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『沖縄戦の図』        丸木位里 丸木俊 共同制作 佐喜眞美術館 発行・編集


絵本ではない、これは作品集。

広島原爆を実際に見た、丸木位里さんと俊さんは、“沖縄戦を描くことが一番戦争を描くことになった。” と、一瞬で形を無くす原爆と、集団自決や虐殺という、人間の精神をも蝕む地上戦。

生き残った人からの証言や僅かながらの記録から、丸木夫妻が命の時間をかけて描いた数々が、この作品集に留められています。

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私自身、“戦争”は、学校で教えてもらう程度の知識。こわいもの、見たくないもの、今まで背けてきたもの。 

自身が、三線を始めたことをきっかけに、沖縄を学び始めると、必ずぶつかる“戦争”。     悲しさや辛さ、怒りや悔しさ、それでも、生きる、守る、懇願する、、           歌の中に、音の中にある。          沖縄のあの明るさと陽気な【なんくるないさ】精神は、この歴史からくる、どうしようもない変わらない事実の元にあるもの、だと思うのです。

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実際の作品は、大人の背よりも大きい。                 この上の作品は、2m×3mほど。       

チビチリガマという、“壕”  に、ここには、1000人ほど身を潜めていたそう。 至る所にある、壕に、皆逃げ込み、生き死にの狭間で、     こんな時、一体、人はどんな精神状態でいることができるんだろうか。

佐喜眞美術館に作品を見に行った時、丸木夫妻の作品から、溢れんばかりのメッセージを受け止めたい。と思ったけれども、思えば思うほど、問いが問いを生んで、自分の許容範囲を超えて、フラついてしまいました。わかるわけはない、でも、想像はできる。丸木夫妻が作品を作り続けた意味は、

“人間という生き物は、想像することができる。その、想像力に賭ける”

二度とこのような惨劇を生むことのないように、人は考えなければいけない。

この絵に描かれる一人一人から、私達は学ばなければいけません。大切な人を、自分の手で殺ることのないように、手の中で息絶えることのないように、、、。実際に、80年前はこのような事実は起こった、知ることから、まずは、知ることから。

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只今、特別展の展示中。普段見ることが出来ない作品をみることができます。

実際に目の前にする作品は、見上げるものばかりの大きさです。角度を変えて、沖縄というものを見ることが出来ます。

佐喜眞美術館

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生前の、丸木夫妻↑

佐喜眞美術館にいくと、佐喜眞道夫さん、加代子さんがいらっしゃいます。気さくで穏やかで、お元気で、丸木夫妻の話、普天間基地の話、作品の話、タイミングが合えば是非お会いして、お話してみてください。



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