となって人が生きて往く道を正しく定めるはたらきをします。み名に込められた、真実に目覚ませようとのお心が、私たちのいのちの根源にはたらきかけ、呼び覚ますのです。

19 成等覚證大涅槃
20 必至滅度願成就
だれもが平等ないのちの尊さに目覚めて、真のさとりの世界に帰することができるのは、必ずさとりに至らせよう、という阿弥陀の願いが成就しているからです。

21 如来所以興出世
22 唯説弥陀本願海
憶(おも)えば、釈迦如来はじめ諸仏がこの世に出現してくださいましたのは、ただひとえに、海のように果てしなく、深く広い、阿弥陀の本願を説くためでした。

23 五濁悪時群生海
24 応信如来如実言
人も世も、自我に執らわれていのちが見えず、破滅に向かって溺れているはかり知れない人々は、まさに如来の、人間を呼び覚ます真実の言葉を信受すべきであります。

25 能発一念喜愛心
26 不断煩悩得涅槃
本願を信じ喜ぶ心が、ひとたびわが身におこるとき、煩い悩みを断たなくても、この上ないさとりを得ることができます。

27 凡聖逆謗齊廻入
28 如衆水入海一味
凡夫も聖者も、み仏に逆らい法を謗(そし)る人も、皆、ひとたび自我の心をひるがえして真実に帰入すれば、様々な川が大海に入って一つに溶け合うように、いのちのひびき合う世界となるのです。

29 摂取心光常照護 
30 已能雖破無明闇
摂め取って捨てないみ仏の光は、常に私たちを照らし護ってくださいます。すでに無明の闇は破られているといっても、

31 貪愛瞋憎之雲霧
32 常覆真実信心天
私たちのむさぼり、執着し、怒り憎しむ雲や霧が、常にみ仏の真実の心を覆(おお)ってしまいます。

33 譬如日光覆雲霧
34 雲霧之下明無闇
たとえば、日光が雲や霧に覆われても、その下は、明るく闇がないように、み仏の心は私たちの闇をつつんでいます。

35 獲信見敬大慶喜
36 即横超截五悪趣
真(まこと)の信を獲得(ぎゃくとく)することができれば、いのちの尊さに目覚めて敬うことができ、大きなよろこびに満たされます。そのときただちに、迷いの生き様が断ち截(き)られて本願に生きるものとなるのです。

37 一切善悪凡夫人
38 聞信如来弘誓願
善し悪しに縛られているすべての人々が、如来の、かならず救おうという誓願を聞信するならば、

39 仏言広大勝解者
40 是人名分陀利華
み仏は、ほんとうによくわかった智慧ある人だとたたえられ、この人を、泥に咲いて濁りに染まらない分陀利華(白蓮華)と名づけます。

41 弥陀仏本願念仏
42 邪見憍慢悪衆生
阿弥陀仏の本願を信じて称える念仏は、自分の考えに閉ざされて、おごり高ぶり、あなどって仏に背く人たちが、

43 信楽受持甚以難
44 難中之難無過斯
信心に目覚めて生きることはとても困難です。難い中にも、これ以上難いものはありません。

45 印度西天之論家
46 中夏日域之高僧
はるか西方、印度の論主(龍樹・天親)、中国・日本の高僧(中国―曇鸞・道綽・善導、日本―源信・源空)がたは、

47 顕大聖興世正意
48 明如来本誓応機
釈尊がこの世にお生まれになった真意を表し、阿弥陀の根本の誓いが、人間そのものに応える救いであることを明らかにされました。

49 釈迦如来楞伽山
50 為衆告命南天竺
釈迦如来が、楞伽山にましまして説法されたとき、聴衆に予告されました。

51 龍樹大士出於世
52 悉能摧破有無見
「南インドに龍樹という仏法に通達した偉大な人が現れ、有無に執らわれて真実を覆う見解を、ことごとく打ち砕くであろう。

53 宣説大乗無上法
54 證歓喜地生安楽
大きな乗り物のように、人みなを真の救いに至らせるこの上ない法を説き、身心に喜びの失せない生活を証して、いのち安らぐさとりの国に生まれしめるであろう」と。

55 顕示難行陸路苦
56 信楽易行水道楽
龍樹菩薩はさとりへの道を明らかに示し、陸路をただ一人自力で歩く、苦しい難行よりも、みんなと共に船に乗り、仏力に任せて楽しく渡る念仏の易行道をすすめられました。

57 憶念弥陀仏本願
58 自然即時入必定
だから、阿弥陀仏の本願を忘れず心に憶(おも)い念じるならば、本願自然(じねん)のはたらきで、即座に、必ずさとりを開く身と約束され、迷いに退かない身になります。

59 唯能常称如来号
60 応報大悲弘誓恩
ただよく、常に如来のみ名を称えて、大いなる悲願の恩恵に応えよ、と説いています。

61 天親菩薩造論説
62 帰命無碍光如来
天親菩薩は、『浄土論』を著わされてみ仏の心をつぶさに説かれました。「私は碍(さまた)げなき光の如来に帰命します」と表明され、

63 依修多羅顕真実
64 光闡横超大誓願
釈尊の教えに依って真実の帰依処を顕し、人みなが迷いの生活からただちに目覚めに至る、大いなる誓願を明らかに説きあらわされました。

65 広由本願力廻向
66 為度群生彰一心
み仏の本願の力を広く人々の上に表して、生き悩む人々を救い遂げるため、本願に頷(うなず)く一心をあきらかにされました。

67 帰入功徳大宝海
68 必獲入大会衆数
み仏の恵みに満ちた大きな宝の海のようなみ名を聞信すれば、必ず浄土に生まれる、念仏に開かれた人々(仏弟子)の数に入ります。

67 得至蓮華蔵世界
70 即證真如法性身
汚濁に染まらない蓮華のようなみ仏の世界に至れば、ただちに真実のさとりをこの身に受けて証せしめ、

71 遊煩悩林現神通
72 入生死薗示応化
煩悩にまみれた生活にありながら、自在にいのちの尊さを現し、生死の迷いに縛られた現実の中にあって、まるで林や園に遊ぶように人々を呼び覚まし続ける、と説いています。

73 本師曇鸞梁天子
74 常向鸞処菩薩礼
曇鸞大師は徳高く、梁の国王が、常に、曇鸞大師のおいでになるところに向かって菩薩と敬い礼拝していた方です。

75 三蔵流支授浄教 
76 焚焼仙経帰楽邦
三蔵(経・律・論)を伝えた菩提流支との出遇いによって、浄土の教えを授かり、それまで信じていた長生不死を説く仙経を焼き捨てて、浄土に帰入されました。

77 天親菩薩論註解
78 報土因果顕誓願
天親菩薩の『浄土論』を註釈し深いこころを説いて、真実報土に生まれる因も果も、すべてみ仏の誓願にもとづくと明らかにされました。

79 往還廻向由他力 
80 正定之因唯信心
浄土に生まれて往くのも、還りてこの世にはたらくのも、自力ではなくみ仏の本願力に由るのです。真実に生きて往く道が定まるその原因は、まことの信心ひとつにあります。

81 惑染凡夫信心発 
82 證知生死即涅槃
惑いに染まった凡夫が、信心をおこせば、生死に執らわれた迷いや不安も、そのままさとりの内容となり、人生のかぎりなく深い意味を知らされます。

83 必至無量光明土 
84 諸有衆生皆普化
必ず、量り知れない光の世界に生まれ往くのですから、あらゆる人々を、余すことなく感化していける、と説いています。

85 道綽決聖道難證 
86 唯明浄土可通入
道綽禅師は、自ら仏道をきわめる中、今や聖者の道では人みながさとりを得ることができない、と決定して、ただ、弥陀の本願を信じて浄土に生まれ往く道だけがすべての人に開かれていることを明らかにされました。

87 萬善自力貶勤修 
88 円満徳号勧専称
よろずの善根を積み、それを頼みとする自力の行は、人としての目覚めの道を覆うので、功徳まどかなみ仏のみ名を、ただひたすらに称えよ、とすすめられました。

89 三不三信誨慇懃 
90 像末法滅同悲引
信と不信のすがたを、ていねいにわかるまで諭(さと)し、仏教が形ばかりになり滅び去る時代になっても、み仏の心は、人々を同じく悲しみ導き入れてくださいます。

91 一生造悪値弘誓 
92 至安養界證妙果
一生の間、悪を造った者も、ひとりも漏らさぬ弥陀の誓いに出遇えば、いのちが生き生きとして安らぐ世界に至り、まことの証が開かれる、と説いています。

93 善導獨明仏正意 
94 矜哀定散与逆悪
善導大師よ、大師独りが『観無量寿経』に説かれている阿弥陀の本願のお心を明らかにされました。心を静めて浄土を願う人も、乱れた心に善行を励む人も、仏法に逆らう極悪な人も、仏は等しく哀(かな)しまれ、

95 光明名号顕因縁 
96 開入本願大智海
まことの智慧の光(教え)に遇い、み仏のみ名を聞き称えるならば、かならずそれが因縁となり道が開かれる、と、明らかにされました。本願の大きな智慧の海に帰入するならば、

97 行者正受金剛心 
98 慶喜一念相応後
念仏に生きる者は、何ものにも壊されない金剛の信心を身に受け、この上ないよろこびが満ちてみ仏の心と一つになったとき、

99 与韋提等獲三忍 
100即證法性之常楽
地獄の苦の中で釈尊に出遇った韋提希夫人と同じように、よろこびと悟りと知慧の三忍を得て、永遠のいのちに目覚め、真実に生きて安らかである、と説いています。

101源信広開一代教 
102偏帰安養勧一切
源信和尚は、広く釈尊一代の仏教を説き明かし、ひとえに念仏申し、いのちの安らぐ世界に帰れと、すべての人にすすめられました。

103専雑執心判浅深 
104報化二土正辨立
念仏を信じる心について、専ら本願に生きる深い心と、あれこれ雑(まじ)える自力の浅い心を明らかにし、本願に報われたまことの浄土に生まれるか、疑いに覆われた仮の国土に閉じこもるか、生まれる世界が違うとはっきり示されました。

105極重悪人唯称仏 
106我亦在彼摂取中
極めて罪の重い悪人は、唯阿弥陀仏のみ名を称えるほかに道はありません。私もまた、逃げるものをも摂(おさ)め取る光の中にありながら、

107煩悩障眼雖不見 
108大悲無倦常照我
煩悩が眼を障(さ)えて恵みの光を見ることができなくとも、弥陀の大悲は、倦(あ)くことなく、常にわが身を照らしたもう、と説いています。

109本師源空明仏教 
110憐愍善悪凡夫人
よき師源空(法然)上人は、すべての人々の真の救いのために仏教があるのだということを明らかにされ、善し悪しに執らわれた私たち凡夫人を深く愍(あわれ)みたまい、

111真宗教證興片州 
112選択本願弘悪世
浄土真宗の教えを、片端の州(くに)であるこの日本に興されました。選び抜かれた本願のお法(みのり)を、この悪世に弘められました。

113還来生死輪転家 
114決以疑情為所止
私たちが、ひたすら生に愛着し死を恐れて堂々巡りを繰りかえし、迷いの生活に流されてしまうのは、阿弥陀の本願を疑って、自分の思いに止まっているからであると明らかにされました。

115速入寂静無為楽 
116必以信心為能入
速やかに迷いの家を出て、寂(しず)かなさとりの世界に入ることは、必ず、真実信心によって実現する、と説いています。

117弘経大士宗師等 
118拯済無辺極濁悪
み仏の教えを弘めてこられた論主や祖師がたは、濁り切った世の、数知れない極悪人を救いたもうています。

119道俗時衆共同心 
120唯可信斯高僧説
仏道にたつ僧も、教えを信じて歩む人も、この世に生きる者は、共に心を同じくして、ただひたすら、この高僧のみ教えを信ずべきです。

日常勤行

「南無阿弥陀仏」は、感謝を唱える念仏で、現代語訳すると「阿弥陀さまに心から従います」という意味になる。
くりかえしになります。

https://www.youtube.com/watch?v=uV8fWo9Q5OY

和讃の音楽教室
なーの意味は不明でした。

讃阿弥陀仏偈和讃 解説付き

 弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり
 法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり

阿弥陀仏は、仏となってからすでに十劫の時を経ておられる。さとりの身から放たれる光はどこまでも果てしなく、迷いの闇にいるものを照らすのである。

 智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく
 光暁かぶらぬものはなし 真実明に帰命せよ

弥陀の智慧の功徳は限りがない。だから、限りある命をもつすべての生きとし生けるものは、その功徳にあずからぬ者はいない。真実の功徳をもたれている阿弥陀仏を、ひたすら頼みとしなさい。

 解脱の光輪はきわもなし 光触かぶるものはみな
 有無をはなるとのべたまう 平等覚に帰命せよ

衆生を悟りに導かれる弥陀の光は、あまねく全宇宙を照らしている。その光を受けている衆生は迷いの見解を離れると説かれた。一切衆生を等しく救われる弥陀をひたすら頼みとしなさい

 光雲無礙如虚空 一切の有碍にさわりなし
 光沢かぶらぬものぞなき 難思議を帰命せよ

何ものも妨げることが出来ない弥陀の光は、虚空の如くあまねくゆきわたっている。如何なる障害にも邪魔されず、その光に照らされている衆生に智慧を与えています。人の思慮の及ばない徳をもたれている阿弥陀仏をひたすら頼みとしなさい。

 清浄光明ならびなし 遇斯光のゆえなれば
 一切の業繋ものぞこりぬ 畢竟依を帰命せよ

阿弥陀仏の清浄な光は、ほかにならぶものがないほどに優れている。この光に照らされるゆえに、我々は無限の過去から、つくりつづけている悪業の束縛から解き放たれ、地獄に落ちることがない。一切衆生の最後の拠り所である阿弥陀仏を、ひたすら頼みとしなさい。

 仏光照曜最第一 光炎王仏となづけたり
 三途の国闇ひらくなり 大応供を帰命せよ

阿弥陀仏の光の輝きは最も優れたものである。それゆえに、光炎王仏とも名づけられる。地獄・餓鬼・畜生という迷いの暗黒をも取り除かれて、光明を得ることが出来る。すべての衆生が全身全霊を捧げるにふさわしい阿弥陀仏をひたすら頼みとしなさい。

 道光明朗超絶せり 清浄光仏ともうすなり
 ひとたび光照かぶるもの 業垢をのぞき解脱をう

弥陀の悟りの身から放たれた光明は明朗であり、ほかのものを超えて優れている。それゆえに、清浄な光の仏と名づけられる。一度この光に照らされた衆生は、悪業煩悩を除かれて、悟りを開かせていただける。

 慈光はるかにかぶらしめ ひかりのいたるところには
 法喜をうとぞのべたまう 大安慰を帰命せよ

弥陀の慈悲の光は、はてしない遠方をも照らしてくださる。光をあびた人びとは、救いの教えに出会えた喜びを満喫する。煩悩に苦しむ人びとに大きな安心と慰めを与えてくださる阿弥陀仏を、ひたすら頼みとしなさい。

 無明の闇を破するゆえ 智慧光仏となづけたり
 一切諸仏三乗衆 ともに嘆誉したまえり

我々の無知の闇を破っていただいた仏の智慧を備えた仏を智慧光仏と名づけられる。全宇宙の御仏たちも、仏道修行に励んでいる菩薩や縁覚や声聞も共にこの智慧光仏を誉め讃えておられる。

 光明にてらしてたえざれば 不断光仏となづけたり
 聞光力のゆえなれば 心不断にして往生す

阿弥陀仏の光明は、絶えず人びとを照らしている。それゆえに、不断光仏と名づけられる一切衆生をたえず照らして守っていただいている弥陀の光の功徳を信じるゆえに、命が尽きるまで安心の心は絶えることなく、往生できるのである。

 仏光測量なきゆえに 難思光仏となづけたり
 諸仏は往生嘆じつつ 弥陀の功徳を称せしむ

阿弥陀仏の光明の功徳は、誰もが推し測ることが出来ないくらいに優れている。それゆえに、難思光仏となづけられる。全宇宙の御仏たちは、悪業の凡夫をも往生させれれる難思光仏を嘆称され、その功徳を称讃される。

 神光の離相をとかざれば 無称光仏となづけたり
 因光成仏のひかりをば 諸仏の嘆ずるところなり

阿弥陀仏の神の力のような光明は、姿は見えないが、絶対の功徳である。その功徳を表現する言葉はなく、説明も出来ない。ゆえに、言葉を超えた無称光仏となづけられる。この無称光仏をすべての仏が誉め讃える。

 光明月日を勝過して 超日月光となづけたり
 釈迦嘆じてなおつきず 無等等を帰命せよ

阿弥陀仏の光明は太陽や月よりはるかに優れている。それゆえに、超日月光仏と名づけられる。釈尊がこのことを讃えられて、言葉を尽くしても説明出来なかった。ほかに等しいもののない、たぐい稀な阿弥陀仏をひとえに頼みとしなさい。

 弥陀初会の聖衆は 算術のおよぶことぞなき
 浄土をねがわんひとはみな 広大会を帰命せよ

阿弥陀仏が仏と成られた時、その場に集まっておられた聖なる衆は数え切れないほど多かった。浄土への往生を願う人びとは阿弥陀仏をひたすら頼みとしなさい。

 安楽無量の大菩薩 一生補処にいたるなり
 普賢の徳に帰してこそ 穢国にかならず化するなれ

安楽の浄土にいる無数の菩薩たちは、仏となられて、菩薩の最高の位をきわめられる。そのうえ、最高の慈悲である普賢菩薩になられて、再び迷いの俗世に還って来られる。そして、衆生を教え導かれて浄土に往生させられる。

 十方衆生のためにとて 如来の法蔵あつめてぞ
 本願弘誓に帰せしむる 大心海に帰命せよ

浄土の菩薩たちは、衆生を救うため、修行されて功徳を得られて、その功徳によって衆生を教え導く力を身につけられ、弥陀の本願に人びとを帰依させられる。広大な御心の阿弥陀仏をひたすら頼みとしなさい。

 観音勢至もろともに 慈光世界を照曜し
 有縁を度してしばらくも 休息あることなかりけり

観世音菩薩と勢至菩薩は共に、全ての衆生を救うべく、慈悲の光で、全宇宙を明るく照らされる。縁につながった人びとを悟りへ導かれる。そのような行為は、ひと時も休むことなく続けられています。

 安楽の浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては
 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきわもなし

安楽の浄土に往生して悟りを開いた人びとは、再び悪の多い現世に還り来たって、釈迦牟尼仏と同様に、衆生に安らぎを与える行為を、続けることができます。

 神力自在なることは 測量すべきことぞなき
 不思議の徳をあつめたり 無上尊を帰命せよ

浄土の菩薩たちはが神通力を備えて、自由自在の働きを為している様子は、我々には、とても推し測れるものではない。その菩薩たちの働きは、弥陀が行われた計り知れない功徳のたまものである。この上なく尊い阿弥陀仏をひたすら頼みとしなさい。

 安楽声聞菩薩衆 人天智慧ほがらかに
 身相荘厳みなおなじ 他方に順じて名をつらぬ

安楽の浄土におられる声聞も菩薩も人間も天人も、全て、仏の智慧を得ている。姿や身を飾っているものも同じであり、異なるところはない。呼び名だけに違いがあるのは、差別のある世界に似せて、そのように呼んでいるにすぎないのである。

 顔容端正たぐいなし。 精微妙躯非人天(しょうみみようくひんんでん)
 虚無之身無極体(こむししんむごくたい) 平等力を帰命せよ

浄土の菩薩の顔の様子は端正であり、他に比べるものはない。身体つきは精妙であって、人間や天人の身体つきを超えている。色も形もなく、真理そのものが悟った身であるからである。このような平等の悟りを得られた阿弥陀仏を、ひたすら頼みとしなさい。

 安楽国を願うひと 正定聚(しょうじょうじゆ)にこそ住するなり
 邪定不正聚(じゃじょうふじょうゆ)くにになし 諸仏讃嘆したまえり

安楽の浄土への往生を願う者のすべてが必ず仏とれる。自力の善をたのむ、成仏が不確か者も、自力で念仏する者も、ともに浄土には生まれない。全宇宙の御仏たちが、このような浄土を讃嘆している。

 十方諸有の衆生は 阿弥陀至徳の御名をきき
 真実信心いたりなば おおきに所縁を慶喜(きょうき)せん

一切の衆生が阿弥陀の功徳ある御名を聞いて、その功徳をもって往生させてもらえることを疑いなく信じるならば、必ず称える名号を身体全体でもって、喜ぶことであろう。

 若不生者(にゃくふしょうしゃ)のちかいゆえ 信楽(しんぎょう)まことにときいたり
 一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ

法蔵菩薩が誓願は「私のいいいいい本願を信じて念仏する者で、往生しない者がいれば私は仏にはならない」とう、御誓いである。それゆえに、弥陀の本願を信心が定まる時に至って、信心を喜ぶ人は、まさに、往生が決定しているのである。

 安楽仏土の依正(えしょう)は 法蔵願力のなせるなり
 天上天下にたぐいなし 大心力を帰命せよ

安楽の浄土におられる阿弥陀仏も、その国土も、すべてが法蔵菩薩の誓願のお陰である。その優れた様子は、天上天下に比べられるものがない。このような浄土を完成させられた誓願の力を身に備えておられる阿弥陀仏をひたすら頼みとしなさい。

 安楽国土の荘厳(しょうごん)は 釈迦無礙(しゃかむげ)のみことにて
 とくともつきじとのべたまう 無称仏(むしょうぶつ)を帰命せよ

安楽浄土の優れている様子は、一切のことを巧みに説かれる釈尊の能力をもってしても言い尽くし難いと言われている。このような言葉に表し難い浄土をつくられた阿弥陀仏をひたすら頼みとしなさい。

 巳今当(いこんとう)の往生は この土の衆生のみならず
 十方仏土よりきたる 無量無数(むりょうむしゆ)不可計(ふかけ)なり

極楽浄土へ既に往生した者、今往生する者、将来往生するであろう者は、単に、この俗世の者だけではない。あらゆる世界の仏国土から、浄土へ往生するのである。その数は無数無量であって、数えることが出来ないくらいに多い。

 阿弥陀仏の御名をきき 歓喜讃迎せしむれば
 功徳の宝を具足して 一念大利無上なり

阿弥陀仏の御名を聞いて、喜び誉め讃えるならば、御名にこめられている功徳の宝を頂くことができる。一声の念仏によって、必ず悟りを開くことができる者となる。このように無上の大利益が得られます。

 たとい大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなうなり

たとえ燃えさかる火が、宇宙を覆うようなことがあっても、ものともせずに、通り過ぎて阿弥陀仏の御名を聞くことができた人は、必ず成仏して浄土へゆくことが決まった人である。

 神力無極(じんりきむごく)の阿弥陀仏は 無量の諸仏をほめたまう
 東方恒沙(とうぼうごうじゃ)の仏国より 無数の菩薩ゆきたまう

神通力を備えて、自由自在な阿弥陀仏を、無数の御仏(みほとけ)たちが誉め讃えておられる。極楽浄土の東方のガンジス河の砂の数ほどもある仏国土から、無数の菩薩たちが、阿弥陀仏を供養するために、浄土へ訪ねられる。

 自余の九方の仏国も 菩薩の往勤(おうごん)みなおなじ
 釈迦牟尼如来偈をときて 無量の功徳をほめたまう

東方以外の南・西・北・下・上・東南・西南・西北・東北という九方の仏国土から無数の菩薩が浄土を訪ねて、阿弥陀仏にお会いになった。釈迦牟尼如来は「大無量寿経」のなかで讃歌をつくられて、阿弥陀仏の無量の功徳を誉め讃えられておられる。

 十方の無量菩薩衆 徳本うえんためにとて
 恭敬(くぎょう)をいたし歌嘆(かたん)す みなひと婆伽婆(ばかば)を帰命せよ

極楽浄土を訪れる全宇宙の無数の菩薩たちは、功徳の根本であり、悟りを開くための一番よい行である念仏の行を修めるために、阿弥陀仏を敬い尊び、声にだして誉め讃えられるこのような大いなる功徳を備えた阿弥陀仏をひたすら頼みとしなさい。

 七宝講堂道場樹(しっぽうこうどうどうじょじゅ) 方便化身の浄土なり
 十方来生(じっぽうらいしょう)きわもなし 講堂道場礼すべし

七宝でできた講堂も菩提樹も、衆生に往生の心を起こさせるために仮に現れている方便の浄土である。それゆえに、全宇宙から訪れる者に、かくの如く巧みな手段をつくして衆生を救いたいと考えておられる阿弥陀如来を敬い尊びなさい。

 妙土広大超数限(みょうどこうだいおちょうしゅげん) 本願荘厳よりおこる
 清浄大摂受(しょうじょうだいしょうじゅ)に 稽首帰命(けいしゅきみょう)せしむべし

広大無限で精妙なる浄土は、すべての法蔵菩薩の本願の完成の現れである。一切衆生を収めとってくださる阿弥陀仏をひれ伏して敬い尊び、ひたすら頼みとしなさい。

 自利利他円満して 帰命方便巧荘厳(きみょうほうべんぎょうしょうごん)
 こころもことばもたえたれば 不可思議尊を帰命せよ

弥陀はみづから成仏されていて、さらに他者成仏をさせる道を備えておられる。他者を成仏させるためにつくられた極楽浄土の優れた様子は、想像することも、言葉で表現することもできない。このような浄土を完成せれた阿弥陀仏を、ひたすら頼みとしなさい。

 神力本願及満足(じんりきほんがんぎゅうまんぞく) 明了堅固究竟願(みょうりょうけんごくきょうがん)
 慈悲方便不思議なり 真無量を帰命せよ

弥陀の神通力と法蔵菩薩の本願力は、完全であり、堅固なものである。必ず成就するための誓願である。その誓願は、すべての衆生を救うという慈悲の心より起こされた。このように慈悲を備えておられる阿弥陀仏を、ひたすら頼みとしなさい。

 宝林宝樹微妙音(ほうりんほうじゅみみようおん) 自然清和(じねんしょうわ)の伎楽(ぎがく)にて
 哀婉雅亮(あいえんがりょう)すぐれたり 清浄楽(しょうじょうがく)を帰命せよ

宝林宝樹がかなでる霊妙な音は、自然に清らかな音楽となっている。哀れで雅びに冴えわたっている。この音楽を聞く衆生は悟りを開くことができる。このような清浄な音楽を聞かせられる阿弥陀仏をひたすら頼みとしなさい。

 七宝樹林くににみつ 光耀(こうよう)たがいにかがやけり
 華果枝葉(けかしよう)またおなじ 本願功徳聚を帰命せよ

浄土には七種の宝でできた樹林が満ちている。それらは光り輝き、互いに照らしあっている。花も実も枝も葉も同じである。このような功徳だけではなく、あらゆる功徳を集めておられる阿弥陀仏を、ひたすら頼みとしなさい。

 清風宝樹(しょうふうほうじゅ)をふくときは いつつの音声(おんじょう)いだしつつ
 宮商和(きゅうしょうわ)して自然(じねん)なり 清浄勳(しょうじょうくん)して礼(らい)すべし

清らかな風に宝樹がそよぐとき、五つの楽音が流れでる。それらは自然に妙なる和音をかなでる。これらの清浄な音楽をかなでられる阿弥陀仏を、敬い尊びなさい。

 一一(いちいち)のはなのなかよりは 三十六百千億の
 光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし

浄土の池に咲いている蓮の花の一つ一つから、三十六色の無数の光が放たれています。無数の光は、互いに照らしあい透明で、すがしがしく、届かぬ所はないのです。

 一一のはなのなかよりは 三十六百千億の
 仏身もひかりもひとしくて 相好金山(そうごうこんぜん)のごとくなり

一つ一つの蓮の花から、三十六色の無数の光が放たれ、その光の中に仏が身に備えておられる三十二相八十随形好の優れている様子は、黄金の山のようである。

 相好ごとに百千の ひかりを十方にはなちてぞ
 つねに妙法ときひろめ 衆生を仏道にいらしむる

仏の三十二相の一つ一つから、百千の光を宇宙に放っておられる。その光を通して、全ての衆生が救われる念仏の教えを常に説かれて一切の衆生を仏道に導いておられます。

 七宝の宝池いさぎよく 八功徳水(はっくどくしい)みちみてり
 無漏の依果不思議なり 功徳蔵を帰命せよ

七種の宝で出来た池は清らかで、八つの功徳をたたえた水を満々とたたえている。煩悩のない浄土の様子は、人間の思慮を超えた不思議に満ちている。このような功徳の全てを備えておられる阿弥陀仏をひたすら頼みとしなさい。

 三塗苦難(さんずくなん)ながくとじ 但有自然快楽音(たんうじねんけらくおん)
 このゆえ安楽となづけたり 無極尊を帰命せよ

浄土には地獄・餓鬼・畜生の三界の苦しみも、苦しみという言葉さえもない。宝池の水は自然に快い音をだして法を説く。それゆえに、安楽の浄土となづけられた。この浄土の主人じであられる阿弥陀仏を、ひたすら頼みとしなさい。

 十方三世の無量慧 おなじく一如に乗じてぞ
 二智円満道平等(にちえんまんどうびょうどう) 摂化随縁不思議(せっけずいえん)

いつの時代にも世に出でおられる無量の智慧を得られた御仏たちは、不思議であるが、同一の悟りを開いておられる。真実・方便の二つの智を完成し、衆生を同じ仏道に導く。衆生の悟り具合に応じた教えを説いておられます。

 弥陀の浄土に帰しぬれば すなわち諸仏に帰するなり
 一心をもちて一仏を ほむるは無礙人をほむるなり

阿弥陀仏とその浄土に帰依することは、全ての御仏に帰依することである。他力の信心をいただいて、阿弥陀仏を信じ、感謝して誉め讃えることは、一切衆生を救われる全ての御仏を誉めることである。

 信心観喜慶所聞(しんじんかんぎきょうしょもん) 乃かい一念至心者(ないかいいちねんししんしゃ)
 南無不可思議光仏 頭面(ずめん)に礼したてまつれ

信心を得て、必ず往生できると、阿弥陀仏の本願を喜び、たとえ一度でも心から信じた者は、一切衆生を照らして収めとられる南無不可思議光仏を、み足にこうべを頂いて敬い尊びなさい。

 仏慧功徳をほめしめて 十方の有縁にきかしめん
 信心すでにえんひとは つねに仏恩(ぶっとん)報ずべし

一切衆生をお救いくださる阿弥陀仏の智慧と功徳を誉め讃え、縁のある全ての人びとに阿弥陀仏の功徳を聞かせなさい。本願を疑いなく信じ得た者は、常に仏恩に報いるようにと念仏して、他の人びとにも勧めなさい。

観無量寿経の解説動画です。桜嵐坊の仏教 部屋より

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