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124 ポジティブ変換は可能か?

負けた悔しさをバネにするってやつ?

 サッカー日本代表の森保監督が、負けた試合について「ポジティブ変換して」と語っていたのをテレビで観た。
「へー、そんなことできるんだ、そりゃ、便利だね」と感じた。
 恐らく、歯が立たなかった、まったく機能しなかった、チャンスを活かせなかった、ミスばかりした、といった辛い現実にどっぷり漬かってしまうと、次に進めないから、そうした負の経験を、プラスへ持っていくためにいろいろと努力するのだろう。
 いわば、「バネにして」みたいなやつですよね。違うのかな。
 バネにするってのは、「悔しい」と負の方向へ強いパワーがかかっていくところを、そのパワーの方向を変えて次へ向かうってことかな、と思うので、ほとんど同じことなんじゃないのかな。
 だけど、重要なのは、それができる人とできない人がいる。できる時とできない時があるってことだろう。
 有権者にはっきりカネの使い道を説明できない政治家の人たちも、なんだかややこしいことに陥っている芸人も、ポジティブ変換できるのだろうか。しちゃうのだろうか? この悔しさをバネにして、なにかプラスになる行動に出るのだろうか?

物事の見方を変えてみる

 フレーミングという言葉もある。すごくよく言われるのは、「もう、半分しか水がない」と思うか、「まだ、半分ある」と思うのか、みたいなことだろう。
 私がこうした話を疑ってしまうのは、結局、どちらも水の量は同じなので、どう思おうと現実は変わらないからだ。もちろん、気持ちが変われば、行動は変わるのだろうから、残り半分の水がより美味しく感じるってことはあるかもしれない。
 ここまで自分で書いてみて、「単なる言葉遊びだな」と感じてしまう。それをポジティブ変換すれば、「言葉遊びで気分が変わるなら安上がり」とでもすればいいかな。まだそれほどポジティブじゃないけど。
 私の知人で競馬の好きな人がいて、たいがいまったく当たらないけど、必ず「第10レースまである」と最後までやめようとしない。その日はそれで終わっても「また明日がある」と続けるのである。これは、ポジティブ変換というよりも依存症に近い気もするけど、はっきり言えば「馬券を買わなければそのおカネは残っていたわけだよね」というわけで、むしろこういう言葉が、知人にとってはネガティブな言葉でしかないのだ。
「なに言ってるんだ、馬券には夢がある。夢を買ってるんだよ」と、むしろ理解できないこっちがダメ人間みたいに言われてしまう。「おまえも、少しは夢を見ろよ」と。
 ここでさらにつまらないことを言ってしまうと、公営のギャンブル(競馬、競輪、競艇、オートレース)は、テレビの地上波やラジオ、スポーツ紙などにくまなくおカネをバラ撒いているので、一般メディアではほぼ、否定的な話題として取り上げられることはない。
「ギャンブルは公共の役にも立っているのだから」と言うのだが、それは例によってトリックであり、あまりにも儲かるから罪滅ぼしとして公共的な面にもおカネを出しているだけのことだ。宝くじの収益金(利益)で救急車を買うようなものである。さらに言えば、その公的な用途の費用を生み出すためなら、もっと低コストで効率のいい方法があるのだ(クラファンとかね)。つまり、もはやギャンブルは、人の射幸心に付け込んで暴利を貪る以外の意味はない。
 だから、私はギャンブルに勝つことが夢だとは思わない。

希望と絶望、楽観と悲観

つまらないヤツ

 先日、亡くなった作家・作詞家の伊集院静の言葉に、これも出典がわからないし正確には覚えていないんだけど、要するにギャンブルをする人の方が信用できる、みたいな内容だった。
 その点では、私は伊集院静的な人からは、「信用できない」「つまらないヤツ」ということになる。
 だけど、これだって、ポジティブ変換できるんじゃないの?
 ギャンブルはしないけど自分の人生を賭けて仕事したり生活しているから、ある意味のギャンブラーだよね。確かに面白味はないけれど、少なくとも当人は妙に楽しそうにしているから、きっと楽しいんだろうね。信用できない面もあるけど、そういうつまらないヤツを信用する人たちもいるよね。などなど。
 これまた自分の偏見であるけれど、とくに大阪近郊の関西人に根強く植え付けられているらしい「おもしろい人と思われたい」は、いまは全国的に拡大している一種の病のような気がしてしまう。ほどほどの範囲ならいいけれど、ときどき常軌を逸している。「探偵!ナイトスクープ」を観ていればそれはわかる。かつては関西ローカルな面が強かったこの番組もいまは全国区となり、全国から「そこまでいくとどうなの?」という依頼例がいくらでも存在する。そう考えると、「おもしろい人」はむしろ危険で、「つまらない人」の方が横にいたら安心できる気もするではないか。
 いずれにせよ、言葉の遊びである。いや、フレーミングは心理学的な言葉だろうから、学問としてそれなりに成立しているからただの遊びではないけれど、なんだかそっくり鵜呑みにはできない気がしてしまう。
 その上で、物事には作用と反作用があると思うんだけど、フレーミングしたりポジティブ変換して、ムリに行動を変えたとき、その反作用はどこに現れるのだろうか?
 たとえばギャンブルはわかりやすく、おカネを失うことでわかるけれど、仕事とかスポーツでポジティブ変換したときに、その反動はどこに現れるのだろう。
 それに、ポジティブ変換の成否は、結果に左右されるってことだよね。勝てばなんでも言える。2連敗していたら、なんと言っただろうか。
 
 
 


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