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「諦める」って、そんなに悪いことじゃない気がする

世間様を見渡すと「夢を諦めるな」とか「年齢を理由に我慢しなくていい」とか、一見イイコトを言っている一方で、「それってつまり欲望を煽り立ててるだけなんじゃないかな?」って思うことが増えてきました。

もちろん、背中を押してほしい人には「諦めるな!」という励ましも有効だと思うのですが、世間の全てが「諦めるな!」になると、それは生きづらさにつながらないだろうか。

思えば私の学生時代。(またオタクの話で例えて申し訳ないのですが)
地方に住んでる貧乏寄りの生活。あの頃はSNSもなけりゃ通信網も発達してないし、何もかもに不自由な生活でした。
都会の人たちは、大きなイベントに出てキャーキャー楽しんでいるらしい、とは風の噂で聞いていましたが、地方の学生に何ができるでしょう。

こうして私(私達)は多くの夢や希望を諦めてきました。そりゃもう淋しい人生だったと思います。
ですが、これって、よくよく考えたら「自分の欲望と折り合いをつけてコントロールしてきた」ってことで、結構良かったのでは…?

化粧品のCMで「年齢だから仕方ないって諦めてませんか? あなたの肌はこんなにきれいになるんですよ」と言われるとすぐ飛びついてしまうように。
「諦めるな」という言葉は、つまり「より強い欲望を抱えて生きろ」というようなもので、それを手に入れようと躍起になるあまり、心が荒んでしまわないだろうかな。

そして、それに応じるかのように転売ヤーなどと呼ばれる人たちまで出てきて、我が国はそんなに欲望に溢れかえった国だったのかと首を傾げたくなります…。

周囲を見渡すと新商品がざくざく登場していて、ひとの購買意欲を掻き立てるキャッチコピーを考える人が重宝される。
こうした社会の動きの反動として「ミニマリスト」と呼ばれる人が台頭してきたわけですよね。

映画「羊たちの沈黙」の中で、レクター博士は「欲望とは自存するものではなく、『それを満たすものが目の前に出現したとき』に発動する」と言ったそうで。
見たことない映画(さすがに名前は知ってますが)なのでどういうシチュエーションなのかもわからないのですが、なるほどと思うなど。

お借りした画像、とてもいい言葉だなと思いました。
「前向きに諦める」…そう言う捉え方も必要ですよね。
たとえば「いつかやろう、と思い続けて全然始められていない趣味」とか、多分きっと、絶対にやらないんですよ。だったら、「これは自分には合わなかったんだな」とすっぱり諦める。
そうすると、どうなるか? ――別の趣味に取り組む時間ができちゃったりするんです。

家の片付けもね。
いつかやろう、いつかやろう…って考えてばかりで全然できないって人は、多分やらないんです。でも、それでいいんじゃないかと。
「どうして私は片付けもできないんだ、やっぱり私はダメだ…」と思って心を病むより、「うん、私は片付けができない人間なんだ。認めて、諦めよう。そして、人に頼ろう!」とか、「片づけなくていいようにモノを買い過ぎないようにすればいいじゃん!」とか。
前向きに諦めてほしいなと思うんですよね。

さて、今年も仕事始めです。
たくさんの人に寄り添えるように頑張っていきたいと思います!
note執筆の時間もなるべくとれるように頑張りたいな…!
よろしくお願いいたします。


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