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東大生ラッパーと大雑把につかむ世界史【おわりに】

 こんにちは!東大生ラッパーの法念です。前回は「第17章」で「冷戦」の話をしました。(目次はこちら
 今回は、ついに最終章ですよ! ではいきましょう。

 「はじめに」で、古代地球上にいくつもの「世界」ができたというお話をしました。今は世界といったら「地球」を思いうかべるけど、昔の人は違うはずだ、というお話を覚えていますか?

 いくつもの「世界」が地球という一つの「世界」にまとまっていく様子をみるのが、この講座の目的でした。その際、バラバラの経済が一つの経済になる流れ、バラバラの「くにの形」が一つの統一された「くにの形」にとってかわられる流れ、に注目してきました。

古代と中世

 古代に成立したバラバラの世界は、陸でも海でも交易を活発に行いましたね。とくにイスラーム世界が成立したあとは、ムスリム商人が積極的に交易をしていました。イスラーム世界は東南アジア世界にまで薄く広がっていきましたね。

 そのなかでモンゴルの時代に、中央ユーラシア世界のモンゴル帝国が拡大したことで、ユーラシア大陸を大きく覆う交易圏がつくられました。直後の14世紀の危機の時代で、一時的に交易圏はバラバラになってしまいますが、もはや世界同士の融合はかなりのところまで進んでいました。

 東アジア世界の明が海に積極的に乗り出したり、大航海の時代には西ヨーロッパ世界が海に乗り出したりしました。アメリカ大陸やアフリカ大陸の南部も含めて、世界がどんどん繋がっていくのです。

 そのなかで、それぞれの「国のかたち」は脈々と受け継がれていきました。東アジア世界は次々と王朝が交代しながらも「中華帝国」の理念を受け継ぎました。イスラーム世界も、カリフを中心とする理念は受け継がれています。東ヨーロッパ世界は、ビザンツ帝国、そしてモスクワ(ロシア帝国)が(東)ローマ帝国の理念を受け継ぎました。西ヨーロッパ世界は、神聖ローマ帝国が(西)ローマ帝国の理念を受け継いでいます。

主権国家体制の登場

 状況がかわるのが17世紀の危機の時代でした。この時代は一時的に交易が衰退するものの、ヨーロッパでオランダだけが繁栄をつづけた時代でしたね。その裏で、神聖ローマ帝国が事実上解体したのを覚えていますか? 西ヨーロッパ世界の理念やまとまりが崩れはじめて、新しい「くにの形」が登場しました。これがまさに、現在の地球上を覆う「主権国家体制」です。この時点ではまだ西ヨーロッパ世界だけのシステムです。

 18世紀(近代の幕開けの時代)には、再び世界をつなぐ貿易がどんどん活発になり、西ヨーロッパがアジアよりも力をつけていきます。18世紀後半および19世紀前半の革命の時代には、南北アメリカにつぎつぎと独立国が誕生し、「植民地」の状態から、ヨーロッパと対等な「主権国家」の状態に変化しました。「主権国家体制」が広がっているわけですね。

 イギリスの時代は、イギリスが自由貿易をおしつけつつ、世界中がどんどん繋がっていきます。帝国主義の時代には、各国が植民地をつくるなかでアジア・アフリカとの関係がますます密接になり、ほぼ「地球全体を覆う一つの経済」が出来上がりました。もう一つの流れ、「くにの形」についてですが、地球全体が「主権国家」で覆われるのはもう少し先の話です。

 そして、帝国主義国同士が競争を激化してぶつかったのが第一次世界大戦でした。一次大戦とその前後の時代には、それぞれの世界を受け継ぐ帝国が相次いで滅亡しました。東アジア世界の清、東ヨーロッパ世界のロシア、イスラーム世界のオスマン、西ヨーロッパ世界のドイツとオーストリアでしたね。帝国が解体して、名実ともに各世界の「くにの形」の理念が崩壊し、主権国家体制に組み込まれていくわけです。

 第二次世界大戦の後は、植民地帝国のイギリスとフランスにかわって合衆国とソ連が中心の体制になりましたね。そのため、アジア・アフリカにあいついで「主権国家」が誕生(ヨーロッパから独立)しました。ようやく地球全体が「主権国家」で覆われるようになるのです。

現在へ

 前回は、冷戦が終結したお話までしました。冷戦が終結したことで、世界の紛争は減り、平和な時代が訪れたかのように思われました。しかし現実はそう甘くはありませんでした。

 「主権国家体制」ができたヨーロッパは、ある程度「一つの民族が一つの国を作る」という原則に沿うことができていました。このような国を、「国民国家」というのでした。しかし、冷静に考えればそんなことは理想にすぎず、現実はそんなにうまくいかないことは分かります。日本という島国でさえ、実にさまざまな民族によって国が成り立っています。

 まして、ヨーロッパが植民地化する際に、ヨーロッパの都合で国境線が引かれたアフリカなどは、一つの国に実にさまざまな民族が住む、という状況が当たり前になっています。むりやり作り出されたこれらの「国民国家」では、どの民族が主導権を握るか、などをめぐって激しい争いが繰り返されました。

 また冷戦の終結により、合衆国とソ連の対立という、ある意味で緊張した状態がなくなりました。どちらの陣営に属するか、というのが大きなテーマであった時代がなくなり、現代の時代においてどのような「くに」を作っていくか、という模索が激しくなるのです。

 どこのだれが「国民国家」をつくるのか、ということにかんして、対立や模索は続いているのです。アフリカだけでなく、ユーゴスラヴィアの「内戦」、中東のクルド人問題、中国のチベット問題、日本のアイヌ問題など、このような事例はいくらでもあります。

 「経済」が一つになったことで生じた問題もたくさんあります。長く植民地の時代を経験したアフリカなどは、ヨーロッパに原材料を輸出する立場が今にいたるまで続き、工業化や経済発展をできずにいる国が多いです。

 現在はグローバル化の時代などと呼ばれます。経済が一つになり、人やモノ、情報の移動がかつてない規模で活発になっています。インターネットの普及はこれを加速させました。世界的な規模で貧富の格差が広がっているのも、グローバル化がもたらした大きな問題なのですね。

 そして、新型コロナウイルスなど、病気が素早く世界中に広まってしまうのも、人やモノが活発に動き回っているからです。私たちは、このような現在の諸問題が歴史のなかで作り出されてきたことを認識し、これらとどう付き合っていくべきか考えなければいけないと考えます。

 本講座は以上になります。長い間ありがとうございました!
                            法念

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