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バーガーショップ

とあるオフィス街のバーガーショップ。

閉店まであと一時間というこの時間に、今夜も男は現れた。

男は毎週、月・火・木・金と、仕事帰りにハンバーガーを買って帰る。

それがこの男の、ここ半年間のルーティンだ。

例え夕飯を済ませていようが、祝日で会社に用がなかろうが、

男は大して食べたくもないハンバーガーを買いに来る。

今朝から降り続く雨のせいで今夜は一層冷えこみ、

明るく暖かな店内は、男に安らぎを与えた。

このバーガーショップは男が務める会社の最寄り駅にあり、

昼間はOLやサラリーマンでごった返すが、遅い時間は閑散とする。

今夜も店内に一組の若いカップルと、レジに一人並んでいるだけ。

男はひと息つき、注文中のサラリーマンの後ろに並んだ。

少々苛つきながら順番を待っていたが、目の前の背中を見て

「あっ」と、思わず声をあげそうになった。

「このトレンチ、見覚えあるぞ。お前、おとといも来てたろ」

男は心の中でサラリーマンに因縁をつけた。

注意深く、目の前のトレンチが注文している様子に耳を傾けていると、

隣りのレジから手の空いたバイトの子に声をかけられた。

「お次のお客様、こちらにどうぞ」

「いえ、結構です」

男は目を合わすことなく手で制し、ジリジリした気持ちで順番を待った。

バイトの子は腑に落ちない様子だが、男は見向きもしなかった。

男は今、目の前のトレンチ野郎の事で頭がいっぱいだった。

「お前、何者だ?この野郎。さては…」

心の中で睨みを利かせていると、ようやくトレンチがレジを離れた。

「さてはお前、ストーカーじゃないだろうな」

店を出ようとするその姿を横目に男は警戒を強めたが、

次の店員の声で現実に引き戻された。

いや、或いは此処から男は夢に浸かるのかもしれない。

「いらっしゃいませ」

でた。

おっと、心の声が漏れそうになった。

こんな寒い夜に、寒い心を、一気に溶かす

貴女の笑顔は何の魔法ですか?

そう、彼女こそこの男を突き動かす原動力。

男はこの子に会うために、2週間毎日通って彼女のシフトを把握し、

以来週4回この店に通い、半年間で5キロ太ったのだ。

そして今夜、男は初めて見た。

自分以外のストーカーを…!

やはりこれだけ可愛いのだ。ファンだって出来るだろう。

早くお近づきにならねばならない。

この子はもう狙われている。

そんな焦りからか、男の第一声は「寒いですねぇ」だった。

女の子は少しキョトンとしたが、すぐに笑顔で答えた。

「寒いですねー。でもずっと店内にいると暑くて。喉も渇くし」

男は自分の顔がニヤけていくのを抑えるのに必死だった。

会話しちゃった。

初めてだった。この子と注文以外の会話をしたのは。

なんて可愛い声だ。

男は動揺を隠すようにメニューにかぶりついた。

メニュー? この際なんだっていい。夕飯は済ませたのだ。

適当に「コレとコレとコレください」と、俯いたまま伝えた。

とても目が見られる状況じゃない。

だって、顔が真っ赤っかだったら恥ずかしい。

実はこの男、2ヶ月前から「告白しよう」と心に決めていたのだ。

気がつくと街はクリスマスムード。「今日こそは」と思ったが…

物事には順番がある。

今日はもう充分だ。会話が出来ただけで。

後でゆっくり自分で自分を褒めてあげよう。

男は見てもいないメニューを見ながら自らを誇った。

店員の女の子は丁寧に男のオーダーを復唱し、

真剣にメニューを見ている男に笑顔で尋ねた。

「ご注文は以上でよろしいですか?」

その声に呼応するように、男は顔を上げてしまった。

そして見てしまった。

彼女の目を。

とびきりの笑顔を。

男は再びメニューに目を落として呟いた。

「ご注文は……えっとー………」

しばし唸った後、男は改めて彼女の目を見て注文を追加した。

「あなた」

場違いな空気が漂う中、男はもう一度言った。

「あと、あなた。ください」

…………。

店内には軽快なクリスマスソングと、

レジを挟んで奇妙な沈黙が流れていた。

男は生きた心地がしなかったが、じっと答えを待った。

或いは動けなかったのか。

やがて動き出す、彼女の口元を息を止めて凝視していた。

そして彼女は答えた。

それは、マニュアル通りのものだった。

「お持ち帰りですか? 店内で召し上がりますか?」

……………。

そりゃそうか。

男の告白はスルーに終わった。

…かのように思われた。

男は頭の中で、彼女の言葉を復唱した。

「お持ち帰りか? 店内で召し上がるか?」

いつも聞いている暗号のような言葉なのに、

告白した後に聞くと…

「なんてイヤらしい質問なんだ!」

それが貴女の答えですか?

つまりそれって…。

あれあれあれあれ?

つまりそういうことですか?

男は激しく動揺した。そして悩んだ。

お持ち帰りか、店内で召し上がるか。どっちだ?

いや、どっちもハズレのないクジのようなものだ。

とりあえず男は遠慮気味に

「じゃあ…お持ち帰りで……」と伝えた。

彼女はこの後、笑顔で厨房を振り返り

「店長ー。あたし、あがりまーす」

と、言うに違いない。


彼女がイヤらしい手つきで肉やら芋やらを袋に詰めるのを、

男はドキドキしながら見守った。

やがて彼女が、コーラを入れたカップをレジに持って来た。

男が注文した料理はこれで全て揃った。

あとは、お持ち帰るだけだ。

男は言われるままにお会計を済ませ、成り行きを待った。

すると彼女は、ストローをさして唐突にコーラを飲み始めた。

一口、

二口、

三口ほど飲み、満足した様子で飲みかけのコーラを

男に渡してこう言った。

「ありがとうございました。またお越しください」

男は呆気にとられたまま、飲みかけのコーラを片手に外に出た。

そして、彼女が飲んだコーラを一口飲んだ。

12月の寒空の下で飲むコーラは、血液まで凍るようだった。

男は食べたくもないハンバーガーの袋をぶら下げて駅に向かい、

もう一口コーラを飲んで誓った。

「また明日来よっと」

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