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90 触れること

ペットロスになったとき

 ペットロスになったことがある。2度なった。
 心が弱ってしまうと、世の中が色褪せて、お笑い番組でも笑えない。なにを食べても大して美味しくない。朝起きるのもしんどいが、夜眠るときもしんどい。このままだとダメだ、と思う。
 このとき、なにが一番辛かったかと言えば、日常的に何度も自然に触れていたペットのあの感触を失ったことだった。
 犬型のロボットや縫いぐるみが、慰めになるかといえば、それは難しい。なぜなら、あの温もりと手触りが再現されるはずもないからだ。
 生きているモノたちの温もりは、人工的には再現できない。触感としてデータ的には再現できるだろうけど、そもそもそれは生きていないのだからムリだ。
 触ることで、生きている実感を味わっている。
 ペットロスにもいろいろあるだろうが、小型犬を室内で飼育し寝食を共にしている場合は、とても濃い触れ合いが日常になり、それを丸ごと失ってしまう喪失感はとても大きくなってしまう。
 たとえば、道を歩いていて、向こうから亡くなったペットによく似た犬を連れている人がいる。「お願いです、触らせてください」と思わず駆け寄りたくなる。別にやましいことはなにもないのに、こっちがどうしても触りたい気持ちが高じてくると、かえって素直に頭を撫でたりできないものだ。
 知り合いの人の犬を触ってみたところで、犬種も違うし。たとえ同じでも、「あの感触」ではない。個体特有の感触がある。

犬に会いに行く

 さらに合法的に犬に触るために、たとえば犬カフェへ行く。あるいは保護犬の譲渡会に行く。
 しかし、そこで確認できることは、「あの子はいない」という事実であって、「代わりはいない」という事実だけである。
 もちろん似た子(犬)もいるけれど、似ているだけに、かえって違いばかりが気になってしまう。「耳の毛が黒い」とか「尻尾が短い」とか、なんとかかんとか。とにかく、差異をひたすら見つけては「違う」ことを確認するばかりなのだ。
 つまり、ペットロスになったときに、ほかの犬に会ったとしても、大した役には立たないのである。
 17歳で亡くなったのは白と茶のシー・ズーだった。そのペットロスで、シー・ズーばっかりを見てしまうのである。
 ところが、保護犬の譲渡会で、似ても似つかぬシー・ズーを発見する。黒い毛が多く、繁殖犬だったらしく相応にくたびれてもいる。いまさら子犬から飼うのは難しいと諦めていたので、もしかするとちょうどいいかもしれない。似ていないところがいい、と夫婦で手を挙げて審査してもらい、正式に譲受した。
 不思議なことに、似ても似つかぬはずだったのに、我が家にいるうちに、しだいに毛の色や質が変化し、白と茶が目立つようになっていく。いまでも写真を見ると、前の子(犬)と区別がつかないときがある。
 自分たちの子になったら、それは同じになっていくのだろうか。科学的に説明がつくのだろうけど、よくわからない。
 その子が思いがけず3年で急逝して、またしてもペットロスだ。
 いや、この時ばかりは「二度と飼いません」宣言ぐらいまでしたのである。夫婦で旅に行く。外食する。そのほか、ペットがいたためにやれなかったことをする。だけど、ロスはロスで、やっぱり解消しない。
 あの感触が欲しい。
 そんな時に、保護活動をしている人のブログを見て、先天性巨大食道症で余命半年と言われたシー・ズーのことを知る。何を食べさせても吐いてしまう。犬は1日2食が多いようだが、吐いてしまうので、少しずつ与えて、ちゃんと胃へ落ちるまで30分ぐらい立たせるか垂直になるように支えてあげないといけない。忙しい保護活動をしながら、そんなことはできないので、ヘルプを募集していたのである。
 思い切って預かることにした。
 二度と飼わない気持ちだったが、余命半年なら、あまり長くはないのだし、お世話になった保護活動をしている人たちの役に立つ。
 その子も、顔が黒く、耳にも黒い毛が多かった。
 そしていま7歳になっている。最近、先天性巨大食道症は治る可能性があると聞いたが、確かにそうなのかもしれない。あくまで可能性の問題だが。
 またしても、毛は白と茶になり、写真では前の子、前々の子とあまり区別がつかないのである。

簡単に解決できないこと

 触れあうこと。触ること。感触。
 それは、いまの時代、とても難しい。簡単には解決できないことだ。
 さまざまな欲求への代替策が、技術とビジネスの上に提供されているのに、満足できる解決策は存在しない。
 いずれ、技術的に解決されるかもしれないのだが、いまのところはムリだ。もし開発途上にあるとしても、リニア新幹線の開通より早く実現することはないだろう。
 人間の手のひらは、生まれてから死ぬまでさまざまな経験をする。その記憶を記録して再現できればいいのだが、そうもいかないようだ。
 握手する。握りしめる。撫でる。触れる。当てる。押し当てる。
 その記憶は自分の中にだけある大切な感触だ。

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