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私は木 -完全無視された日-


世の中には信じられないほど華麗に「無視」をきめこむ人間どもが存在する。
私 「こんにちは~。」ニコッ( ◠‿◠ )
奴 「       」 ペタペタペタ.…
私 (お?)
私 (ニコり損じゃねぇか。)

イチローも言っていたぞ。
「無関心がいちばん辛い」と。

勿論、イチローが述べる無関心と私の無視とは次元の異なる話であるが、伝えたいのは「辛い」という言葉の方だ。
あれほどの偉業を成し遂げた、そして今なお功績を重ねつつあるイチローでさえもやはり人間。「辛い」という感覚を持っている。表に出さないだけで。それも立派だと思う。

エレベーターのドアが開いて、真ん前に人が立っていて、日常的にそれなりに顔を合わせる機会もあり、過去にお前の粗相の始末をしてあげた事もある人物が、わざわざニコッを添えて挨拶申し上げたにもかかわらず、華麗に無視して気持ち悪い小股でペタペタと歩き去るお前の後姿は、いいか? 直接は言わないがnoteでこっそりと言うぞ?
 実に気味が悪い。
もしかしたら私のニコッが気味悪かったのか? 確かにそれはよく言われる。 だがしかし、いくら私の笑顔が気に食わなかったとはいえ、無視は駄目だろ?

50歳にもなって、人に無視される事にいちいち心を揺さぶられたくもないが、あまりにもパーフェクトで華麗な無視は駄目だ。少々、辛い。
なんかあんだろ。 「あ、」とか「ども。」とか。
「        」
空白はやめろ。

どんなに強烈な心霊的な悪寒でさえも秒で忘れ去ってしまう、記憶メモリが極端に少ない私の脳に残ってしまったではないか。どうしてくれるんだ。

こういう時は相手の目線に立って考えると、答えが出るかもしれない。
相手を認識しておきながら無視する人間どもの場合には、それは『相手を見下しているから』という事で良いと思うのだが、奴の場合は少し違う。
奴は私を「人間」として認識していないのだ。
電柱か、郵便ポストか、自転車か。
しかし、エレベーターホールに電柱は立っていないか.…
では何だろうな??? そうだ。木だ。
奴にとって私は、木だったのだ。
エレベーターホールに木も生えていないだろうが、もういいや、そういう事で。

ちょっとスッとしたな。
木が話しかけてきたとしても、普通はスルーするからな。
そういう事なんだナ。

また近いうちに会う事になろうが、もうニコッとしないぞ。
挨拶はするけどな。 木だけどな。

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