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not so long ago 2011年3月下旬の石巻

教育を本気で語る会、ベストファーザー賞教師部門受賞予定のジョージです。
東日本大震災発生直後の3月下旬に、
宮城県石巻市を訪れて気づいたこと、
当時の報道では分からなかったことをお伝えします。
現地に行ったから感じたものを全10回でまとめます。


高速バスで早朝に到着した仙台駅

建物等の大きな倒壊はありませんでした。

駅前ロータリーの損壊部分

道路の損壊はありましたが、そこを避ければ車は走れます。コンビニなどは営業していて、ある程度の日常が戻っていました。

石巻に着いてから町の光景が変わりました

ごみ袋や粗大ごみが大量に出されていました。回収されないまま積み重ねられています。

海に近い町の風景

海に近づけば近づくほど、津波の威力が強かったことも分かってしまいます。

未処理の瓦礫や車が増えてきました。

 目の前の現実を受け入れることが難しくなってきました。どうやったらこうなるの?こんか疑問ばかりです

海岸沿いの民家

2階と屋根の高さが低いです。1階部分が流されていました。

目を疑うばかりです。声も失いました。驚くこともできなくなりました。


瓦礫の中にあったアルバム

ここまでで一番悲しくなった瓦礫の中の一部です。たまたま開いているこのアルバムのページは、結婚式の写真です。
幸せの絶頂だったはずです。
なぜこのページがこんな形で開いているのか。
この人たちは今どこにいるのか。
絶句したまま、海沿いの工場地帯へ進んでいきました。
ここで見た光景は、今後の人生に大きな影響を与えるくらいの衝撃でした。
知らなかったではすませたくない。
自分の目と足で知ったことを、これからもつないでいきます。

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