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京都の三大風葬地とは

京都の三大葬送(風葬)

化野(あだしの、仇野、徒野とも)は、
京都の嵯峨の奥にある小倉山の麓の野。

京都市右京区嵯峨鳥居本化野町にその地名が残っているが、
古くは山城国葛野(かどの)郡嵯峨といい、
かつては風葬の地、近世は鳥辺山とともに火葬場として知られた。

「西の化野」、「東の鳥辺野」、「北の蓮台野」を京の三大葬地という。

平安初期に疫病が流行していた
真言宗の開祖・空海(弘法大師)は土葬を奨励しますが、
石塔を建てる土葬ができたのは皇族など身分の高い人たちのみで、
貧しい庶民は遺体を野ざらしの状態で放置する風葬(野葬、鳥葬)が一般的でした。

化野の名は「無常の野」の意で、人の世のはかなさの象徴としても用いられた。その霊を弔う寺として、化野念仏寺があり、境内には約8,000の無縁仏を祀る石仏がある。
化野は一般庶民の風葬地でした(あだしは古語で「悲しい」「はかない」を意味する)。
化野念仏寺は「千灯供養」(毎年8月の最終土・日に開催)で有名。

大河ドラマ「光の君」で登場した場所
鳥辺野(とりべの)は、京都市東部 清水寺南側に位置する。
結界は「六道の辻」として2つの石柱で示されています。
この辻より北が現世、南があの世(鳥辺野)とされます。

鳥辺野は、裕福な人たちの風葬地だった。
平安時代以来、葬送の地として『源氏物語』や『徒然草』に登場し、
藤原道長も同地で荼毘に付されたという。

一条院皇后宮が埋葬された地も鳥辺野の南とされ、
宮内庁により京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺(せんにゅうじ)境内北の
鳥戸野陵に治定されている。

蓮台野(紫野)は、京都市内北部の船岡山西側に位置する。
蓮台野には、後冷泉天皇や近衛天皇などの火葬塚があり、主に皇族の葬送地となっていました。

檀林皇后(嵯峨天皇の后)は風葬を遺言されたという
朽ち果てる様子を絵に描いて欲しいと願ったという。

この当時の絵は漫画本同様に右から順に下へ見ていくと分かる

檀林皇后
風葬で朽ち果てる様子
骨も散り散りバラバラに、最後は石塔がたつ

美女として知られた檀林皇后でしたが、永遠に変わらないものはない事を修行僧に教えたかったという。仏教は哲学ですね

諸行無常:この世の全て(万物)はいつも流転(るてん)し常がない。変化・消滅がたえないという仏教の教え。
永遠に消えることのない魂なども存在しない。
また、『平家物語』を一貫するテーマも諸行無常です。
形あるもの何時かは壊れる。

以呂波(いろは)歌
いろはにほへと ちりぬるを (色は匂えど 散りぬるを)
わかよたれそ つねならむ (我が世誰ぞ 常ならむ)
うゐのおくやま けふこえて (有為の奥山 今日越えて)
あさきゆめみし ゑひもせす (浅き夢見じ 酔いもせず)

「ん」を省く仮名が1回ずつ含まれる七五調の歌です
わかよたれそ は1文字足りない字足らず。

涅槃経の四句の偈(げ)「諸行無常」「是生滅法」「生滅滅巳」「寂滅為楽」の意を表わしたといわれる歌で、空海が作ったと伝わり子供が最初に文字を覚える手習い歌として戦前まで学校で習っていたという。

暗号:咎無くて死す
いろはにほへ
ちりぬるをわ
よたれそつね
らむうゐのお
やまけふこえ
あさきゆめみ
ゑひもせ
七文字ごとに区切った末字を順に読むと「とがなくしす」という暗号が現れる。悪事を働かず死んでいくという意味。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
古代インドで修行しているお釈迦さまのお弟子たちは、死が近づくと、「祇園精舎」の中の無常堂という場所に入り、お弟子が亡くなるとその無常堂の鐘が鳴らされました。

三法印(3つの仏法)
・諸行無常
・諸法無我
・涅槃寂静


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