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185 裏切りの物語

裏切る側の理屈

 この「微睡みの中で恋をして」は、すべてフィクションである。オートフィクションであり、著者の日常に密接に関わってはいるのだが、虚構だ。そのことを承知の上でお読みください。

 世の中に流布する多くのストーリーに、必ずといっていいほど登場する裏切り者たち。信頼厚い家族の要となっている親、あるいは期待されている子、会社の将来のために睡眠も削って奮闘している経営陣、あるいは社員、多くの人たちから慕われている教育者、あるいは学生、ゆるぎのない権威を誇る宗教人、あるいは信者、もっとも人気のある政治家、あるいは政党支持者、さらに信頼して家族同然だった通訳……。
 裏切る側としては、実は最初から裏切っている。途中で裏切り者になるのではない。最初から裏切っているのである。ただ、最初のうちは、裏切りの規模が小さく目立たないだけだ。
 裏切り者が最初にする裏切りは、自分を裏切ることである。
 自分に正直でその結果、ある時に壁にぶち当たって(あるいは陰謀に巻き込まれたり、誰かに裏切られたり、罠にはめられて)裏切りへ走ることもゼロではないだろうが、こうした裏切りは予見できることが多い。正直な人だから、変化が見えやすい。
 だが、最初に自分を裏切った者の場合は、予見しにくい。いわばステルスである。自分を最初に裏切っているので、あとは誰を裏切ろうとどうということはない。そこで心は動かない。
 最初は少ない掛け金ではじめて、ときどき勝つ。しだいに手持ち資金が大きくなると、それに合わせて掛け金も増やす。こうなると勝ったときの利益は莫大となる。同時に負けたときの損失も莫大となる。
 裏切り者にとって、自分を信頼する者の信頼度はこの掛け金と同じだ。
 最初に自分を裏切っている者にとっては、目の前でどれほど掛け金が大きくなっていっても、挫けることはない。いまこれをやっているのは自分ではない。自分ではない誰かだから。あるいは、周囲の人たちが望んでいる誰かになり切っているから。
 そもそもの自分はとっくの昔に捨ててきた。自分が本当にやりたい道を捨てて、自分を裏切って、いまここにいる以上、ここでどれほど掛け金(信頼)が莫大になっても気にしない。そもそも自分のなりたかった自分ではないのだ。
 それは二重スパイにも似た世界だろう。A国からB国へ侵入したスパイは、A国のために活動する。そのスパイをB国は懐柔しA国の情報を得るために活用する。多くの場合、二重スパイによってA国がB国内でつくりあげたスパイ網をすべてB国へ教えてしまう。
 B国に侵入するためにA国人としての自分を裏切った者にとって、なにか事があれば二重スパイになってしまう可能性を常に持っている。実際になる者は少ないだろうし、長生きできそうにないけれど。

裏切りが発覚したあと

 信頼していた人が、背信、横領、二重スパイになる、といったことで、信頼する側は裏切られたことを知る。裏切る側からすれば、自分をそこまで信頼したのは自分のせいではない。相手が信じたのだ。相手が自分を信じたこと(自分に大金を賭けたこと)は、自分とは関係のないことなのである。
 なぜなら、相手が信じた自分は、本当の自分ではないからだ。自分で最初に自分を裏切った結果、生まれた「誰か」を相手は信じている。それは、きっと相手にとって都合のいいことなのだろう。相手がこのニセの自分を信頼することは、自分の裏切りを正当化する。自分じゃない自分のことをこれほど信頼してくれるのだ。
 だから、場合によっては裏切ることへのハードルは低い。自分じゃない「誰か」を信頼しているのは相手の都合だから。自分はそれを利用するのも自由だ。
 だとすれば、裏切りが発覚したあと、裏切り者の心はどう変化するのだろうか。当然、次は恭順だろう。恐らく反省し謝罪する。いくらでも謝罪できる。裏切った自分は本当の自分じゃないからだ。むしろ「やっぱりな」と思うだろうし「これまで気付かなかったそっちが悪い」とさえ思うだろう。
 裏切りが発覚すれば、自分は自分に戻れるのだろうか? それは難しい。最初に自分を裏切っていることを思い出せればいいのだが、だとしても、元々の自分はすでに自分の手で埋葬してしまっていることに気付くだけだろう。
 ドラマとしては、たいがい裏切り者は発覚すると殺されるか自ら命を絶ってしまうので、その後の心境はわかりにくい。これはドラマとしてその方が都合もよいからであって、裏切り者は必ず抹殺されるわけではない。その後も平凡に生きて死ぬかもしれない。
 ただ、改心することはとても困難だ。そもそも自分を裏切っているので、本来の自分をどうやって取り戻せるのかわからない。親しい人によって、「これが本当のあなたです」と教わったところで、それを心から信じることはできない。むしろ、裏切り者であった自分を愛することだろう。

猫二匹


 


 
 

 
 

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