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鶴・ism つる・いずむ 第19号~鶴暮らしを楽しくする情報誌~

鶴の風景 ~お大師さま(おだいしさま)~


下鶴のお大師さま
中鶴のお大師さま

 下鶴の池野さんの家のそばと中鶴の旧坂口商店の横に、お大師さまが2箇所あります。
 私が子供の頃、3月21日のまつりの時は、中鶴の香福庵を含め3箇所にお参りしていたのを覚えています。
 1円の賽銭を上げてお参りすると、おにぎりやにしめ等、沢山のごちそうで接待してもらいました。

 古くから天草では真言宗の信仰が厚く、開祖・空海(弘法大師)をお祀りしていました。しかし、キリスト教が伝来すると、当時天草を治めていた五人衆をはじめ、ほとんどの領民がキリシタンとなりました。
 そして、お寺は教会となりお大師さまの信仰も薄れてしまったのです。
 その後、キリシタンの弾圧が厳しくなり島原天草一揆で一揆軍が敗れると、天草復興の為に鈴木重成公が代官として着任され天草を立て直します。重成公は兄・正三公と中華珪法禅師と共に曹洞宗と浄土宗のお寺を次々に建立し、仏教の教えをもって荒廃した天草の人々の心を安らかにしていきます。

 古くから人々に信仰されていたお大師さまは、キリシタンに淘汰された後も人々の心に脈々と息づいており、土着の民間信仰としてあがめられていましたので、曹洞宗や浄土宗のお寺の境内にも太子堂が建てられたり、本堂の中に大師像が祀られたりしました。

 私は子供の頃、ふと、曹洞宗である東向寺の檀家でありながら真言宗のお大師さまをお祀りしていることが不思議で、しきりに親に尋ねてみても納得のいく答えが返ってこなかったことを思い出します。

 宗教や宗派の違いで世界中にもめごとが絶えず起こっていますが、八百万の神の信仰や、宗教・宗派を問わず共存する寛容さは、日本独特の宗教観であり、平和志向に基づくものだと思います。
  ここ数年、お大師さまのまつりはコロナ自粛で今年もどうなるかわかりませんが、お参りだけはしたいなと思っているところです。 (畑元正司)


第22回本町鶴まちづくりの会のご案内

日時:令和5年3月11日(土)19:00~20:30
場所:鶴自治公民館
内容:1.田代公園整備活動について
   2.橋プロジェクトについて
   3.その他


こいのぼりを募集します❣

今年の5月の節句に、田代公園の空にこいのぼりを泳がせることになりました。
ご自宅の押入に眠っているこいのぼりがありましたら、是非ご提供頂きたいと存じます。
鶴の山間を賑やかにこいのぼりで埋め尽くしたいと思います。


お便りコーナー

久々にお便りコーナーが復活しました。 今回は西山真璃子さんです(^_^)👍 

 鶴の皆様こんにちは。私はUターンで東京と天草の2拠点生活をしています。
 大学進学を機に天草を離れ10年以上経ちますが、この生活を始めたきっかけや経緯、故郷に思うことなどをこの機会に書かせていただくことになりました。
 私の実家は鶴の中でも山奥の八久保です。冬には麓に積雪がなくても、うちは一面真っ白。下まで降りられないことがよくありました。そんな立地ですので、子どもの頃よく遊んでくれた近所のおばあちゃんや自転車屋さんのおじさんはいつの間にか山を降りて町に引っ越されました。
 私自身も大学に進学してからは年に一度帰るかどうかという感じで、山奥の実家には父と母が二人きりで暮らしており、家の老朽化も進んでいたため、次に家に不具合が出たら下に降りようか、と両親も考えていたようです。
 そんな中、父が事故で他界し、山奥の家には母一人になりました。私や兄達は県外で暮らしており、母の一人暮らしを心配して引っ越しも勧めましたが、嫁いで35年程になるのでしょうか、住み慣れたこの家を離れたがりませんでした。

 父の遺品や書類を整理していく中で、母から嫁いできた当時の話を聞けたり、父が若かった頃の祖母や祖父、父の兄弟達の写真等を見ることができました。そしてこの八久保周辺の集落は、祖父の代で大変な苦労をして山を開拓した土地であることを知りました。母が伝え聞いた話だと、祖父は特に働き者でグループの中で中心的な存在だったらしく、集落の皆さんがうちに集まってよく酒盛りをされていたそうです。

 母一人では草刈りや落ち葉掃除などの山の手入れには限界があり、人の出入りがなくなった場所が徐々に自然に埋もれていく様子を父他界後の帰省の度に目の当たりにしていました。
  このままこの土地に人がいなくなればすぐ山に飲み込まれ、祖父達が苦労して成し遂げたことが無駄になってしまう、私達の代でどうにかしなければ、と思いました。
 かと言って兄達はそれぞれ家族を持ち実家に戻ることは難しく、私も大学院を出て海外で働くことが決まっていた時期でした。実家に戻ることも考えましたが、両親がこれまで高い学費を工面してくれたのに何者にもなれていない自分が天草に帰ってもこれまでの様々な努力を無駄にするだけだと思いました。
 傷心の母は常に気がかりでしたが、自分にしかできない経験を積み、一人前になるため今やるべきことをやろうと考えました。

  海外生活は長くはありませんでしたが、帰国後は東京で7年程勤め一通りの仕事が一人で回せるようになり、思い切って独立、故郷との二拠点生活を始めました。
 仕事の方はまだまだ駆け出しですが、これまで海外や東京で経験してきたことを地元に活かしていければと思っています。
 様々な場所で生活したから知った地元の良さ、大切さ、全国の人が興味を持ってくれそうな部分を、子どもの頃お世話になった地域の方々と共有し、人が出入りする集落、住み継いでいける集落になるよう、自分にできることを少しずつできればいいな、と思っています。  (西山真璃子)


【編集後記】

 昨年11月、「水戸黄門」でおなじみの「かげろうお銀」こと由美かおるさんが天草を訪れられました。
 目的は一般社団法人天草地域総合研究所(総研)が企画する「のさりの島天草巡りモニターツアー」に参加することで、合わせて当事務所にもお立寄りいただき、プロダクションの信見社長にご講演頂きました。
 由美さんのお母さんは牛深の魚貫出身という縁で天草への思い入れが深く、信見社長も天草の自然環境や歴史、住民のやさしい人柄にとても感銘を受けられ、総研のまちづくり活動に多大なご協力を頂いています。
 由美さんはとても若々しく美しく気さくな方で、食事しながら親しくお話しさせて頂きました。
 今後も又おいでいただく機会があると思いますので、鶴の高瀧にも是非ご案内できたらと思っています。
 その時を楽しみに、まずはキャンプ場がオープンできますように❣

令和5年3月 1日 編集・発行: 世話人 畑元正司
本町鶴まちづくりの会 会長 平田正和 事務局 倉田芳昭


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