武士(鎌倉幕府、室町幕府)
地方政権
当初の鎌倉幕府は鎌倉殿を主宰者とする武士を首班とした地方政権で、
支配は東国を中心としており、承久の乱後に全国政権へと飛躍し、
権力を拡大させたものであるが、そもそも当初から全国政権を志向したわけでなく、
あくまで朝廷権力を前提とした地方政権であった。
その大きな理由のひとつが、鎌倉幕府は荘園公領制を前提とした政権であることである。
したがって中央の権門の領地(荘園・公領)の権利を冒さず、
彼らへ年貢を滞りなく納めることを保証することが、幕府の重要な任務・意義としていた。
地方で土地を私有する武士団の起源
天平15年(743年)、朝廷が効果的に収税を行うべく発布した墾田永年私財法の施行により
土地私有が公認されたことに由来し、古来の豪族や有力農民などが土地を私有するようになったが、
国司による厳しい徴税を回避すべく有力地主たちは公卿に土地の一部を寄進し、
荘園の荘官(開発領主)としての地位を得たことが契機であった。
寄進した貴族の保護は受けるとはいえ、今度は寄進した荘園領主からの取り立てや国司との摩擦、
近隣豪族の侵略も絶えず、有力農民たちはいつしか武装するようになり、武士が誕生する。
やがて有力農民たちに由来する武士は、武士団の起源となり、都から派遣された下級貴族(官人)、
さらに源朝臣や平朝臣など堂上家や地下家を上位の軍事貴族を棟梁として仰ぎ、
主従関係を結ぶことによって本領安堵(郡領惣村、宿場(駅家)や港(水駅)の経営など、
また盗賊(落ち武者狩り)や海賊(水軍)参照)を確実なものとした。
棟梁の戦に従軍し、新たな領地を与えられることで繁栄の糸口を得たのである
①鎌倉幕府の成立(創設年諸説あり、1185年や1192年。解散は1333年)
い. 鎌倉幕府成立
壇ノ浦の戦い(1185)で平氏滅亡 平家没官領の支配(朝敵討伐の功労)
守護・地頭の設置(文治の勅許)
源頼朝(みなもと の よりとも)、征夷大将軍となる(1192年)
封建制度 土地を仲立ちとした主従関係(荘園公領性)
・御恩(以前からの領地支配の保障や新しい領地を与える)
・奉公(将軍への軍事的忠誠)
ろ. 執権政治(鎌倉北条氏)
頼朝の妻・北条政子の一族(北条氏系十二家)が、執権として権力を握る
北条氏は鎌倉幕府の最高政務機関である評定衆の席次上位を独占した。
は. 承久の乱(1221年)
後鳥羽上皇が倒幕の兵を挙げる
幕府側の勝利
京都に六波羅探題を設置(幕府の支配力西国にも及ぶ)
に. 御成敗式目(貞永式目)の制定(1232年)
武家の裁判の基準、初めての武家の法令
執権・北条泰時により制定
ほ. 武士と農民の生活
武士:武家造の住居 農業を営みながら質素な生活
武術・馬術などに励む 笠懸(かさがけ)・流鏑馬(やぶさめ)
農民:牛馬耗の普及 草木灰の使用 二毛作の普及
定期市 三斎市
②元寇と幕府滅亡
い. モンゴル帝国
13世紀初めに、チンギス・ハンがモンゴル民族を統一
モンゴル帝国成立 中国からヨーッパ東部にまたがる領域
後にいくつかの国に分裂
マルコ・ポーロ 『世界の記述(東方見聞録)』 (黄金の国ジパング)
ろ. 元
フビライ・ハンが大都(現在の北京)を都に、元を建てる
宋を滅ぼし、高麗(朝鮮半島)も支配
は. 元寇
文永の役(1274年)
弘安の役(1281年)
自然の力(暴風雨)もあり、侵略を食い止める
に. 鎌倉幕府の衰退
御家人の生活困窮化
元寇出兵のための出費、恩賞無し
幕府への不満
悪党の出現 (楠木正成など)
幕府の対策 徳政令(借金を帳消しにする法令) 逆効果で混乱
後醍醐天皇
足利尊氏・新田義貞らの武力により、倒幕に成功(1333年)
③鎌倉時代の文化(簡素で力強い文化)
い. 鎌倉新仏教
浄土系
浄土宗: 法然 - 念仏(南無阿弥陀仏)を唱えれば極楽浄土に生まれ変われる
浄土真宗: 親鸞 - 悪人こそ救われる「悪人正機説」
時宗: 一遍 - 「踊り念仏」で全国に布教
禅宗系
臨済宗: 栄西 - ひたすら座禅を組むことで悟る
曹洞宗: 道元 - 公案
法華系
法華宗: 日蓮 - 「南無妙法蓮華経」の題目を唱えれば人も国家も救われる
ろ. 鎌倉文化
軍記物:『平家物語』琵琶法師によって語られる
随筆:鴨長明『方丈記』、吉田兼好(兼好法師)『徒然草』
勅撰和歌集:『新古今和歌集』(藤原定家)
建築:東大寺南大門
彫刻:金剛力士像(運慶・快慶の作)
④室町幕府の成立
い. 建武の新政(1334~1336年)
後醍醐天皇の親政
公家・武家の両者から不満
足利尊氏・新田義貞らの挙兵 短期間で終わる
ろ. 南北朝の騒乱
南朝:後醍醐天皇 吉野(奈良県)
北朝:光厳天皇 京都 足利尊氏が擁立
約60年間に及ぶ騒乱の時代
北条貞時の子で第14代執権の北条高時は、後醍醐天皇の挙兵計画である「正中の変」を未然に防ぐが、
後醍醐天皇が2度目の計画である「元弘の乱」に続いて1333年(元弘3年/正慶2年)に再度挙兵すると、
御家人筆頭の足利高氏(尊氏)がこれに呼応して京都の六波羅探題を滅ぼし、
上野国の新田義貞も挙兵し、高氏の嫡子千寿王(足利義詮)が合流すると
関東の御家人が雪崩を打って倒幕軍に寝返り、鎌倉を陥落させる。
最後は、東勝寺合戦において敗戦した北条一族のほとんどは討死、また直後に自害し
北条氏は滅亡する。
は. 室町幕府の成立
足利尊氏、征夷大将軍となる(1338)
足利義満、南北朝の合一(1392)
幕府のしくみ
管領:将軍の補佐
鎌倉府:東国の監視
守護大名:地方の有力武士を守護に任命して治めさせる
強大な力を持ち、各地の支配権を握る
鎌倉時代の守護は、単なる各国のリーダー
室町時代の守護は、各国のの支配者(大名)
⑤14・15世紀の東アジア情勢
い. 中国
明 元(モンゴル民族)を北方に追いやり、漢民族が建てた王朝
倭寇(日本人の海賊、南北朝の騒乱期)に苦しむ
勘合貿易(日明貿易)
勘合符(倭寇と区別するための合い札)を用いた貿易
ろ. 朝鮮半島
李氏朝鮮 14世紀に李成桂が、高麗を滅ぼし建国
ハングル(朝鮮語を表す文字)が作られる
は. 琉球
琉球王国 15世紀に尚氏が奥縄本当を統一して建国
に. 蝦夷地(現在の北海道)
アイヌ民族 狩りや漁 交易を行う
⑥室町時代の産業の発達
農業:二毛作が各地に広まる
商品作物:茶・藍・桑・綿(商い)
商工業
手工業:西陣織
定期市 月6回の六斎市
座(商工業者の同業者組合)の発達
土倉・酒屋
高利貸し
馬借・車借・問(運送業者) 問屋
⑦室町時代の社会の変動
い. 農村部の自治
惣(農民の自治組織) 村の掟をつくる
土一揆 年貢軽減や徳政を求めて団結する
正長の土一揆(1428年)
ろ. 都市部の自治
港町(堺・博多など) 門前町(寺の門前にできる)
町衆 京都の有力な町人たち
自治都市
堺・京都・博多など
は. 一揆
山城国一揆 山城国(京都府)の守護を追い出し8年間自治を行う
加賀の一向一揆
加賀国(石川県)の一向宗(浄土真宗)の門徒たちが守護を倒し
約100年間自治を行う(門徒領国)
織田勢による加賀一揆解体(石山本願寺降伏)、一向宗徒の残滅に至る
⑧戦国時代
い. 応仁の乱(1467~1477年)
足利義政(8代将軍)の継嗣問題、細川氏と山名氏の勢力争い
11年間続き、京都が焼け野原となる
ろ. 下剋上の風潮
将軍から守護などの官職をもらわずに、
実力によって上の身分の者にとって代わる風潮
具体的には、守護大名の地位を家来が奪ってしまうこと。
は. 戦国大名
分国法(戦国大名の領地=分国の中だけで有効な法令)
城下町に家来や商工業者を集め、農村には農民だけを住まわせる
⑨室町時代の文化
公家の文化と武家の文化が融合した文化
禅宗の影響が大きい
い. 北山文化
3代将軍 足利義満の時代の文化
京都北山の別荘 北山山荘=金閣(鹿苑寺金閣)
能(能楽) 観阿弥・世阿弥の父子
ろ. 東山文化
8代将軍 足利義政の時代の文化
京都東山の別荘 東山山荘=銀閣(慈照寺銀閣)
書院造(現代和風建築のもと)
水墨画 雪舟
は. 文化の広がり
民衆文化の発達
御伽草子:『一寸法師』
狂言
文化の地方伝播 応仁の乱以降、公家らが地方に移り住んだため
連歌の流行
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