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01-01-04 勝手にベーシックインカム生活を始める


 経済的格差が世界的に広がっていること、将来AIの発達で人がやる仕事自体が減少すること、さらには、昨今はコロナで失業者が増えていることもあり、ベーシックインカムという新しい政策が注目されています。

 ベーシックインカムとは福祉のほとんどを全国民に対する一定額の現金給付に一本化するものです。

 これは失業保険も生活保護も公的年金も廃止して、国民すべてに一定額の現金を給付します。お金持ちも貧しい人も仕事をしている人も失業者も関係ありません。

 全国民に給付するので受給資格の審査などの行政手続きが不要になり、行政としては大幅なコスト削減になります。

 しかし、その一方で莫大な金額にのぼる財源をどうするかという問題も残りますが、それはMMT(現代貨幣理論)がその問題を解決する鍵になるのではないかと考えています。

 過去には欧米ではごく一部で実験的に行われていた政策で、日本でも、財政問題や、生活保護の機能不全などから、一部で検討されているものです。

 メリットとしては

1 所得などの条件によらず全国民に一定給付なので、審査などが不要で行政コストを削減できる。

2 全国民に一定給付なので漏れがなく。国民の生存権を守るのに有効。

3 最低限の生活を人質にした企業による労働搾取をやめさせることができる。

 など、小さな政府を志向する人にも、福祉の充実を目指す人にも支持されやすい政策になっています。

 一方でベーシックインカム導入には障害があります。

1  行政の大幅なリストラを伴うもので既得権を持つ役所の反対が強い。

2 「働かざる者食うべからず」という考えが社会に浸透しているため、倫理面で反対する人が多い。

3 ベーシックインカム導入には国家財政に莫大な負担が生じる。

 障害が多く、困難ではありますがベーシックインカムはいずれは導入されるし、するべき政策だと、ぼくは考えています。

 ベーシックインカムの導入が必然だと考える理由はいくつかありますが、今回は「職業選択の自由」について考えてみたいと思います。

 日本国憲法第22条第1項において「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択 の自由を有する。」とあります。

 資本主義で民主国家の現代日本は、僕らに「職業選択の自由」を保証し、実際に「職業選択の自由」は存在するように見えます。

 しかし本当のところはどうでしょう?

「条件はともかく、生きていけるだけは稼がなくては生きていけない」という現実があります。

 それには他はどんなに悪条件でも「生きていけるだけは稼げる仕事」を選ばなければなりません。

 だからこそ、この世の中にはこんなにもブラック企業が蔓延っているのです。

 それは「職業選択の自由」がまやかしに過ぎないという証拠です。真に「職業選択の自由」があるなら、いったい誰がブラック企業で働くでしょう。

 それは生きるためのパンを人質に取った搾取であり、労働の強要です。

 現実には、生きていくためには、ぼくらは職業を自由に選択することはできません。どんなに絵が好きでも絵が売れなければ絵描きでは生きていけないし、どんなに歌が好きでも売れなければ歌手としては生きていけないのです。

 つまりは

「この世にあるどんな色を選んでもいい。しかし赤以外を選べはおまえを飢えて死ぬ」

 そういうことです。そんなものは自由でも何でもありません。

 しかも「職業選択の自由」があるように見せかけている分だけ、現実はタチが悪いのです。

 それはたとえ建前でも「職業選択の自由」は存在していることになっているので、あなたが悪条件で働いているのは「あなたが自分で選んだのだ」という理屈が成り立ってしまいます。

 幻想の自由に裏打ちされた自己責任論は最悪の欺瞞です。

 多くの人がブラック企業でも働くのは「働かなければ生きていけない」からであり、実際は労働者に本当の意味での「職業選択の自由」などありはしないのです。

 ベーシックインカムで生きるために必要な最低限のお金がすべての人に給付されれば「生きること」を人質に望まない労働を強いる今の資本主義のやり方を大きく変えるパラダイムシフトになると思います。

 人々が生活の為ではなく、自分の理想や思いのために生き、時に働き、遊び、時に休み、多く稼ぎたい人は稼ぎ、遊びたい人は大いに遊び、休みたい人は大いに休む。そんな世界では、働く人を顧みないブラック企業は生き残れないでしょう。

 ブラック企業が業績を伸ばし、ワーキングプアが増え、格差の拡大が続いている今の社会より、ベーシックインカムが導入された新しい世界は、よりよい世界になるのではないか。そんなふうにぼくは思えるのです。

 そして、ぼく個人としてもそんな世界で暮らしたい。

 才能の無いヤツが絵を描いて生きていったり、売れないくせに歌を歌い続けられる社会なんて「無駄だ」「甘い」という人もいるでしょう。

 しかし人間が新しい権利を獲得しようとするとき、古い考えの人や、古い社会で成功している人間は言うのです。そんな考えは「無駄だ」「甘い」と。

 しかし人類はその「無駄だ」「甘い」と言われた人類の権利を実現してきました。

 例えば、誰もが安心して医療を受けられるようにした「国民皆保険」。

 これも貧乏人や老い先短い老人にまで医療を受けさせるなんて「無駄だ」「甘い」という声はあったと思います。

 医者に掛かる価値があるのはその治療費が払える金持ちだけだと。

 そして誰もが教育を受けられる「義務教育」すら、女子や農家の次男三男にまで学問を施してどうする。誰もが教育を受けられるなんて「無駄だ」「甘い」と言われたていたはずです。

 そして今、本当の「職業選択の自由」がベーシックインカムで実現するとしても「才能の無いヤツが、売れもしないのにやりたいことをやれる世の中なんて、甘い、無駄だ」と、旧来の社会で成功している人々は言うのです。

 それでも、いつか人類は新しい権利を手に入れるために、ベーシックインカムが導入されて、本当の「職業選択の自由」が実現する時がやってくると、ぼく自身は強く信じています。

 しかし、そうは言っても社会は一朝一夕では変わりません。

 では、どうすればいいのか?

 その時が来るまで何もすることは無いのか?

 そこで思いついたのが古い考えで凝り固まる議員ばかりの国会議事堂を・・・じゃなくて、この「FIRE!? 貯金0ではじめる 週休5日生活」を始めました。

 このマガジンにはベーシックインカム導入後の生き方を先取りするというテーマもあるのです。

 社会はいずれ変わるでしょう。でもそれはまだまだ先のこと。でもまず自分が変わってみよう。勝手にベーシックインカム的な生活してみよう。それもベーシックインカム導入後の世界で、やりたいことをやってベーシックインカムだけで生活する人のような生活をしてみよう、と。

 ベーシックインカムが導入された世界で、ベーシックインカムだけで幸せに暮らせるなら、お金はあればあるほどいいという古い考えに対するアンチテーゼになりうるのではないか、ベーシックインカム導入に価値があると言えるのではないか?非力ながらベーシックインカムの導入の後押しができるのではないか?

 そんな風に考えて始めたのがこの「FIRE!? 貯金0ではじめる 週休5日生活」なのです。

心の中から恐怖を取り去れば自由な生き方ができる。
ナポレオン・ヒル(著作家)



【まとめ】

1 格差の拡大やテクノロジーの進化により、すべての人に生きるための最低限の給付を行うベーシックインカムが注目されている。

2 現代社会では「職業選択の自由」は形ばかりの自由であり、真実は生存を人質に取った労働の強要、搾取が行われている。

3 形式的には「職業選択の自由」があるため、悪条件で働かざる負えない人々にも、悪条件で働くのは本人の意志だという歪んだ自己責任論がまかり通っている。

4 ベーシックインカムの導入には、「働かざる者、喰うべからず」という古い倫理感や、財政的問題もあり、導入には時間が掛かるものと思われる。

5 ベーシックインカム導入後のより自由な生き方の大部分は、今の社会でも実現可能であり、個人の意識の変化に掛かっている。 


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