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文学ばんだいの宝

江戸時代の教科書 寺子屋
知識レベルが世界でも高かった江戸庶民

江戸時代の寺子屋でよく使われていた教科書は「往来物(おうらいもの)」と呼ばれ、基礎的な教養や習字の習得のために「庭訓往来」などを使用していました。

往来物は、平安時代末期の『明衡往来』が最古のものとされており、手紙の文例集から発達したもので、往信来信に由来しています。
江戸時代になると、庶民を対象にした往来物も多数つくられるようになり、寺子屋等の学習書として広く普及しました。

寺子屋は、江戸時代中頃から日本各地にできはじめ、近隣の庶民の子どもたちを集めて、読み・書き・そろばんなど初歩的な教育を行う機関でした。

学習は、まず「いろは」や数字などから始め、師匠の「手本」を見ながら(習字で)書き習う形式でした。

学習が進むと「往来物」と呼ばれる教科書を用いるようになります。

寺子屋で使われていた教材には、この『いろは覚え』の他、『庭訓往来』『商売往来』『百姓往来』など往復書簡の書式をまとめた往来物や、漢字を学ぶ『千字文』などがあります。

■勉強することに興味をもたせる「つかみ」は大切
子どもの学習意欲を高めるために、師匠手作り教科書で地域の偉人伝や地名、その地名の場所までの距離を漢数字で教えていました。
人名・地名・距離感・計算などを学習できる仕組みです。

■個別指導で見捨てない教育
教え方も一律ではなく、大勢の大人が其々の子どもの学習の進み具合に合わせたマン・ツー・マンの進学塾のような指導方法だったようです。
個別指導だと、ついていけず勉強を諦める子が出なくてよいですね。

義務教育では無理がある個別指導

学習が進むと、古典・漢文から茶道や華道までも教えてもらえたようです。
立派な文化人が育つ土壌がありますね。

寺子屋は、江戸時代の人々の高い識字率を支えていました。
幕末には、全国で15000以上も存在していたと言われています。

江戸時代後期の天保年間(1830年代)前後に著しく増加した。
末期には黒船来航で武家の先生達が再仕官するようになり、町民出身の先生が増えた。
女性も多かったことが、当時の絵でわかります。
源氏物語などの恋愛小説を読みたかったのかも知れませんね。

「寺子屋」の名称は上方(京都・大阪)で用いられ、江戸における町人の子弟の学問施設は「筆学所」「幼童筆学所」と呼ばれた。
江戸だけでも大寺子屋が400-500軒、小規模なものも含めれば1000-1300軒ぐらい存在していた。
幕府御用銅山経営、西江邸内には江戸中期創建の手習い場が現存している。

日本の集団主義は均質性を求める?

■有能な者や天才を抹殺する
識字率や学問は世界トップクラスだったのに、欧米のように先進的な発明が少なかった理由を想像する

「出る杭は打たれる」は、才能や手腕があって頭角を現す者や、さし出たことをする者は、とかく他から憎まれたり、人から非難されたりするという意味のことわざです。

この諺は、西洋で日本文化学や国際心理学を学ぶ際、伝統的日本社会の集団主義を表す言葉として、最もよく引用される表現の一つです。

日本のために役立つ人材が実際に暗殺されることも多かった
今は暗殺はなくても、実力あるものが正当に評価されず出世できないため
有能な人材ほど欧米に流出してしまう。

結果を出して欧米から認められるまでは日本国内では決して認められない。
今の日本にも残る悪しき体質ですね。

■恵まれた時代のハミ出しもの
義務教育でだれもが等しく教育を受けられる時代になりました。
教育無償化も進んでいます。
教育が受けられるのに自ら放棄するハミ出しもの

■不登校や不良
しかし、いじめ問題も多く登校拒否する学生もいますし、
個別指導ではない今の義務教育についていけず、グレて暴走族に走る学生もいます。
ついていけない学生にも原因があり、それは知的障害や発達障害、視力障害や聴力障害などで、休むこと無く真面目に授業に取り組んでいてもどうしても追いつけない事情があったりするので、教育者もその辺はしっかり見極めるべきです。子供は自分自身に障害があることに気付いていない事が多い。

不良少年や暴走族を観ると、あぁ発達障害なんだな、クリニックに通って適切な治療を受ければ良いのにと思う次第です。
才能を伸ばせる可能性もある。鼻つまみ者、村八分で人生終わらずに済むかも知れない。

行政は知的障害者を認めたくない方針
知的障害者は早期に教師が対応してあげないと、そのまま大人になってしまって社会に適合できなくなる。
そして中高年になって他人との違いに気づいて、精神科で検査して医師に知的障害と診断されても、行政側は医師の診断書と検査結果だけではなく、小学生時代の担任の証言(証拠の)提出を求める(当時の担任教師が高齢で記憶が無かったり、亡くなっていると証言が聞き出せずに、実際には証明が不可能なケースが多い事は分かっているので、行政側の障害者支援予算を節約するためだと思われる)ので認定にはハードルが高い。
学校側の対応が遅れると知的障害者はそのまま大人になってしまい、障害認定されず行政の支援を受けられなくなる場合が多いのが実情だという。

授業についていけない子は、発達障害ではないかと疑ってみるべし
学習意欲も記憶力もある
好きな学科は満点を取れる子がいます。
嫌いな学科は全く勉強しよともしません。
ハッキリ区別している。
嫌いな学科がうまれる理由に、担当教師の教え方や主義主張に対する反発から授業には出席するのに授業を受けない子がうまれる。
愛国心の強い子は、自虐史観教育をする左翼教師を認めないなどありますね。
もちろん興味のない学科は学ぼうとしないという理由もあるでしょう。

発達障害がある子は、一見して正常な子と見分けられない事が多い
単に、気が短い子、自堕落な子、協調性がない子と教師にも見捨てられやすい。
見捨てられた子は不良になり、半グレになり犯罪者になっていくケースもある。

成績は良いのに小動物を殺すなどの性格異常者もいますね。
サイコパスも担任や保護責任者が見極めてカウンセリングを受けさせ観察し続けるべきです。

仏教用語で「救われない」とは、弥陀の本願を疑っていることを意味します。浄土真宗親鸞会によると、弥陀の本願を疑っていることが救われない唯一の理由であり、一切の計らい心(自力の心)が廃る一念まで弥陀の本願(御心)を聞き抜くことが釈迦弥陀・善知識の最も喜ばれることだとされています。
救いの内容が「思い通りにしたい」ということであれば、永遠に救いは得られないことになります。


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