プリティーシリーズで一番好きな作品


ディアマイフューチャーかもしれん…

最初はレインボーライブ、プリパラの順番で、ディアマイフューチャーはかな〜り下の方だったんだけど、もしかしたら一番好きかもしれん。

このシーンが好き

50話序盤、阿世知欽太郎が時よ永遠に止まれ。グレイトフルシンフォニアは私だけの夢というセリフの後
上葉みあ
「うるさい、うるさいうるさい、うっるさーーーい!」
「誰とも関わらなかったら悲しむこともないってそんなの生きてるって言わないんだよ!」

阿世知欽太郎
「綺麗事を抜かすなぁ!」

上葉みあ
「私達はプリズムスタァだ!」(食い気味)

これなんすよね。この後続けて「未来は輝いてるって、私たちが言わなきゃ誰がいうんだ!」
っていうセリフを切羽詰まった表情で言うんですよ。

そう。これがプリズムスタァなんすよ。私達大人はもちろん、齢14の少女としても現実は嫌な事あるし未来が輝いてるかなんて分からないっていう考えに身に覚えはあるはず。ヘインをぶん投げた後、阿世知欽太郎の気持ちに寄り添う事が何よりの証拠ですよ。けど、上葉みあはそれでもプリズムスタァとして、このセリフを言ったんすね。

未来を信じる少女と過去に縋るおっさんという明らかな対比の中に紙一重の人生を感じたよ。

ストーリーの臭さ

ディアマイフューチャーには正直臭い演出や感情表現があるし、初めはそれが苦手だったけど、曲の歌詞を見て納得できた。

歌詞がこうなんだからストーリーが臭くてナンボだ。臭いストーリー、臭い展開、臭い歌詞だからこそ、
「綺麗事を抜かすな!」
「私達はプリズムスタァだ!」
このセリフが刺さると感じる。

きらめきフューチャースター

上葉みあのプリズムジャンプ、きらめきフューチャースターは未来の扉を開くプリズムジャンプだ。
ジュエルチャンスやイルミナージュランドみたいな今まで幾度となくみてきたもので展開が進むのめちゃくちゃ好きです。

あの星をズバババババババって駆けていくのが良すぎる。

みあの一番

上葉みあがヘインをぶん投げてこれが私の一番というシーン。

あの時、私がなりたかった一番はこれだと根という一番であることを選んだが、結局花に行った。初めはどっちやねんと少し複雑に思った。

しかし、これは51話の春音あいらとの会話で回収されると思っていて、春音あいらになりたかったと思ってたと言うのは、花になりたかったと言う意味で、春音あいらみたいに輝きたいと言う真意は根でも幹でも花でも、一番輝ける所にいたいという意味。
つまり、あのシーン、あの一瞬はヘインに明日への扉を通らせる事が一番だし、あの後、自分自身で明日への扉を開くことも一番なんだという解釈。
51話、主人公同士の会話いいよねぇ。


所詮は虚勢

51話、散々別れるなら笑顔で。と言ったのに最後の最後に泣いてしまうシーンがある。そういったシーンはよくあるのだろうけど、ディアマイフューチャーではこの涙に特別な意味がつくと思っている。

50話、阿世知欽太郎には未来に進む力を説いた。きっと私の未来は輝いていると説いたけど、それでも寂しいもんは寂しいんじゃい!

最後は笑顔でお別れ!未来でまた会おう!って言うのは、プリズムスタァとして、未来を先導する者として正しいかもだけど、人間の感情としては間違いというか完全に割り切る事が正しい事でもないよね。

また、オープニング曲にもこの感情が現れていて、辛いこともあるけど「それでも」という意味合いの歌詞が多い気がする。
プリズムスタァの、ひいては頑張る全ての人間に刺さる曲なんじゃないかなと思う。

最後に

初回から人数が多すぎて〜
大風呂敷広げた割に話の本腰入れるのが遅すぎて〜
という意見、散見されます。めっちゃわかりますよ。大人からしたら、アニメ評論家からしたらそう言いたい気持ち分かります。

しかし、重要部分では制作側が伝えたい内容というのがはっきりと分かるし、vs阿世知欽太郎をプリズムアクトを通して行う意味もちゃんとあった。少なくともラストは全て説明つくし、納得できると思ってる。

後、アイドルタイムプリパラの花園みあさんのライブめっちゃ良いです。
サイリウムタイムの手首のアレだったり、背景の大きな木だったりやっぱりリスペクト感じた。

以上、ディアマイフューチャー凄えぞって事でした。

反響、要望あれば他のシリーズも書きます。よろ!

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