トランプ

軽音部の部長任期が終わった。今年度幹部のお疲れ様会と称して、後輩たちがご飯に誘ってくれた。本来は同回の別の子が部長で、彼女の留学に伴って、後期の部長をわたしが代理という形で務めた。

部活を運営してみてわかったことは、部活というコミュニティにわたしはつくづく向いていないということだ。

人のために、とかよく分からないし、誰かと一緒に、とかも苦手。自分のことしか考えられない。協調性がないのだ。

音楽が好きで、バンドが好きで、ベースが好きで、だから軽音部に入った。大学の規模のわりに何故か軽音系の団体が3つもあるなかで、自分にいちばん合うと思った今の部を選んだ。最初の1年はコロナ禍の影響でほとんどバンドはできなかったけれど、先輩方がなんとか交流の場を作ってくれて、すぐに部活も好きになった。最後まで好きでいられる場所だと思っていた。

部活というのは、安定したコミュニティでは無い。毎年誰かが卒業して、またその分誰かが入部する。単純計算で1年ごとに4分の1の人間が入れ替わる。雰囲気だって当然変わる。はっきり言ってこの1年でわたしは部活のことが好きではなくなってしまった。ひとつは雰囲気が入部当初とは変わったこと。もうひとつは幹部として活動する中で、聞きたくないことも言われたし、幹部じゃなかったら考えなくていいことも考えなくてはいけなかったこと。これが重なって、1年かけてじわじわと好きが薄れていった。

ただ、部活への好きと、音楽そのものに対する好きはわたしの中で別物で、部活が好きでなくなっていくと同時に、音楽をどんどん好きになった。このふたつの好きを混同して、ふたつとも好きではなくなってしまうのが怖かった。音楽への好きを守るために、防衛反応的に部活を切り捨てていくような考えをするようになった。

部活を好きだと思えなくなったことがとてもストレスだった。誰かに話したかった。しかし、部員はみんな部活がとても好きな人ばかりだ。これが居心地のよさの理由であったが、自分がその気持ちを持てなくなった途端に居心地の悪さを生み出すようになった。部員以外に大学の友達はいない。学科に馴染めなかったから、部活にしかコミュニティを作らなかったツケだ。部活を好きだと思っている人たちに、部活を好きじゃなくなったという話をしても、こいつは何を言っているんだ?となるのは明白だった。

ずっと自分の居場所を好きでいられるのはとても幸せなことだ。そうなれると思って過ごしてきたけれど、わたしは思ったより簡単に居場所を切り捨てていってしまうらしい。今の気持ちはとても残酷だけど、自分が少しの間でも好きだと思える居場所を見つけられたのはとても幸せなことだったと思う。そのことは変わらない。

1年一緒に幹部を務めた後輩たちからプレゼントにと、お菓子とトランプをもらった。うちの部のたまり場とされている、食堂の一角でよくトランプをした。とても我が部らしいプレゼントだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?