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鶴・ism つる・いずむ 第18号~鶴暮らしを楽しくする情報誌~

第2回おねんぼ大会 開催!

 1月8日、快晴の青空の下で第2回おねんぼ大会を開催しました。
 昨年末に鶴自治公民館の裏山を伐採して出た竹は大量で、適度に乾燥していたので、鶴中に響くほどの破裂音をたてておねんぼの火は勢い良く燃え上がりました。🔥

 普段は鶴地区で見かけることの少ない子供たちも、泥んこになって田代公園を駆け回り、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんに怒られながらも、とても楽しそうでした(#^.^#)
 その場で書いた書初めの作品を、竹にさして炎の上にかざすと、天高く舞い上がりました。これで益々習字が上手くなることでしょう❣
 オキになる頃合いを見計らい、餅やからいもを焼き、大鍋のかまどで炊いた雑煮で暖まり、バーベキューでおいしい肉も頬張り、お腹も心も充分に満たされた一日でした。💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖

 これから春に向かい、田代公園では菜の花が田んぼを埋め尽くすことでしょう。今年も、とても良い年になる予感がしています。
 皆さん元気を出して、大いに鶴暮らしを楽しみましょう✌ (畑元正司)


第21回本町鶴まちづくりの会のご案内

日時:令和5年2月11日(土)19:00~20:30
場所:鶴自治公民館
内容:1.田代公園キャンプ場OPENに向けて
   2.今後の鶴まちづくりの会活動について
   3.その他


こいのぼりを募集します❣

今年の5月の節句に、田代公園の空にこいのぼりを泳がせることになりました。ご自宅の押入に眠っているこいのぼりがありましたら、是非ご提供頂きたいと存じます。
鶴の山間を賑やかにこいのぼりで埋め尽くしたいと思います。


鶴の風景 ~天皇陛下御立寄之碑 てんのうへいかおたちよりのひ~(八久保)

 八久保の県道沿いに『天皇陛下御立寄之碑』があることをご存じの方は少なくないと思います。
 昭和21年、終戦後急務だった食糧増産の為、八久保の山林や耕地約60haを開拓地として開放し、18戸の入植者がありました。その開拓農協の組合員は困窮と戦いながら必死に荒れ地を開墾されました。
 敗戦という形で終戦を迎え、失意と混乱の中にあった国民を励まし国家を再建する為に、昭和天皇は全国巡礼の旅に出られました。
 そして、熊本県に巡礼に来られた際、昭和24年5月30日にご予定を変更して天草に来られました。本村を通って下田へ向かう途中、八久保の開拓地にさしかかると、陛下自ら停車を命ぜられ、車を降りて開拓に励む人々に激励のお言葉を下さったそうです。
 過酷な労働と貧困にあえぎ、必死に生きておられた開拓の方々にとって、陛下から直接お言葉を頂戴した感激と奮い立つ勇気ははいかばかりだったか、想像をはるかに超えるものだったに違いありません。
 そしてそれを後世に伝える為に記念碑が建てられました。組合員が協力して石を運び文字を掘り、手作りで建立された記念碑だそうです。
 開拓団長だった岡村亘さんの当時の気持ちを綴る文章が『本町の歴史』(平成18年発行)の107ページに掲載されています。
 県道より1段高い場所に堂々と建っており、今もきれいに掃除が行き届いていて、八久保の皆さんが大切にしておられるのだという事がよくわかります。
 後世へと語り継ぎ、決して忘れてはならない戦争と復興の歴史が、この鶴地区にもはっきりと刻み込まれています。
(出典:「本町の歴史」平成18年 本町の歴史編集委員会編)(畑元正司)


【編集後記】

 注連縄も新しく、いよいよワクワクするような令和5年がスタートしました。
 ところで、私は毎年自宅と事務所の玄関に注連縄を飾ります。事務所は昭和2年建築の産婦人科医院で、この洋館造りの建物に注連縄は多少違和感があるのですが・・・💦
 よその地域では正月の松の内だけ玄関に飾り、どんどやで燃やされていますが、天草では昔から玄関に一年中注連縄を飾る習慣があります❤
 それは一説には、キリシタン弾圧で宗門改めが厳しなった頃から、「うちは神道なのでキリシタンではありません。」と主張する為と言われています。又、もう一説では、隠れキリシタンが取り調べから逃れる為に注連縄を飾ってカモフラージュしたとも言われています。
 いずれにしてもキリシタンの歴史と大いに関係があり、一年中軒並みに注連縄が飾られている景観は天草特有の伝統的な文化なのです。だからこそ、これからも毎年飾りたいと思います(^_^)

当事務所の玄関

令和5年2月 1日 編集・発行: 世話人 畑元正司
本町鶴まちづくりの会 会長 平田正和 事務局 倉田芳昭


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