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145 なんとなく置いておく

きれいな箱や包み紙

 断捨離という言葉が流行したのは、2000年代に入ってからだろう。確か、「断捨離」は商標登録されているから、一般的に誰でもこのワードを使うことはできるけれど、商品化は勝手にしてはいけない、みたいな感じだったと思う(調べたら、20件ほど商標登録されている)。
 ともかく、基本的に部屋の中に物を置かない、不要なものを処分することが「いいこと」だと考えられるようになって久しい。
 一方、私が育った昭和では、なんでも丁寧に保存したがる人たちがいた。菓子の入っていた箱の中に、色とりどりのリボンが入っている。「きれいだから」とプレゼントで貰ったときのリボンを捨てずに置いている。さらにその包み紙も丁寧に折り畳んで保存していたりもする。「だって、もったいないでしょう」と言われると、反論しにくい。
 こういう世代にとっては、頭では「捨てなくちゃね」と思いつつ、「いや、でもな」と躊躇ってしまうことがしばしばである。
 最近では箱がなかなか捨てられない。箱はとんでもなく邪魔である。しかし、宅配便でなにかを送りたいときに手元に箱があった方が便利じゃないか、と思ったりする。あるいは、かっちりとした化粧箱に入ったものを手に入れたとき、大事なのはその中身だけなんだけど、箱も一応、とっておこう、と思ってしまう。
「いやいや、そんなもの、ぜったいに使わない」と自分に言い聞かせ、ようやくバラして捨てる(あるいは資源ゴミとして出す)。
 この「なんとなく置いておく」によって、確かにある程度、部屋は狭くなるし、ある意味で汚れてしまうだろう。
「いいですか、都内に住んでいる人の、災害用の備蓄品はざっとこれぐらい必要なんですよ」とテレビで力説されて、「そんなに置く場所はない」と即座に拒否反応をしてしまうくせに、実は、それほど重要ではないものを大事に仕舞い込んでいたりもするのだ。

ゴミ屋敷の不思議

 テレビ番組で一番好きといってもいいのが「家、ついて行ってイイですか?」である。可能な限り見るようにしている。録画して端から端まで舐め回すように見る。そして、この番組では、しばしばゴミ屋敷、あるいは物で溢れかえった部屋が登場する。
 すべてゴミに見えるけど「ゴミじゃないんです!」と住人は必ずのように説明する。「大事なものなんです」とさえ言う人もいる。
 大事なものをそんなに粗末に扱ってどうするんだ、と言いたいけれど、振り返ってみれば、自分でも多少はそういうことをしているのである。
 いざ必要になったときに、「あれは大事だからと、どこかに仕舞ったはずだ」とは思う。それがどこかがわからない。これ、自分ながらにおかしい。だって、大事だから仕舞ったわけで、その場所がわからないって、それはもうそれほど大事でもないってことであって……。
 そして、妙なところから「あれ、なんでこんなところにあるの」と思いつつ、それが大して必要でもないタイミングで登場することがある。
 断捨離するならこの瞬間を逃してはいけない。その場で捨てるか処分すればいい。
 ところが、「大事だから」とまたどこかに仕舞う。「今度は、絶対、忘れないぞ」と誓うものの、誓ったそばから忘れてしまう。
 人は丁寧に仕舞ったときに、記憶から消えるのである。安心するのだ。
 だが、ゴミ屋敷は見えている。少なくとも、初期ゴミ屋敷であれば、すべてのものが「大事なもの」として床からベッドからソファからテーブルまで覆っていて、視認できていたはずだ。この段階ならまだいい。
 次の段階になると、大事なものの上に大事なものが重なっていく。そして初期段階の大事なものが見えなくなる。上にある現在大事なものをどかさないと、初期大事なものは見つからない。これは、どこかに仕舞ったのと同じと言えよう。
 上から新たなフタができていく。つまり大事なものは、最新の大事なものによってカバーされていき見えなくなっていく。それはもしかするとちょっとした安心感なのかもしれない。
「必ずある。なぜなら、捨てていないから」

永遠に来ないかもしれない「いざ」

 非常用の食品や水などは、きっと使う時がやってくるに違いない。そう言われている。だから、消費期限を気にしつつ、常に一定の量を保存しておきたい。
 一方、なんとなく大事だから置いておくものはどうだろう。
「いざというときのために、置いておこう」としたとして、その動機は非常用の備蓄に似ているけれど、本質的にまるで違う。誰に、その「いざというとき」が本当に来るかわかるのだろうか。
 きれいなリボン、きれいな包装紙、ちゃんとした箱。付属でついていたUSBコード、なにかの変換プラグ。「きっと役に立つ日が来る」と思っても、まあ、それが来た経験はほぼない。
 なにしろ、必要ならネットで買ってしまうからだ。
 それが届く。そしてその箱が捨てられない……。
 悪循環である。
 ところが先日、親戚に品物を送付しようとしたのだが、適当な箱がなかった。箱がなくて送れないのである。
「やっぱり置いておけばよかった」と思ったりもする。だから、今後、どこからか届いた品物の箱は、必ず取っておこう。そう思うのである。


 
 

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