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旅と野球

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全国津々浦々にあるもの、それは美しい空と自然、そして野球場。誰もを魅了するスターだって、彼らに憧れるスター候補だって、諦めちゃった趣味人だって、グラウンドに立てば皆同じプレーヤー… もっと読む
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俺たちは備えてきたんだ、だからくよくよするなよ。(名古屋市千種区 千代田橋緑地野球場)|旅と野球(5)

「相手に失礼じゃないか。あんなプレーをしたら」  50代と思しき鬼コーチが強い口調で、少年たちを諌める。  ここは名古屋市内の北側を流れる矢田川の河原に設けられた野球場。穏やかな陽気のもと、少年野球の試合が行われている。  見たところ練習試合のようだった。トーナメント戦のような緊迫感はない。だがユニフォームのロゴから察すると、片方のチームはまあまあ遠くから来ているようだった。手間と時間をかけている分だけ、気持ちも入っているように見えた。  対する鬼コーチのチームは、わ

空を見上げて、飛んでいるものを追っかけて笑顔になれる。それが尊い日常ってやつだ。(宮城県石巻市 石巻市民球場)|旅と野球(4)

「日常の尊さって、なくなってはじめて分かるんですよ」  そうなんでしょうね。畳店の主人の言葉に頷きながら、僕は少し前に名古屋の住処のそばにある公園で見た草野球のことを思い出していた。  巷の正月休みもそろそろ終わりを迎える休日だった。  大柄な少年が打席に入り、ユニフォームを着た子どもたちが守備についていた。地域の少年野球チームの練習試合なのだろう。審判はコーチらしき男性で、周りにはベンチコートを羽織った母親たちが見守っている。  公園の隅っこには、孫との凧揚げを楽し

北の大地にあったものは、秋の空と野球場、そして誇りだ。(北海道北広島市 エスコンフィールド)|旅と野球(3)

「もう野球のシーズンは終わりました」  博物館の係員は、すまなさそうに言いながら、入場券を手渡してくれた。 「そうですよねえ」  窓の外には、赤く染まった木々が並んでいる。  ここは北海道の倶知安町。この地に住む工芸作家の取材のために、札幌からレンタカーを2時間ほど飛ばしてやってきたのである。  久しぶりの北海道は、秋の装いを深めている真っ最中で、空も海も引き寄せられるような透明さで広がっていた。僕は取材の時間より早めに着くようレンタカーを出発させた我が判断の的確さ

過去は懐かしむもんだ。ただ、心の中にとどめとけ。(名古屋市東区 バンテリンドーム ナゴヤ)|旅と野球(2)

「@*&%$#!!!!!!!!!!!」  中日ドラゴンズの打者、宇佐見真吾が放ったサヨナラヒットで、球場内は言葉にならない大歓声ではち切れんばかりになっていた。  僕も周りと一緒になって歓声を上げながら、一瞬、すべての動きが止まる静寂があったような錯覚に陥っていた。  そんなわけない。  9回の裏。1対1の同点。相手は宿敵の読売ジャイアンツ。ドラゴンズの打線が相手投手を攻め立てて一死満塁。お盆の最中で満員の観客。  あらゆる要素が、静寂を拒否していた。今宵最大のチャ

あの頃まぶしすぎた君は、今もまぶしい。(兵庫県淡路市 淡路佐野運動公園 第1野球場)|旅と野球

【新連載】 「こっちきて、一緒に応援しなさい」  チャンス到来に湧くスタンドで、選手の母親と思しき女性がこちらを向いてそう告げた。  一瞬、自分が呼ばれているのかと思って、いい返事をしそうになったが、僕の2列ほど前で、声援を送っていた若者たちが立ち上がった。体格のいい二人組である。ひとりは金髪。もうひとりは短髪にニューエラのキャップを小粋にかぶっている。 「OBも参加、これは命令よ」  文字にするとなかなかに鋭いが、実際のお母さんの口調に棘はなかった。いかつい男子た