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76 小説「ライフタイム」 12 ダンス

浅い関係

 たいがい男女の仲についての話としておもしろいのは「深い関係」だろう。あるいは「一線を超える」とか。
 松本奈美江との関係は、「浅い関係」だった。それはぼくが望んだことだったかもしれない。仕事がおもしろく、面倒なことをあまり望まなかった。それに、彼女との関係が深くなったとき、ノコノコと出社して彼女と顔を合わせることができるだろうか?
 二度、ぼくと彼女は会社の帰りにデートした。
 一度目は、彼女が行きたいという横浜・野毛にあるジャズ喫茶へ行った。昭和一桁の頃から続く老舗である。ぼくは行ったこともなかった。京急の日ノ出町、黄金町界隈は、夜は完全に大人の世界であった。昼間でもかなり大人の世界であった。繁華街とは逆方向にある野毛山には動物園があり幼い頃は何度か行っているものの、周辺の街はJR桜木町方向に繁華街が広がり、家族連れには不向きな雰囲気が色濃く残っていた。
 そのジャズ喫茶は昼は本格的なコーヒーの飲める喫茶で夜はバーであった。何千枚もあるレコードのコレクションが圧巻で、ぼくと彼女はただただその音の渦の中で緊張しながら、ウィスキーを飲んだ。
 奈美江はお酒は好きだと言い、子どもっぽく重いカットグラスを両手で持って口をつける。薄暗い店内で、彼女の白い喉が動く。

隠れ家

 二度目は、ニューグランドホテルの近くにあるバーへ連れて行って欲しいと言われ、会社帰りに行った。いずれも東京駅から東海道線に乗って横浜へ出ると、京急に乗り換えるか、京浜東北線に乗り換えて向かった。ドライブとは違い、ぼくも酒が飲めるのはよかったし、いつもの通勤で乗っている路線も、彼女と一緒だと楽しかった。
 そこは、石川町駅から元町を抜けて中華街の外側に面したあたりの古いビルの一階であった。入り口がわかりにくく、彼女とそのあたりをうろついてようやく見つけた。いわゆる隠れ家的な店だ。
 そんな店なので、客はぼくたちだけだった。店主は老婆と言うには可哀想だが、ぼくの母よりは上であることは間違いない。大きなジュークボックスがセンターにあり、ソファの席が二つ。カウンターは三人掛けだ。誰もいないのでソファに案内されて、黙ってナッツ類ののった皿が出され、水割りをぼくたちは頼んだ。
「どうしてここを知っているの?」
「ちょっとね。来たかったんだ」と彼女は言う。詳しいことは教えてくれなさそうだった。
「あんたたち、踊れる?」とママが言う。
「踊ろう!」と彼女は立ち上がる。ぼくは断りたかった。そういえば、以前に星占いを見たのだが、そこにはぼくの星座なのに、ちっとも共感できることが書かれていなくて、「音楽やダンスが得意。音楽業界で活躍する人も多い」などと書かれていた。音楽は好きだが、歌も演奏もダンスもダメなのだ。
 コルトレーンの『バラード』をママは棚から引っ張り出して、カウンターの横にある古めかしいプレイヤーにのせた。厳かな音が空間を満たす。ぼくはただ聴いていたかったのだが、美奈子に手を取られ、ゆっくりとしたダンスに付き合った。いわゆるスロースロークイッククイックみたいなやつだ。
 美奈子の吐息が感じられるほど近く、小さくて温かい手を握りながら、狭いフロアで体を動かしていると、このまま彼女ともう少し深い関係になれたらいいなと思えた。
 しかし彼女はそうは思っていなかった。ぼくになにも告げず、PR会社へ転職していったのだから。

神保町

 社内の体制が大きく変わろうとしていた。ぼくの担当していた雑誌を、隔月刊にし、社史を中心に扱おうと言う。月刊では半分のページを寄稿中心にしていた。半分はぼくたちで作る特集だった。その特集に、新聞編集の人たちは今後、関われないことになったのだ。人手が足りなかった。
 だったら特集は諦めて、寄稿と資料編だけにする。だったら隔月にすればいい、といった判断だった。とくに手の足りない営業はすんなり賛成したらしい。
 ぼくを中心に外部のプロダクションと組んで社史づくりをする計画になっていて、ますます、ぼくは雑誌づくりから離れていくことになる。
 そんなとき、大手出版社の編集長から手紙をいただいた。達筆で、ある人からぼくのことを聞いた、そちらで出している月刊誌も拝見した。ひとりでやっているとは大変だろう。ところで、関連会社で新しい雑誌を創刊するにあたって人材を求めている。一度、こちらに来ていただけないか。
 びっくりした。誰に聞いたというのか。そんな大したことはしていない。それでも、胸が高鳴った。これがチャンスでないとすれば、なにがチャンスなのか。ぼくの側にはなんのリスクもない話だ。
 しかも神保町である。
 大学生の頃から神保町はよく行く街だった。すずらん通りのキッチン南海やスヰートポーヅが好きだった。キッチン南海では「ヒラメフライ」が、スヰートポーヅではびっくりするほど歯ごたえのある餃子の皮と、なんとも言えない味わいの味噌汁が好きだった。さぼうる、白十字、ジャズ喫茶の「響」。そしてたくさんの書店。
 大好きな街で働けるかもしれない。
 以前、誰かがラジオで「人生には予告編がある」と言っていた。たぶん、コメディアンの関根勤だろう。違うかもしれないが、そんな気がする。ファンだったので、ラジオに出るときはよく聞いていたから。
 ぼくにとって、「蓄財時報」の話は予告編だったのだ。今度の話こそが、本編かもしれない。
 そしてぼくのことには関係なく、間もなく、昭和が終わろうとしていた。
 (つづく)
──この記事はフィクションです──
 
 

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