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「人類を裏切った男~THE REAL ANTHONY FAUCI(中巻) 」① ポイント抜き出し 1/6~第3章 HIVの広がりに乗じて暴利をむさぼる

 2021年11月9日に米国で発売された本書は、書店に置かれず、様々な妨害を受けながらもミリオンセラーとなり、この日本語版も販売妨害を避けるためか、当初はAmazonでは流通させず、経営科学出版からの直売のみになっているようだが、現在はAmazonで買うことができるようになっている。

 日本語版は1000ページを超えるために3巻に分けられた。

 本書はその中巻「アンソニー・ファウチの正体と大統領医療顧問トップの大罪」だ。

 極めて重要な情報が満載で、要旨を紹介して終わりでは余りにも勿体ないので、お伝えしたい内容を列記する。

 この第3章はファウチ博士が権力を握るまでの道のりを解説しており、ファウチの持つ権力を理解するために非常に重要な章であるため、引用部分が非常に多くなったことをご了承頂きたい。

ファウチ博士の生い立ち

 アンソニー・スティーブン・ファウチは、1940年12月4日にブルックリンで生まれた。祖父母のうち3人がイタリア人。

 ファウチ博士は1966年、コーネル大学で学位を取得し、首席で卒業した。

 NIHは、第二次世界大戦中に戦時中の兵士の健康を維持管理するために設立された研究部門だ。1950年代半ば、アメリカでは感染症による死亡率が急激に低下したため、NIHはがんとの戦いを宣言して存続している。

 コーネル・メディカル・センターで研修医を終えた後、ファウチ博士は1968年にNIHに入局し、その研究所のひとつである国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)の臨床スタッフとして勤務し、1977年にNIAIDの臨床部副部長に就任した。

 1984年11月2日、ファウチ博士はNIAIDの所長に就任した。当時はAIDS危機が制御不能に陥りつつあった。

NIAID一活気も存在意義もない機関

 ファウチ博士がNIAIDの所長になったとき、同研究所は時代に取り残されていた。アレルギーや自己免疫疾患は、アメリカ人の生活ではめったに見られなかったからだ。

 がんを恐れるアメリカ人は増え続けており、NIHはがんにばかり注目し、国の保険財源の大部分を国立がん研究所(NCI)に注ぎ込んだ。

 感染症による年間死者数は、1900年には人口10万人あたり800人だったのが、1980年代には50人程度にまで減少した。
NIAIDや疾病対策センター(CDC)では、病原体の研究者たちが存在意義を問われるようになった。NIAIDの全盛期は遠い昔のことだ。

 20世紀前半に見られた感染症による死亡率の激減は、ワクチン接種が主要因ではない。米国における感染症による小児の死亡率は、抗生物質やワクチンがほとんどなかった1940年までに、ほぼ90%が低下しているのだ。

 感染症による死亡率の低下は、医師や保健機関の職員によるものではなく、栄養状態や衛生状態の改善によるものだとしている。

 ワクチン研究者は、20世紀前半の感染症による死亡率が74%減ったという驚異的な成功例をうまく乗っ取った。この成功は、自分たち、特にワクチンのおかげと公言してはばからなかった。

使命を持たない機関

 感染症による死者が激減していたため、1949年という早い時期に、CDCを閉鎖する議会法案が2度、圧倒的多数で可決されている。

 1970年半ばから、CDCはその存在を正当化しようとした。その理由たるや、狂犬病やパンダウイルス症候群の小規模発生を追跡するために州の保健所を支援すること、そしてCDCを軍の生物兵器プロジェクトと関連付けることだった。

 CDCはその存在を正当化するために、もっと規模の大きい流行病を必要としていた。HIVとエイズの仮説は流行病を求めていたアメリカの当局にとって救いとなった。

 CDC内では「新しい伝染病を発見する必要がある。アメリカ国民を脅かすようなやつだ。そうなれば儲かるんだがな」などと書かれたメモが飛び交っていたようだ。

 NIAIDとCDCの官僚たちにとって、定期的なパンデミックに対する国民の恐怖をあおるのは、自分たちの組織の存在を維持するために当然取るべき手段であった。

 ファウチ博士の直属の上司であり、博士の前任リチャード・MクラウスNIAID所長は、この新しい戦略の先駆者となった。クラウスは「微生物の復活」戦略を提唱し、微生物を致命的な病気の元凶として恐れられる存在に復活させることを目指した。その年、連邦政府の規制当局は豚インフルエンザが流行すると騒ぎ立て、CDCは命を救うスーパーヒーローであるという評判を復活させ、一時的に周囲の期待を高めた。

 クラウス所長は(まもなくファウチ博士が後釜に座るのだが)、メルク社の幹部を所内の企画会議に協力者として招いた。メルク社と協力して、NIAIDは国民が収めた税金を資本にしてワクチンの開発と流通を助成し、試験未完了の製品の市販を急いだ。

 メルク社の実験的ワクチンはギラン・バレー症候群の全国的流行を引き起こした。メルクなどワクチンメーカー4社は、利益と補償が保証されない限り、政府へのワクチン販売を拒否した。

 1997年までは食品医薬品局(FDA)はテレビでの医薬品広告を禁じていたし、ジャーナリストはジャーナリズムの実践が許されていたのである。「60ミニッツ」(CBSテレビが放送するドキュメンタリー番組)では、豚インフルエンザの大流行をでっち上げ、NIHの実験用ワクチンによる犠牲者が続出したことを厳しく批判する番組を放映した。

HIVとエイズの仮説からチャンスを掴む

 1976年の豚インフルエンザは最悪の結果に終わったが、ファウチ博士はこのスキャンダルからひとつの啓示を得たようだった。

 それは、パンデミックは機関の権力と知名度を拡大し、巨大製薬会社との有利なパートナーシップを固め、キャリアアップするための好機である、という啓示である。

 その4年後、エイズの大流行は、NIAIDにとって救いとなり、 ファウチ博士の輝かしい出世の出発点となった。ファウチ博士が規制当局を指揮してエイズ危機に対応した経験から得た教訓は、その後のパンデミックへの対応の常食手段となった。

 アンソニー・ファウチは、何年も前から、恐怖を流布させる特殊なスタイルを完成させていた。

 関連の薄い、まゆつばの、まわりくどい、あり得ないような話を交えて、人々を怖がらせた。ファウチは、何百万人もの人々を恐怖に陥れ、エイズに感染する危険性がないにもかかわらず、そう思い込ませることに成功した。

 彼は、NIHで権勢をふるっていた国立がん研究所(NCI)からエイズ危機の管轄権を奪って、最初の足がかりを築いた。

 CDCが、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨークの同性愛者約50人の男性の間で、 保健当局が「後天性免疫不全症候群(AIDS)」と名づけた未知の病気の出現を初めて認識したのは、1981年だった。

 その10年前の1971年、ニクソン大統領は「がん戦争」を開始した。 医学界は1976年までにがんを治療可能にすると約束した。一方、製薬業界はたちどころにNCIを自らの資金源に変容させた。 規制当局は何千億ドルもの資金を注ぎ込んで、パートナーである製薬会社と共に、単一用の特許で保護された抗がん剤や特効薬を開発し、製造した。その金は製薬会社、研究者、医師、大学を潤したが、あまり公衆衛生上の純利益をもたらさなかった。 1500億ドルを投じた50年間の後、軟組織がんと非喫煙者のがんが急増した。

 がん研究での主流の考え方では、がんの3分の1はライフスタイルを改善すれば防げるという。だが、がんの専門家サミュエル・エプスタインによれば、がん予防に向けた良い食習慣を奨励するためにNCIが費やしたのはわずか100万ドル―2005年の4億ドルの予算の0.02%で、これを教育、プレスリリース、広報にあてたという。

 製薬業界やNCIの規制担当者にとっては、エイズ危機は新しく登場したATMに見えたに違いない。1984年には、NIHの科学者ロバート・ギャロは、彼が発見したウイルス、HTLV-ⅢをAIDSに結びつけた。後にこのウイルスはHIV(ヒト免疫不全ウイルス)と呼ばれることになる。

 ファウチ博士は、このウイルスを自分の研究所の収益源にしようと積極的に動いた。その年、ファウチ博士は、NCIのサミュエル・ブローダーとの激しい対立の中で、「エイズは感染症であるから、NIAIDが管轄すべきだ」と説得力をもって論じた。ファウチ博士はみごとな弁舌でNCIに勝利し、議会がエイズ対策に割り当てた予算が洪水のようにNIHに流れ込んだ。

 CDCのジェームズ・カランは回想する。 「エイズがウイルスによって引き起こされると認識された途端、メディアの関心を引き、まったく報道されない状態から、歴史上最も頻繁に報道されるニュースストーリーになりました。人々は、それまではエイズを軽視していたのですが、すぐに恐怖とパニックに陥りました」

「テフロントニー」と呼ばれたファウチ博士の特性

 劇作家のラリー・クレイマーは、エイズ危機で最も知られた活動家であり、(中略)ファウチ博士の能力について冷静な評価をした最初の人物は彼だろう。「ファウチが何の罰も受けずに済んでいる主な理由は、彼が魅力的でハンサムで粋で、話がうまく、あなたの質問に答えることがないからです」

 質問をうまくかわし、目標を誤り、意味を不明瞭にし、そしておそらく少年のような魅力を備えているのは、ファウチ博士がテフロンたるゆえんだ。テフロンという特性は、ロナルド・レーガン元大統領と共通するもので、同大統領のもとで博士は最初に権力を握った。

 ファウチ博士には、彼の所業に対する責任逃れを認めさせてしまう何かがあるようだ。その何かのおかげで、漠然とした決定、科学的エビデンスに基づかない自信ありげな主張、次々と出てくる嘘と予測外れ、そしてアメリカ国民の健康を維持するには実績が乏しいことが許されてきた。

 国が新しく任命したエイズ管理の頂点に立つ者として、ファウチ博士は、ほぼすべてのエイズ研究の門番になった。NCIには、新薬の臨床試験を実施するための長い経験と堅牢な研究基盤がすでにあったが、NIAIDにはどちらもなかった。それにもかかわらず、ファウチ博士は、がんを治すというNCIの誓いをオウムのように繰り返し、エイズを消滅させるための薬やワクチンを迅速に製造すると議会に約束した。

 ヌスバウムは1990年の著書で、 ファウチがNCIに勝利したせいで、エイズ危機で何千人ものアメリカ人の命が奪われたと結論づけており、数え切れないほどの当代の批評家がその評価に同意した。

治験責任医師 製薬業界とファウチの傭兵軍

 NIAIDでは、所内で医薬品を開発する能力が欠如していたために、ファウチ博士は新しいプログラムを構築できた。それは、製薬会社によって効果的に管理されている、いわゆる「治験責任医師』 ネットワークへの医薬品研究の外注だった。

 今日、人々が「医療カルテル」と言うときは、主に製薬会社、病院システム、HMO(訳注・一定の年間保険料を払えば、指定された病院や医師の医療を受けられる会員制のシステム)と保険会社、医学雑誌、および公衆衛生規制当局を指す。これらすべての機関をまとめ、足並みをそろえて行進できるようにする接着剤は、ロビイスト、スポークスパーソン、メディカルサイエンスリエゾン、および執行者として機能する治験責任医師の軍隊だ。トニー・ファウチは、この部隊に公衆衛生政策を支配できる力を与えるうえで重要な歴史的役割を果たした。

 治験責任医師は優れた頭脳を持った医師や医学博士で、国の助成金や製薬会社との契約を利用して、臨床試験を研究主題とする大学や研究病院に封建的な帝国を築いてきた。臨床試験は新薬の承認過程では重要なフェーズにあたる。NIHの、特にNIAIDの気前の良さのおかげで、数百名という比較的小さなネットワークを形成していた治験責任医師たちは、実質的に全アメリカ国民の生物医学研究の内容と方向性を決定することになる。

 1987年、NIHの6億ドルの予算のうち約4億ドルがこれらの研究者に支払われた。1992年には、NIHの予算は89億ドルに拡大し、そのうち50億ドルが1300の大学や研究所、その他の一流の研究機関の外部研究者に支払われた。現在、ファウチ博士のNIAIDだけで、世界中の治験責任医師に分配する支出として年間7億ドルが計上されている。博士はこの金を彼の裁量で自由にできるのだ。

 治験責任医師は製薬業界の代理人で、業界のパラダイムを推進する。

 また、彼らが多くの席を占めるデータ安全性モニタリング委員会 (DSMB)は、臨床試験プロトコルの設計に影響を与え、臨床試験の結果から結論を解釈する委員会だ。 治験責任医師は、他の委員会、例えばワクチンおよび関連生物製剤諮問委員会(VRBPAC)や、予防接種実施諮問委員会 (ACIP)などにも顔を出している。前者はFDAの外部諮問委員会で、新しいワクチンが「安全かつ有効」かどうか、および市販に値するかどうかを判断し、後者はCDCの委員会で、子どもへのワクチン接種義務化を教条としている。

 彼らは、地方紙や全国紙に掲載される社説を絶え間なく書き続け、製薬業界のパラダイムの陳腐な正統性を強化する。 「すべてのワクチンは安全で効果的だ」などと言いながら。州医療委員会、つまり「異端審問所」の委員として、正統派ではない医師を問責し、免許を剥奪して異端者を根絶する。医学雑誌や査読付きジャーナルに掲載される文献をコントロールして、製薬会社の計画を強化する。 医学部で教鞭をとり、ジャーナル編集委員や大学の学部長を務める。 病院を監督し、病院長を務める。 民事裁判所および連邦ワクチン裁判所で製薬会社を弁護する専門家として証言する。

 2006年にACIPが推奨した2種類の新しいメルク製のワクチンが大ヒットした。2種類のワクチンは、9~36歳のすべての女子に接種するヒトパピローマウイルスワクチンと、2、4、6カ月の乳児に3回接種するロタウイルスワクチンだ。

 ビル・ゲイツとトニー・ファウチ (NIAID経由)の2人は、ヒトパピローマウイルスワクチンとロタウイルスワクチンの開発の種をまき、臨床試験の資金を提供した。 メルク社はあいかわらず、両ワクチンについてプラセボを対象とした承認前臨床試験を行わなかった。 したがって、ワクチンを接種した場合、それにより有害事象やがんを回避できるかどうかは科学的に予測不可能だ。

 しかし、FDAの諮問委員会VRBPACは、ワクチンが何かしらのがんを予防したという証拠を求めずに、ガーダシル(ヒトパピローマウイルスワクチンの商品名。子宮頸がんを予防する)を承認した。 メルク社の臨床試験から、ガーダシルが一部の女性においてがんと自己免疫疾患のリスクを劇的に高める可能性があるとする強力な証拠があるのに承認されたのだ。

 それにもかかわらず、ACIPはどちらのワクチンも女子への接種を義務づけた。ガーダシルは歴史上最も高価なワクチンだろう。

利害の対立

 製薬会社もファウチ博士も同様に、ほぼすべての重要な医薬品を承認する委員会に多数の治験責任医師が席を占める戦略を利用した。 治験責任医師は製薬会社とNIAIDから資金を提供してもらっている義理に縛られており、安全性試験の有無にかかわらず、検討する新薬を確実に承認するのが常だ。

 これらの委員会の組織的な腐敗を調査したのが、下院監視・政府改革委員会の委員長で共和党下院議員のダン・バートンだ。彼は1999年から2000年までの2年間に徹底的な調査を行い、公聴会を開いた。
 バートンは次のように述べた。
「CDCは、明らかに利害が対立する科学者を、新しいワクチンに関する勧告を行う影響力のある諮問委員会に、当たり前のように参加させています……これらの科学者たちには、経済的なつながり、学問的な提携があります……そして他にも、公平に監視することになっている製品や企業から得られる利益もあります」

自らに金を投じるポール・オフィット

「テレビドクター」として名を馳せているポール・オフィットは、ロタウイルスワクチンの共同開発者だ。オフィットはファウチ博士が抱える治験責任医師の中でも、ある種の力を持った傑出したインフルエンサーで、 治験責任医師が良心の呵責を感じずに金儲けできるようにした。

 オフィットは主流メディアやソーシャルメディアの寵児だ。長年にわたって、CBS、NBC、ABC、CNNにゲスト出演し、「ニューヨーク・タイムズ』紙の外部識者として、論説欄を担当している。

 メディア各社は口をそろえて、ペンシルベニア大学出身でフィラデルフィア小児病院の医師オフィットを「ワクチン専門家」と言う。 オフィットの差し金か、彼にファウチ博士や製薬会社と金銭的なしがらみがあることは公にされていない。例えば、2011年、チャーズ・レクチャー・シリーズで講演した際にも、臆面もなく「申し訳ないが、私には金銭的な利害関係はない」と宣言した。

 だが実際は、オフィット博士はワクチン開発者であり、ワクチンメーカーとの関係を利用して何百万ドルもの利益を得ている。2006年だけで彼の所属するフィラデルフィア小児病院は、NIAIDから1300万ドル、NIHから8000万ドルを受け取っている。

 オフィットは2年に一度、「予防接種は安全か――両親が知っておきたいワクチンの話』などのプロパガンダ本を出版している。

 彼は、あらゆる科学的証拠に反して、ワクチンによる副反応というのは作り話だ――すべてのワクチンは安全で有効である、子どもたちは一度に1万人もワクチンを安全に受けている、アルミニウムは「重要な栄養素」であるため乳児用ワクチンには安全であると厚かましく主張している。

 オフィット博士は、ワクチンに含まれる水銀は無害なほど少量であり、すぐに体外に排出されると述べている(水銀が極めて有害で持続性のある毒物だと、科学的に決定的に立証されており、エチル水銀もメチル水銀も生物濃縮することはよく知られている)。

 オフィット博士は、遺伝子組み換え食品や化学農薬を支持し、ビタミン、 栄養学、統合医療を御し難い敵とみなしている。さらに、「遺伝子組み換えでない」ものに走るのは誤った考え方だと警告し、DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)は無害であるという過激な立場をとっている。モンサントのDDTに対抗する陰謀を企て、何百万人もの人々を殺したとレイチェル・カーソンを痛烈に非難している。

 オフィット博士は、様々な製薬業界の形ばかりの団体や組織の役員を務め、ブロガーや荒らしの広大なネットワークを指揮する。それぞれが製薬会社から直接的または間接的に資金を得て、議論を抑えつけ、嘘を広め、知性に問題のある子を持った母親を脅して怖がらせ、科学や医学の面から異議を唱える者を沈黙させ、 異端を根絶する。

 1998年のACIPでの討議中、 オフィット博士は投票権のある5人のメンバーのひとりとして座っていた (投票権のないメンバーが5人追加された)。彼のロタテックの共同開発者スタンリー・プロトキンも委員会に参加していた。 ACIPは、全会一致でワイス社のワクチン、 ロタシールドを承認した。

 2000年8月の米国議会の調査では、ACIPメンバーの大半がその投票において利害関係があったことが判明した。その報告によると、1998年6月にロタウイルスワクチンに賛成票を投じたACIPワーキンググループの委員10人のうち7人が、別のロタウイルスワクチンを開発していた製薬会社と金銭的なつながりがあったとされている。

 ファウチ博士も製薬会社もこの2つの委員会に対して腐敗した管理しかできていなかったため、ワイス社はこの製品の真正な安全性試験がなされていなくても、FDAの認可とCDCの「勧告」の両方を得られた。安全性試験を行っていれば、恐ろしいリスクがあるとわかっていただろう。

 ワイス社のロタシールドは、プラセボを用いずに行われた短縮試験でさえ、発育障害、脳障害を引き起こすほどの高熱、腸重積症など、 乳児に深刻な副反応があることが明らかにされている。

 ACIPは1999年10月に市場からロタシールドを引き上げた。予想どおり、多くの子どもたちに腸重積症が現れたからである。

 ロタウイルスワクチン導入以前の1985年から1991年まで、 ロタウイルス感染症によって生じた下痢に伴う脱水症が原因で亡くなったのは、全国で年間20~600人だった。 脱水症の治療は容易なので、タイムリーに適切な治療を受ければ、ロタウイルスで死ぬことはない。

 以上より、オフィット博士のワクチンは公衆衛生への悪影響しかもたらしていない。言い換えれば、ワクチンの副反応の事例数は、ワクチン導入前にロタウイルスそのものが起こした症例数よりも確実に多いのだ。

治験責任医師の市場操作

 ファウチ博士は、医薬品開発のために、実質的にはNIAIDの予算の大部分を治験責任医師に移すことを選んだ。これはNIAIDの義務放棄だ。NIAIDには博士の監督のもと、1989年ごろから激増しているアレルギーや自己免疫疾患の原因を見つけ、これらを排除する義務があるのだ。

 トニー・ファウチが開発に大きく貢献した薬やワクチンはこれらの新しい疫病の原因だと示唆されている。

 NIHは依然として治験責任医師にとって大きな資金源であるが、大手製薬会社からの豊富な契約金や医薬品の特許権使用料はたいてい、政府からの資金をはるかに凌ぐ。製薬会社の金は治験責任医師の糧となり、彼らの忠誠心を高め、優先順位を決定する。 治験責任医師と彼らの病院や研究機関は、事実上、製薬業界の手先なのだ。 彼らの帝国はその成長と存続を製薬会社に依存している。

 さらに、治験責任医師は通常、ひとつの製薬会社に忠誠を誓って、一国一城の主となる。

 通常、製薬会社は信頼できる治験責任医師の所属する医学部、病院、研究機関と契約し、臨床試験を実施する。製薬会社は、治験に参加した患者ひとりにつき数百ドルから1万ドル(治験のフェーズ、複雑さ、会社によって異なる)を支払い、大学はその資金の2分の1から3分の2を「学術的諸経費」としてかすめ取る。 製薬会社からの拠出金は研究機関とその重役からの長期にわたる忠誠を確実なものにする。

 さらには、治験責任医師も大学も、開発に協力した製品の特許権益を共有する。その製品が市場に出れば、多額の特許権使用料が入る。治験責任医師のアシスタントや研究所の経費は、スポンサーの製薬会社からの追加資金で賄われる。製薬会社はまた、謝礼金、アドバイス料、講演料、学会で滞在する高級リゾートへのファーストクラスの旅券などの形で、治験責任医師に「法に触れない賄賂」を送っている。

 このシステムにより、製薬会社は自分たちの私利を優先して、連邦政府の資金、つまりNIAIDの助成金を計画的に流用できる。当然、特許の切れた薬や、治験責任医師に研究費を支払わない会社からの薬には敵対的だ。こうした偏向から、医薬品を用いない健康法、特許を取得できない医薬品、特許切れのもの、ジェネリック医薬品にファウチ博士が反感を抱いている理由が説明できる。

 1990年から2020年にかけて私は「ウォーターキーパーズ」の代表を務めた。これは、国内外の同志団体と立ち上げた環境保護団体で、350の支部を持つ世界最大の水資源保護団体のネットワークだ。私は「ニューヨーク・タイムズ』紙をはじめ、すべての主要紙で定期的に記事を発表してきた。毎年220回以上(そのうち60回は有料)の講演を行った結果、私はかなりの収入を得た。しかし、2005年、CDCのワクチン部門の腐敗に関する記事「Deadly Immunity (命にかかわる免疫)」を「ローリングストーン』誌とオンラインマガジン『サロン」に同時に発表してから、すべてが変わった。

 その後、新聞各社はワクチンの安全性に関する私の記事の掲載を拒否し、最終的にはいかなる問題についても掲載を禁止した。

『ローリングストーン』誌は2021年2月、何の説明もなく当該記事を削除し、ハフポスト社はワクチンに関する私の記事6本をすべて削除した。

 このときから、公に通用している話から外れるワクチン情報はどんなものであれ、すべて検閲の対象となった。その年、大学や企業、自治体から、突然の講演のキャンセルが相次いだ。年間60回あった有料講演の予約が1回か2回に減ってしまった。私の講演を管理する者によると、医学界の有力者から電話が殺到したという。電話の主は、地元の病院や大学医学部、影響力のある研究所の公衆衛生担当者や有力な医師たちだった。みんな同じことを言った。私が反ワクチン、反科学、「ベビーキラー」であり、私が登場すれば公衆衛生や大学医学部への重要な資金援助が危うくなるとの警告を発してきた。

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