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146 夢に見た光景

美しいと言ってしまう(夢の中で)

 以前に、「美しさがわからなくなる」とここに書いた。すると今朝、変わった夢を見た。たぶん、人間は夢をよく見ている。ただ、記憶としてきれいに残っているかどうかは別問題だ。たいがい、忘れてしまう。あるいは、起きてしばらくは「あれはなんだろうな」と思ったりもする。自分で夢を見ておいて、それがさっぱり意味もわからず「なんだろう」と考えたりするわけだ。そのうち、いつもの日常やイレギュラーな日常がつぎつぎとやってくるので忘れてしまう。
 今朝は、自分で「美しい」と言っている夢だった。
 なにが美しいのか。それは、山に登っている夢で、そこでは「富士山」と思っているものの、見た目は富士山ではない。私は富士山には登ったことがない。だから、間違いなくそこは富士山ではない。ただ雲よりは高い標高。傾斜がきつい。おみやげ屋さんが途中にある。そこは外国人で賑わっている。
 そこを過ぎると、登山道の脇に、下が見える場所があって人だかりがしている。私も並んで順番が来る。緑豊かな枝葉の下に、はるか麓の湧き水が見えている。それは恐らく忍野八海の連想だろう。落下を防ぐための金網が張られていた。
「美しい」と私はそこで言うのである。
 そこはまだ森林限界を越えていないところだったのだろう。やがて道は岩と砂利だけになっていき、山頂直下の山小屋となる。私はそのとき、自分がここになにかの仕事で来ていることを思い出し、山小屋とそこに集う登山客たちに問題がないかを確認する。これで仕事は終わりだ。
 再び山道に戻ると、そこに絵の入った看板があり、山頂へ行く3つのルートが記されている。あと数百メートル歩けば山頂である。
 ところが仕事モードになったので、仕事も終わったことだし、下山することになる。そのとき、なんと、私は一緒に父母も来ていることに気付く。自分はかなり前の自分で、父母も溌溂としている。四十代ぐらいに見える。
 このときに、違和感があったからだろうか。それともいかにも夢だと気付いたのか、目が覚めたのである。
 ああ、久しぶりになんだか明瞭な夢を見たな、しかもなんだか美しいものを見たんだなあ。これってなんだろうな。
 そう思いながらしばらくいつもの朝を迎えて、いつものことをする。

そのイメージは明瞭か?

 童謡の浦島太郎に「絵にもかけない美しさ」という歌詞がある。
 絵に描ける美しさと、描けない美しさがこの世にはある。しかも、絵に描いた美しさが、誰から見ても美しいのかどうかは、また別問題だ。
 具体的に美しいものがあって、それをもし絵にできたら、それは美しい絵かもしれない。そうじゃないかもしれない。
 自分で勝手に「美しい」と言葉に出した光景が夢の中だったとしても、それが美しいと思ったのには理由があるはずだ。
 だけど、それを確かめる方法はない。
 ここまで書いてきて、思い返してみるけれど、果たして今朝見た夢はそこまで明瞭だったのだろうか。
 散歩しながら、「それが美しいなら描いてみるべきではないか」と考えた。いや、もう少しカジュアルに「描いてみたらいいかな」と思いついた。
 自分に技量はない。絵の好きな幼稚園児の方が上手いだろう。だからってなんだ。美しいものとして認めたイメージを紙に定着してみる行為を、自分だってやってみてもいいではないか。
 そんな気になって、さっそくスケッチブックと色鉛筆を用意して、思い出せる範囲で、どんな光景だったのか描き始めた。本来、ちゃんとした絵というものは、下書きをしたりするのだろうけれど、私のイタズラ書きはダイレクトにいっきにやる。間違えてもそれはそれでいい。たまに消しゴムも使うし、ホワイトを使ったりもするけれど、たいがいはそのままだ。
 光景の左側はだいたいわかる。たくさんの葉が生い茂っている。そしてそこから、垂直に麓まで落ち込んでいて(だから富士山ではないのである)、遙か下に大きな池がいくつかあるのだ。透明度の高い池である。
 池はいくつかあった。大きな池が一つではなく、いくつかある。それだけは覚えているのだが形は思い出せない。それでも、手が勝手に動く感じで四つの池となった。そこで、いったん終了。
 しばらくしてから絵を見返すと、右側がどうなっていたのか、覚えていない。いや、思い出した。当然、そこは雲海なのである。雲があった。だから、雲を足す。
 こうしてとりあえず出来上がった。それは、特別に美しいものではない。私にはそういう技量はないからだ。まだ残っているイメージとも違う。曖昧なイメージなのに、「違うよね」と自分ではわかっているつもりだ。そして、それを紙の上に定着することはできないこともわかっている。技量だけの問題ではない。美しいイメージは、イメージとしては完璧だけど、それを再現することは不可能なのである。再現することによって、どんどん醜悪になってしまう。それが現実なのだ、と気付いたのだった。


 
 
 

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